仙台城 [2/6] 高さ17m・傾斜70°のまさに圧巻の本丸大石垣!

仙台城前回までの仙台城 訪問記。

仙台駅から約3kmの仙台城跡。歩いて行くにはちと遠いので、駅前でレンタサイクルを借りて登城。登城路には2ルートあり、今回は正宗時代の登城路と言われる三ノ丸巽門ルートを取る。途中、巽門・清水門・沢門跡を通って大手道へ合流。三ノ丸では初代 政宗公騎馬像の胸像を見る。


<訪問記>

sendai-8581仙台城 一番の見所、本丸大石垣。写真で全景を撮ろうとすると大きすぎてどうしても引きの構図になり小さくなってしまうが、高さは最高で17m、約70°の急勾配というド迫力高石垣。実はこの石垣の裏には築城時の古い石垣(野面積み)が2世代分に渡って埋められているのが修復工事の際に見つかっている。

sendai-8582高石垣恒例の、超広角レンズで隅石部を撮るの図。形の加工だけでなく、表面にも独特の文様が浮かぶよう加工されている力の入れよう。

sendai-8586変わった角度で超広角撮影。面白いけど、変形しすぎてちょっと良くわからない。とにかくすごいということは伝わるかな?

sendai-858817m級の石垣を下から見上げる。なおこの石垣は昭和後期頃から変形が酷くなっていたことから平成9年から約7年を掛けて分解&積み直し工事が行われている。約1万個の石を積み直したとか。その際、破損の激しい石材は新しいものに変えられたそうなので、この石垣もすべてが全て江戸時代のものというわけではないようだ。所々色が違う石が、そうなのだろうか?

sendai-8590この美しい石垣の反り! この曲線美を保つため、隅石の間には「敷金(しきがね)」と呼ばれるカスガイ状の金属がはめられているという。

sendai-8591そして、この美しい石垣の尖り!

sendai-8592さらに、この美しい石垣の反り!(再)もうすぐ日が暮れるのだが、素晴らしすぎてなかなか前に進めない。

sendai-8594後ろ髪ひかれる思いで何とか前へ。本丸へ続く詰ノ門があった場所へ。今は本丸に護國神社が鎮座しているので、その巨大な石鳥居が設置されている。右側には宮城縣護國神社の標柱。右奥の石垣は地震で歪んだのか、足場が組まれて工事中だった。

sendai-8595詰ノ門跡 説明板。二階建て瓦葺きの櫓門で、幅は約20mの大手門と同じサイズだったという。門の左右には三層脇櫓がそれぞれ建っていた。

sendai-8596詰ノ門跡から本丸へ入る。

sendai-8596a-8689本丸入ってすぐのところにあった巨大な案内板。仙台城の歴史がざざっと書いてある。右図の案内図は城域全体が描かれていてここ本丸は小さく見づらい気もする。なお本丸と西ノ丸を区切っている白い線(土塀?)は今はなく、両者が繋がっている状態。どこが土塀だったかも不明。また西ノ丸は石垣崩落により立ち入りが制限されていて、実質見られるのは本丸の下半分だけだった。

sendai-8597本丸へ。日暮れまで時間もないことから、まずは博物館類を見学。その後、日暮れまで城内を散策しよう。入ってすぐのところにあった「見聞館」へ。入場無料。

sendai-8598入ってすぐの巨大な絵図。慶長五年(1600)、伊達政宗は廃城となっていた千代城跡に入り新たに築城を開始、名を千代から仙台へと改めたそうだ。

sendai-8600壁一面に展示された石垣。これは石垣修復工事の際に現在の本丸石垣の内部より発見された、政宗築城時代の第一期仙台城石垣(のモデル)とのこと。今見られる完璧に切りそろえられた美しい石垣ではなく、荒々しくも石をそのまま積み上げた野面積みだ。

sendai-8603本丸から出土した金の金具。本丸御殿の中には天皇や将軍を迎えるための立派な御成門や、上々段之間などがあったという。その金具だろうか。

見聞館の中に100名城スタンプがあるのでお忘れなく。ちなみにスタンプは管理人室内にあり、管理人不在の際は扉が閉められるのでハンコが押せない(戻ってくるのを待つしか無い)という状況らしい。時間がないときは要注意。

sendai-8607続いて、お土産屋やらが並んでいる建物群の一角にある「青葉城資料展示館」へ。こちらは有料で700円。何かのクーポンで500円になったような気がする。一階はお土産屋で、入ってすぐエスカレータで二階へ向かう流れ。入口横に具足が展示してあり、戻ってきてから写真を撮ろうと思っていたら、出てきた時には閉館時間になっていて扉が閉まっていたというオチ。写真は見かけた時が撮り時。

sendai-8608資料館の中へ。内部は写真OK(ただしシアター内で流れる映像は著作権上NGとのこと)。

sendai-8608a-8628入って目の前にある伊達政宗公像。遅れてきた英雄として紹介されている。左上の馬上少年過…は晩年の政宗が詠んだとされる漢詩。そして、右目は失明していた政宗だが、残っている絵は普通に描かれていることが多いという。この絵もその1つ。

sendai-8609戦国の世にJIS規格導入。という珍しい表題の具足群。要は、現代のJIS規格のごとく、戦国の甲冑にはその性能(強度)を示すべく、鉄砲で実際に撃って貫通しないかテストがなされ、そのテストの際の甲冑の凹み(銃弾を受けた場所)が「テストに合格した印」であるという話。ここに展示してある仙台藩の具足にも、胴の部分に凹みがあった(赤いLEDで照らしてあるところ)。また甲冑の後ろに小さく見えている騎馬の絵も政宗公。

sendai-8612大広間。1610年頃に本丸に築かれた、藩主が政治や謁見を行う場所だった。切妻造りの建物が2つ垂直に重ねられ、巨大な切妻破風が正面に見えているというなんだか変わった形。しかもそこには菊御紋と五七桐紋。

sendai-8616詰ノ門 模型。三層脇櫓に囲まれた石垣の間を進むと巨大な櫓門が遮る構造。これは今はすべて無くなってしまったのがつくづく残念。

sendai-8617政宗公書状(1590年)と、仙台藩お抱え刀工 藤原国包の刀。下は有名刀工 月山 作。

sendai-8622仙台城ジオラマ。なかなかの規模で詳細を見てるだけでも楽しい。これは断崖絶壁側から見た本丸部。右側の建物が集中しているところが本丸、左側の緑が多い部分が西ノ丸。まるで清水寺のような懸造の御殿が目立つ。

sendai-8623ジオラマを別角度から。何と二ノ丸も再現している。

sendai-8624仙台城 出土品の数々。左下は金箔押し軒丸瓦の破片。金箔瓦の日本最北端使用例とのこと。その右側は、今はなき詰ノ門・東西脇櫓で使われていたと思われる鯱瓦の一部。

sendai-8625維新後も残ったものの大戦で米軍の無差別爆撃により焼失した旧国宝 大手門と脇櫓。これは立派だ。大手門は、脇櫓の復元後に続けて復元する計画があったそうだが、頓挫してしまったらしい。残念。

>> 仙台城 [3/6] へ続く。<<


“奥州仕置之旅顛末記”(2014年に敢行した3泊4日東北11城訪問の旅)へのリンクは こちら
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訪問時期:2014年10月

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