八戸城 : 史跡碑と藩主像のみが佇む丘の上の三八城公園。

寛文四年(1664) 時の盛岡藩主 南部重直は跡継ぎを決めずして死去、盛岡藩10万石は2人の弟が継ぎ、それぞれ8万石(新盛岡藩)と2万石(八戸藩)に分割することとなった。八戸は南部直房の所領となり八戸藩が成立、明治まで9代続いた。八戸城は元々あった盛岡藩時代の館を修築したもので、御殿や蔵のみで天守や櫓などを持たない政庁だった。明治維新で破棄され、その後の都市化により遺構はほぼ消滅したが街の形や地名などに名残が残る。現在 城域は三八城公園となっている。

八戸城跡<基本データ>
●名称: 八戸城
●所在: 青森県八戸市 (マップ)
●築主: 南部直房
●築城: 寛文四年(1664年)
●遺構: 現地遺構ほとんど無し、移築門2棟
●関連: 八戸市博物館HP


<訪問記>

hachinohe-8105三八城公園 入口へ。三八城公園(八戸城)は北側が断崖の丘の上に建っていることから、往時の城の入口および現在の公園入口も南側となっている。ちなみに現在は北側へは北東の住宅街の中を通る道から出ることができる。

hachinohe-8106三八城公園 入口に建っていた八戸城 説明板。平野に突き出た大地の上に造られた八戸城は、元々は根城が築かれた建武新政の頃に同時に建てられた館が元になっているという。その後 根城南部氏が遠野に移封され根城は廃城。八戸は盛岡南部氏の直轄地となり城下町の普請がなされたが、その後その盛岡南部氏が無嗣で死去したため弟二人に分割され八戸藩が生まれた。左図は幕末1847年ころの八戸城下の状況。上が北、城の南側に計画的に配置された碁盤目の道沿いに城下町が形成されていることが分かる。

hachinohe-8107八戸城跡 石碑。八戸市公会堂の前に建っている。

hachinohe-8109公園の石碑を越えて先へ進むと、公園に入る前に三八城神社が鎮座している。ここには太祖南部光行、藩祖南部直房を祀り、旧八戸藩主軍装身具などの文化財が奉納されている(参考)。

hachinohe-8110三八城公園入口。とはいえここから先が城域というわけではなく、先ほどの案内板の古絵図によると、先ほどの石碑のあたりから先が城域だったようだ。(参考:古絵図拡大

hachinohe-8111三八城公園入ってすぐ右側に「八戸城本丸跡」の石碑がポツーンと建っていた。ここというより、このあたり公園敷地全体+αが本丸跡だ。

hachinohe-8112公園内の様子。真ん中に小山があるようだ。

hachinohe-8113三八城公園 案内図。真ん中の小山(築山)の上に藩主の銅像や城址碑などがあるようだ。特に遺構は無さそう。

hachinohe-8113a-8116まずは、北西部が断崖になっている小山の上に建っていることから、北西部の眺望を見ようと展望デッキへ。城跡なので物見櫓風に建ててくれればいいのだが、普通のコンクリート製。

hachinohe-8114展望デッキからの眺望。なかなかの高さ。

hachinohe-8117三八城公園内に建つ招魂碑。明治27・28年戦没従軍死亡者と明治37・38年の戦病没諸英霊が合祀されている。明治30年建立。明治27年は1894年=日清戦争、明治37年は1904年=日露戦争。

hachinohe-8118では公園中央の築山(つきやま)へ行ってみよう。往時から築山だったかは不明。

hachinohe-8120s築山の上へ。銅像が見える。

hachinohe-8121築山の上にある南部直房公 銅像。八戸藩が盛岡藩から分割したときの初代藩主。

hachinohe-8122南部直房公 銅像。平和な時代の藩主ではあるが、畳床机(たたみしょうぎ。陣を張った時に武将が座る折りたたみ式の椅子)に腰掛けて甲冑の上に陣羽織を着た姿となっている。

hachinohe-8123南部直房公銅像 説明板。意外と最近、2001年 (平成13年) 建立だった。

hachinohe-8124築山の山頂。岩の上に大きな城跡碑が建てられている。

hachinohe-8125城跡碑。かなり巨大で、更に岩の上に建っており、小さな字で彫られていることから、まったく読めない。

hachinohe-8126と思ったら、碑の前に現代語訳が書かれたパネルが建っていた。でもまだ字が小さくて読めないので、拡大写真を掲載

hachinohe-8128築山を少し降りる。元石垣かと思うような巨石が並んでいる。しかし本丸には櫓等は無く屋敷や蔵のみだったとのことなので石垣は無く、ここは屋敷に付随する庭園だったのでは?とも思った。実際はどうだったのだろう?

hachinohe-8129築山を北へ降りる。池もある。

さて石碑・銅像以外にあまり見るところがない三八城公園を出て、八戸城の遺構を見に町へ。

hachinohe-8131a-8103八戸市庁の道の向かいにある「南部会館」。この入口は、八戸藩の角御殿表門と言われている。かなり太い門柱、巨大な門扉。この付近の住所は「内丸」と言い、当時は二ノ丸の一角で、ここに角屋敷が建っていたという。つまりこの門は移築されたわけではなく、角御殿跡に南部会館が建ち、門だけが残ったというわけだ。角御殿は廃藩置県後に県の政務を行う場所となり、その後 南部家の私邸、村の集会所を経て、八戸市に移管されたという経緯から、壊されずに保たれてきたのだろう(参考:南部会館HP)。ちなみに勝手口が開いていたので中に入って門の内側も見たかったが、交通量が多くなかなか渡れなかったので断念。

hachinohe-8101市庁舎ロータリーにそびえる巨大なヒマラヤスギ。樹齢からして八戸藩時代からありそうだが、関係不明。実はその右奥に見える一本の木(電柱の向こう)、これはコウヤマキという種類で、藩政時代は城代屋敷の庭に植わっていたものと書かれていた。

nejo-8017(再掲)根城跡に建つ旧 八戸城東門の移築と言われる門。瓦は無く、装飾も少ないシンプルな門だ。

明治維新までは確かに存在した八戸城(天守・櫓は無かったが)は、残念ながら角御殿表門および根城跡の東門(移築)以外はほぼ遺構が残っていない。本八戸駅周辺は付近の中心街らしく大いに開発されてしまったこともその一端か。


“奥州仕置之旅顛末記”(2014年に敢行した3泊4日東北11城訪問の旅)へのリンクは こちら
<弘前城/根城/八戸城/盛岡城/志波城/多賀城/仙台城/山形城/米沢城/二本松城/会津若松城>


訪問時期:2014年10月
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