仙台城 [1/6] 本丸の騎馬像は二代目。初代は一部が三ノ丸跡に佇む

仙台城は初代仙台藩主 伊達政宗 が、関ヶ原直後の慶長五年(1600)から約2年を掛けて築造した、断崖と山林に囲まれた堅固な山城。正宗の死後には山麓に二ノ丸が造営され、以後はそこが藩政の中心地となった。天守は無かったが崖に飛び出す様に築かれた懸造(かけづくり)、巨大な櫓門や三層の櫓を複数持つ巨大な城だった。本丸の建物は明治に取り壊され、二ノ丸は陸軍用地となるも、米軍の空襲により大手門など現存していた殆どの建物を焼失した。大手門脇櫓が木造で復元された。本丸には有名な伊達政宗公 騎馬像が建つ。

仙台城<基本データ>
●名称: 仙台城(別名 青葉城)
●所在: 宮城県仙台市 (マップ)
●築主: 伊達政宗
●築城: 1601年(慶長6年)
●遺構: 石垣、曲輪、復元櫓1棟
●関連: 仙台城HP青葉城本丸会館


<訪問記>

仙台城跡はJR仙台駅から西へ約3km。歩いて行くにはちと遠い。駅前でDATE BIKE(ダテバイク)なるレンタサイクルを利用して城跡へ向かう。

sendai-8555a-8557s城の手前を横切る広瀬川に架かる「大橋」を渡る。ちなみに現在の大橋は昭和13年に造られた石橋で、そこから広瀬川を見下ろすと旧大橋の橋脚跡の柱穴が見られるらしいのだが見逃した。大橋を渡ると青葉山公園入口へ。左へ曲がると正宗時代の仙台城登城ルートへ。真っ直ぐ進むと二ノ丸造営後の大手門登城ルートへ。

sendai-8556交差点の手前左側の敷地は「片倉小十郎邸跡」。当時はこの西半分ぐらいは堀の底で、東半分程度が屋敷だったという。片倉小十郎は伊達家の重臣で(一国一城令でも特別に認められた)白石城の城主でもあった。

sendai-8558交差点のところに建つ、史跡 仙台城跡 石碑。実は結構あちこちに建っていた(3箇所確認)。ここは青葉城公園の入口にあたる場所。

sendai-8559この石碑から南へは細長い「長沼」という堀跡の一部が残っている。本来はこの道路やそのさらに向こうまで広がる幅広の堀だったそうな。しかし写真では緑に囲まれて堀が見えない。

大手門が出来る前の正宗時代の登城ルートから登ってみる。この道を真っ直ぐ進む。

sendai-8560ここから城内へ。まず博物館になっている三ノ丸跡を通って、右へ左へ曲がる坂道をあがって城内へ続くルートだ。看板には「本丸方面」とは書いておらず「騎馬像方面」と書いてある。一般の人には仙台城跡の中心地といえば本丸ではなく騎馬像ということか。ここにレンタサイクルを停めて徒歩で上がる。

sendai-8561しばらく進むと低い石垣が見えてくる。道が大きく曲がっていることから門の跡だろう。階段の横にある看板を見てみる。

sendai-8562三ノ丸 巽門(たつみもん)跡。巽(辰巳)は南東を意味し、三ノ丸の南東にある門という意味だ。三ノ丸にはもう1つ、子の門(ねのもん、北門のこと)もあるという。Wikipediaによると巽門は米軍無差別爆撃でも唯一生き残った城内建造物だったが、その後米軍が城地を接収、破壊されたとのこと。なんたることだ。図によるとなかなか立派な櫓門だったようだ。現在は発掘調査の結果を踏まえ礎石と雨落溝を平面復元している。左の図は何故かバス運行ルート(赤線)を示している。今いるのは赤線とは関係なく「現在地」と書かれている場所。

sendai-8563三ノ丸 巽門 平面復元。大きな礎石と、石で造られた溝が復元されている。礎石が現物かどうかは不明。

sendai-8565三ノ丸 博物館の敷地内にはいろいろ像や石碑が建っている。城に関係ないので歌人などは全スルー。唯一の見所はこれ、何と伊達政宗公 “初代” 騎馬像の胸像(現物)。何故ここにあるのか、土台に埋め込まれているプレートを見てみよう。

sendai-8566その前に伊達政宗公 胸像アップ。かっこいい。政宗公は「独眼竜」の愛称で知られるとおり、幼少時に病気で右目を失明し、隻眼(せきがん。片目)だったと言われる。しかし現在一般的な彼のイメージである「刀の鍔(つば)を眼帯にする」はドラマのイメージで、当時の文献によると布を巻いていた記述は残るも眼帯ではなかったとか。実際、右目が小さく描かれた絵などは残るが眼帯や布を巻いた絵は残らない。

sendai-8567胸像下のプレート。この像は仙台城本丸に建つ政宗公騎馬像の「最初のもの」であって、大戦時に徴用され失われたが、戦後に胸部より上だけが塩釜市内に捨てられているのが見つかったという。郷土史家が発見しそれを神社に奉納、そして博物館に展示されることになったとか。まさに奇跡の連続。

sendai-8568もう1つ、胸像の隣にある巨石は、当時 初代騎馬像の横に置かれていた説明碑(昭和10年造)。像設置に関わる経緯などが当時の言葉で彫られている。当時、政宗公300年祭にあたって騎馬像の除幕式を敢行したとか。

sendai-8569そしてこの碑をここにおいた経緯についても小さくプレートが埋め込まれている。確かに碑に彫られた像設置の経緯は一読の価値ありな詳細内容だった。

sendai-8570では博物館横の道から、本丸へと向かおう。実は巽門横から(銅像エリアを通らず)登城路へ直接向かう本来のルートがあるのだが、清水門跡が石垣工事中のため通行禁止。

sendai-8571博物館横の道をまっすぐいくと、奥は石積みのような場所。石積みの間には水が流れている。ここを乗り越えて奥の清水門前へ。このあたりは街灯がなく、明るいときは大丈夫だが日が暮れると本当に真っ暗で水にハマること必至。スマホの画面を懐中電灯代わりにして慎重に進もう(体験談)。

sendai-8572清水門石垣。左側は崩落修復工事のため立入禁止だった。井戸跡なども残るらしいが、まったく見れなくて残念。

sendai-8573では本丸方面へ向かおう。こちら側のルートには、大手門へ向かうまでに巽門、清水門、沢門の3つの城門があったようだ。残るは沢門1つ。

sendai-8574この折れ曲がりが沢門跡の石垣。

sendai-8575あまり整備されていないのか石垣は草が覆っている。だがこの雰囲気もまたよし。

sendai-8576道の左右には土塁跡と思われる土の盛り上がりが認められる。が道自体は舗装されてしまっていて(車は通行禁止)どこまで本物かは不明。

sendai-8577太い道に繋がる。これが二ノ丸増築後に造られた大手門から続く道。大手道では側溝の工事をしていて車道側への立ち入りが禁止、歩道のみの通行だった。鉄柵の資材をよくみると、ヘルメットをかぶった女の子がゴメンナサイしている姿を模してあって面白い。

sendai-8578大手道をあがっていく。側溝の工事がなされている場所はこんな感じ。

sendai-8579しばらく大手道を登ると・・・林の向こうに巨大な石垣が見えてきた!それまでの疲れが一気に吹っ飛ぶ瞬間。

>> 仙台城 [2/6] へ続く。<<


“奥州仕置之旅顛末記”(2014年に敢行した3泊4日東北11城訪問の旅)へのリンクは こちら
<弘前城/根城/八戸城/盛岡城/志波城/多賀城/仙台城/山形城/米沢城/二本松城/会津若松城>


訪問時期:2014年10月

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