志波城 [前編] 坂上田村麻呂が1200年前に建てた古代城柵。

志波城は平安時代(9世紀)の初めに古代東北地方に造られた「城柵」の1つ。古代日本では大和朝廷が大化の改新(645年、むしごひき)で制定した「律令」を基に全国を統一支配していたが、東北地方の人々はそれに従わず「蝦夷(えみし)」と呼ばれていた。その蝦夷を対抗するため朝廷が現地に設置したのが「城柵」で、724年に多賀城の造営にて蝦夷攻略が始まり、797年には征夷大将軍・坂上田村麻呂(さかのうえの たむらまろ)が勝利を収めると803年に付近を統治する巨大な志波城が造営された。しかし水害が多い地域だったことから僅か10年で移転され廃城となった。志波城跡はかつては別の古戦場と考えられていたが昭和51年の発掘調査で古代城柵と判明、築地塀や櫓などが順次 復元整備されている。

志波城<基本データ>
●名称: 志波城 [しわじょう]
●所在: 岩手県盛岡市 (マップ)
●築主: 坂上田村麻呂
●築城: 803年
●遺構: 堀跡、土塁跡、復元城柵 等
●関連: 志波城古代公園HP盛岡観光HP


<訪問記>

shiwajo-8329a-8331盛岡駅からタクシーで西へ行くこと約20分。東北自動車道の近く、田園地帯のど真ん中に突如 古代城柵跡「志波城古代公園」がある。(駅前のタクシーの運ちゃんは”志波城古代公園まで”と言っても通じなかったためスマホで地図や住所を見せて何とか到達。タクシーで行く人自体が少ないのだろう。30分に1本のバスもある) 入場無料!

shiwajo-8330簡易トイレの前に建つ巨大な看板は地元の中学生が作成。全体イメージが分かる、イイ看板。現在地は左端。ちなみに描かれている建造物はすべて復元されているわけではない。

shiwajo-8332まずは志波城跡の入口にあたる、外郭線上に復元された「外郭南門」および「築地塀」。これはすごい。

shiwajo-8332a-8338門を見に行く前に、周辺に配置された説明石碑を見に行く。

shiwajo-8333史跡 志波城跡 石碑。多賀城、秋田城、志波城などは「城」と呼ばれているが所謂 蝦夷(えみし)統治のための大和朝廷の統治拠点。時代は平安時代(9世紀)。同時期にいくつか造られた城柵の中でも、ここ志波城は最大規模を誇ったとのこと(右下の大きさ比較で、オレンジが志波城、黄緑が多賀城)。

shiwajo-8334志波城関連年表。赤字が志波城 関連部分。僅か10年ほどで移転してしまったため記録が少ないようだ。時代柄 仕方がないか。

shiwajo-8335志波城 建築の様子が描かれた石碑。木を組み立てた箱の中で棒で土を押し固める、築地塀(つきじべい)。この頃の城壁では定番で、すごい時間がかかるがめちゃくちゃ堅いのでそう簡単には崩れないそうだ。右のほうでは堀をほる人たちもいる。

shiwajo-8336絵図石碑その2。立派な門と築地塀が出来上がり、朝廷側の兵士が監視する中、蝦夷たちが献上物をもってやってきているところか。ちなみにこんな古い時代の絵もちゃんと残っているのかと思いきや、すべて「想像図」だった。あー。

shiwajo-8341では外郭南門へ。

shiwajo-8342外郭南門正面から。すごい迫力。時代柄、日本100名城である鬼ノ城(岡山)の復元西門に酷似している。あちらは「白村江の戦い」(663年) の後に唐の侵略に備えるために建てられた古代山城(神籠石)で、時代も100年ほどしか違わない。お互いに色々参考にしたのかもしれない。

shiwajo-8347外郭南門 説明石碑。すごく歪んでいるのは、ちょうど真後ろに太陽が居て正面から撮ると自分の影が写るので斜めから撮って補正したため。柱の位置、太さなどは発掘調査どおり、また柱の長さも穴の大きさや間隔などから計算で推定できるという。

shiwajo-8348外郭築地塀。かなり向こうの方まで復元されている。途中にある三本足の建物は見張り櫓。築地塀が途切れて樹木の壁になっている場所でも櫓はきちんと復元されていた。手前には浅いが空堀も復元されている。

shiwajo-8348a-8352外郭築地塀 説明石碑。1辺840m!ちなみに築地塀は堅く突き固められているので風雨等ではそうそう崩れないが、木を組み上げただけの櫓は数年で朽ちてくるそうで、既に1棟腐って崩れてしまったとか (1つだけやたら新しいのがあった、一番高速に近いやつ)。

shiwajo-8349外郭南門を斜めから。築地塀が隙間なく続いている。往時はこれが1辺840m、四方3km以上に渡って張り巡らされていたのだから本当にスゴい。

shiwajo-8354外郭南門。南から大和朝廷が乗り込んできていきなりこんな建物を建てられたら、蝦夷はさぞビビったことだろう。

shiwajo-8358外郭南門をくぐって裏側を見る。逆光にも負けず何とか撮影。二階に上がる階段もちゃんと設置されているが、普段は非公開で登れず。祭りの写真に二階から見ている人が写っていたので、そういうときだけ開放されるようだ。恐らく二階というよりハシゴが危険なのだろう。登りたかった。

shiwajo-8359外郭南門 内側 横から。この迫力、存在感。

shiwajo-8360外郭南門を通って南大路へ。築地塀の内側は普通に田畑が広がる私有地。並木道の間が南大路で、まっすぐ進むと政庁跡へ。

shiwajo-8361南大路を進みながらふと田んぼを見ると、田んぼアートが出来ていた。が、地面からではよく見えない。いにしへの風に逢う、だったか。このあたりに高い建物は外郭南門しかないが、二階には登れない。この田んぼアート、どこから見ることを想定して造ったのか… 飛行機!?

shiwajo-8363政庁の説明碑。政庁内は儀式エリア、実務エリアは政庁周囲の官衙(かんが)と呼ばれるエリアだったようだ。なお政庁エリアは入口の門が復元されているが、エリア内は平面復元のみのようだ。まずは政庁向かって右前に復元された「官衙建物(かんが・たてもの)」へ行ってみよう。

>> 志波城 [後編] へ続く。<<


“奥州仕置之旅顛末記”(2014年に敢行した3泊4日東北11城訪問の旅)へのリンクは こちら
<弘前城/根城/八戸城/盛岡城/志波城/多賀城/仙台城/山形城/米沢城/二本松城/会津若松城>


訪問時期:2014年10月

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