盛岡城 [1/5] 尖った先端、整った表面などカクカクした高石垣

盛岡城は盛岡藩南部氏がその居城として江戸時代に築城した総石垣造りの近世城郭。建物は明治期に解体されほとんど残らないが、東北有数の巨大な石垣が城跡に大規模に残る。跡地は岩手公園として整備され、本丸・二ノ丸・三の丸およびその周囲の各曲輪等が残る。

盛岡城<基本データ>
●名称: 盛岡城
●所在: 岩手県盛岡市 (マップ)
●築主: 南部信直 / 南部利直
●築城: 1598年(慶長三年)
●遺構: 石垣、空堀、曲輪、土蔵
●関連: 盛岡市HP盛岡観光情報HP岩手県HP


<訪問記>

morioka-8131南部氏の江戸期拠点・盛岡城跡は、JR盛岡駅より徒歩20分と記載されていた。パンフ記載の時間はかなりゆっくり目の徒歩を想定していることが多いので、まあ10分ぐらいで着くだろうと目処をつけ、JR盛岡駅を出発。今日は朝一行軍。現在7:47。

morioka-8140開運橋を渡ってまっすぐ東へ進むこと約15分。目の前に巨大な石垣群が見えてきた!盛岡城跡となる岩手公園(盛岡城跡公園)。話によると、ここは岩手公園という名称で明治時代より市民に親しまれていたが、平成になって自治体の独断で名前を変更したとか。しかも「じょうせき」ではなく「じょうあと」といういわゆる重箱読み。

morioka-8141盛岡城跡公園(岩手公園)案内図。本丸・二ノ丸・三の丸・および周囲の腰曲輪が石垣でガッツリ残っているようだ。どういうルートで巡るか悩ましい縄張り。しばらく看板の前で悩み、現在地から一段上がって本丸の周囲を見ながら二ノ丸の横を通って三の丸へ、そこから二ノ丸→本丸と向かう。続いてまた現在地まで戻り、今度は一番外周の石垣の周囲を回って三の丸へ向かい、そこから神社および歴史文化館(左上の大きな建物)へ向かうルートとしよう。

morioka-8142a-8138まずは本丸下の帯曲輪へ向かう坂へ。往時は見張り用の櫓でも建っていたのだろうか、張り出した小さな曲輪の石垣が目を引く。この角の尖りっぷり、そしてこの途中からの反り返りっぷり。

morioka-8135この尖った石垣の左側に、さっきの看板よりも更に細かく各遺構が描き込まれている地図があった。ちょっと字が小さいが、この画像をデジカメやスマホで撮影して現場で見比べながら歩くと非常に分かりやすい。

morioka-8143坂道へ。道は残念ながら舗装されてしまっている。石垣は非常に美しい「打込み接ぎ 布積み」だ。

morioka-8144坂道をあがると小さな枡形虎口がある。吹上御門跡。ここから上は本丸周囲の腰曲輪にあたる。

morioka-8145腰曲輪へ。木が縦横無尽に枝を伸ばして広がっているからか、雲ひとつ無い快晴にもかかわらずなんだか薄暗い。右端に見える石碑は城とは関係なく、池野祐壽という人の碑。城跡にありがちな、地元の名士および歌碑などの1つか。(基本的に城と関係ない碑は忠魂碑を除き本ブログではほぼスルー)

morioka-8146腰曲輪の遺構変遷という説明板があった。発掘調査の結果、盛岡城の前身である不来方城(こずかた じょう)時代の遺構から盛岡城の3期に渡っての増築工事の年代別遺構が出てきた、というお話。現在残る石垣が築かれたのは第二期盛岡城時代、17世紀前半(江戸初期)の頃のようだ。

morioka-8147腰曲輪の様子。

morioka-8149御宝蔵跡。土台のみ。

morioka-8150二重隅櫓跡。ちょっとだけ台座の石垣が残るのみ。石垣に合わせたL字型の櫓だったようだ。大坂城西の丸で見られるような形だったのだろうか。(参考:大坂城西の丸乾櫓

morioka-8155ぐるっと本丸周囲を回りこむ。左の石垣の上は本丸出口に隣接する武者溜まり、奥の赤い橋の右側が二ノ丸、左側が本丸だ。

morioka-8156では赤い橋の方へ。右側が二ノ丸、左側が本丸。石垣は打込み接ぎだが表面が削られとても平らに加工されている。角度も急で、敵を寄せ付けない感が満載。

morioka-8157本丸石垣。「そびえる石垣」の表現がよく似合う急角度、尖った先端。

morioka-8159このまま本丸に上がってみたいところだが、最初の計画通りまずは二ノ丸の周囲をめぐって三ノ丸へと向かおう。左の低い石垣の上は攻撃用の拠点だろうか。更にそのもう1段上が二ノ丸。

morioka-8160二ノ丸横から本丸方面を見返す。この辺りの石垣はより新しいものなのだろうか、打込み接ぎの隙間に埋める石がほとんどなく、切込み接ぎ状態になっている(というか切込み接ぎと分類してOKかも)。

morioka-8161二ノ丸と三ノ丸の境にあった巨石。石垣に埋め込まれるような形になっているが、元々ここにあった巨石の周囲に石垣を造ったのだろう。特にこの巨石に関する説明等はなかった。

morioka-8162では三ノ丸から二ノ丸へ向かおう(三ノ丸の散策は神社に向かう際に)。ここは二ノ丸と三ノ丸をむすぶ虎口にあたる「車御門跡」。正面を右へ曲がった先に門があったようだ。

morioka-8163二ノ丸へ。ここには往時「大書院」が中央にドドーンと建っていたようだが、今は影も形も無く、消防碑・警察碑・そして歌碑などがあるのみのようだ。

morioka-8168二ノ丸の建物 説明板。なんと岩手公園整備の際(明治39年)に造成されており、それまでの江戸時代の形状とは異なってしまっているという。藩時代は二ノ丸南東部が2mほど高く、その上に大書院が建っていたとか。今は平坦面に均されてしまったので、遺構は絶望的か。南西部の石垣も壊され、当時は西へ高さ2mほどの石垣が延びて虎口を形成していたとか。盛岡城跡は石垣がよく残っている印象だったが、明治39年造の「公園用の石垣」も実は多いようだ。残念。岩手公園ではなく盛岡城跡公園として売っていきたいのなら、どこが遺構でどこが近代のものか明確に説明板等で示すべき。

>> 盛岡城 [2/5] へ続く。<<


“奥州仕置之旅顛末記”(2014年に敢行した3泊4日東北11城訪問の旅)へのリンクは こちら
<弘前城/根城/八戸城/盛岡城/志波城/多賀城/仙台城/山形城/米沢城/二本松城/会津若松城>


訪問時期:2014年10月
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