根城 [前編] 博物館前の南部師行公像と八戸城移築門は必見。

根城は「三日月の丸くなるまで南部領」でお馴染み南部氏の一族 南部師行が建武新政の頃(1334)に建てたとされる中世城郭。支族の多い南部氏の中で根城南部氏の居城として栄えるが、秀吉〜家康の頃から盛岡を拠点とする盛岡南部氏が勢力を伸ばしその家臣格となる。江戸時代になって寛永四年(1627)に根城南部氏は遠野に移封され、根城も廃城となった。天守など織豊時代以降に見られるような城郭建造物は建てられなかったが、貴重な中世城郭遺構として発掘調査が行われ、それを元に主殿や工房などの屋敷跡や巨大な空堀跡、門跡などが復元整備されている。

根城 復元御殿<基本データ>
●名称: 根城 [ねじょう]
●所在: 青森県八戸市 (マップ)
●築主: 南部師行
●築城: 建武元年(1334)
●遺構: 堀跡、土塁、曲輪、復元主殿等
●関連: 根城の広場HP


<訪問記>

“奥州仕置之旅顛末記”(2014年に敢行した3泊4日東北11城訪問の旅)へのリンクは こちら
<弘前城/根城/八戸城/盛岡城/志波城/多賀城/仙台城/山形城/米沢城/二本松城/会津若松城>

—– —– —– —– —–

根城跡は現在「八戸市立 根城の広場」として博物館付きの城跡公園として整備されている。最寄りの八戸駅からは直線距離で2.5kmほどあり歩いて行くのはちょっと大変。その名も南部バスに乗って、根城博物館前まで行こう。(10分〜15分に1本出ている)

nejo-7986a-8008まずは博物館から。博物館と根城広場のセット券400円があるのでそれを買う。100名城スタンプは博物館の受付にある。

nejo-7987博物館内へ。入ってすぐにあった根城模型。300年の根城歴史のうち、秀吉天下統一の頃の「戦に備える根城の様子」を復元したのだとか。兵士160体を配置とあったので、ちょっと細かく見てみよう。

nejo-7989根城大手門付近の様子。堀に架かる木橋を超えると蔀(しとみ、門から城内を見渡せないよう遮蔽の壁)があり、その左右に小さな門と門兵が居る。城壁は昔ながらの丸太塀だ。

nejo-7990城内では大将を中心に軍議が行われていた。ノボリがはためく様子も見事に再現。いい感じ。

nejo-7991騎馬武者から兜を受け取る武士。傍らには弓を構えた武者が居る。女性たちが囲んでいる。周囲を兵が守っている。これは・・・初陣の儀式か、あるいは論功行賞か?

nejo-7994長槍を持つ門番兵。南部氏といえば家紋は南部鶴が有名だが、元々 南部氏は甲斐武田氏族とのことで替紋として割菱を使うこともあった、とある。まさに復元模型には割菱のノボリや盾が多く見られる。

nejo-7995a-7997三日月の丸くなるまで南部領。南部氏最盛期の頃の南部領は、青森県最北端から岩手県の南部まで。まさに北端から南端まで歩けば、最初は三日月だった月が満月に近くなるまで(つまり12−13日)かかってしまうほど広い、ということだ。戦国時代初期、このように奥州で一大勢力を誇った南部氏だったが、当主 南部晴政が没すると領内の支族たち(大浦為信、後の津軽為信など)が挙兵するなど混乱に陥り、南部領は支族たちによって分割されていった。

nejo-7996根城南部氏の雑兵が着用したとされる鎧。

nejo-8009博物館の外に出ると、建武新政の頃(1334)に根城を建てた南部師行公の騎馬像があった。

nejo-8012南部師行公像 正面から。手綱を引いて馬が停まったところで、馬上の師行公が地面に居るであろう家臣等を見下ろしている場面か。とても臨場感・躍動感あふれる騎馬像。

nejo-8013後ろ側から。手綱を引かれた馬が踏ん張ってのけぞる姿がよく表現されている。かっこいい!

nejo-8014台座にはめこまれていた南部師行公の説明。太平記の時代。左の図は南部家の家紋「対い鶴(むかいつる)に九曜紋」。

nejo-8016では根城跡へ行ってみよう。博物館の前に「史跡 根城の広場」入口がある。

nejo-8017根城の広場 入口にある大きな木戸門。何とこれは旧 八戸城東門を移築保存したものという。八戸城は根城廃城後、盛岡藩から八戸地域で分立された八戸藩の拠点で、根城から東へ2.5kmほど行ったところにあった。説明板は、分かりづらいが左端の足元(現場では見逃して写真撮り損ねた)。

nejo-8019根城の広場 全体図。今は一番左の堀の右側(赤字のシールが貼ってあるところ)。東善寺跡、中舘跡などの広い曲輪を経て、深い堀で囲まれた本丸へと到達する。

nejo-8020旧 八戸城 東門の内側。屋根が瓦ではなく板張り?になっており、まるで神社のような両端が沿った棟。厳しい寒さへの対策?

nejo-8021根城の広場入ってすぐにある堀跡。往時はもっと深く鋭角だっただろう。

nejo-8022堀跡 説明板。発掘調査の結果、やっぱりこれぐらい深くて鋭角な堀だったようだ(薬研堀という)。人型の大きさkから、4mほどの深さがあった模様。せっかく整備復元したのなら、この規模で復元展示してもらいたかったところ(ちゃんと説明板を見ないと堀のすごさが分からないので)。

nejo-8026通路跡。発掘調査の結果、堀を埋め戻して砂利を敷いて通路にしたものだったとか。ただ現在は完全に戻されて広場状態なので、どこにどう道があったのかが全く分からず。

nejo-8028中舘前の堀跡。なぜか堀の底に草が生えている。

nejo-8029a-8027中舘前の堀跡 説明板。ここもV字型の薬研堀で、底は水が湧いていた自然の水堀だったそうだ。

nejo-8030中舘前の堀跡と国道が交差するあたりにある史蹟碑「史蹟 根城阯」。史蹟の字が旧字なのでこの碑は戦前の旧法時代(史蹟名勝天然紀念物保存法)に建てられたものと分かる。側面には昭和十六年建立と刻まれていた。

nejo-8031中舘跡。といっても建物等は復元されておらず、中央に遺跡ジオラマと奥に休憩所の四阿(あずまや)があるのみ。写真の黒い点々は、大量の鳩。

nejo-8033根城 全体ジオラマ。白黒だけど結構精巧にできている。往時の姿ではなく、現在の根城復元状況のジオラマのようだ。結構いろいろな建物が復元されていることが分かる。

nejo-8034根城 全体屋外模型 説明板。先ほど見たジオラマと、壁面にザックリと周辺地域も含めた地形模型とがある。

nejo-8035さて、では本丸へ向かおう。往時と同じく、深い堀に架けられた木橋を渡る。往時はこれを落とせば、敵兵はこの深い堀を渡るしかなくなる。当然 往時には手すり無し。見学客が落ちたら大変なので柵の設置は仕方ないのだろうが、いまいち迫力に欠ける。

nejo-8036木橋を渡って左へ。門を越えた先が本丸。門の前に門兵のマネキン(リアル志向で)でも置くと迫力出ていいかも。

nejo-8037本丸に入ると料金所の横にズラリと並ぶ説明パネル。順に見ていくか。まずは本丸跡パネル。現在地は右端。昭和53年から11年(!)掛けて発掘調査を行い、約400棟の建物跡が見つかっている。歴史の長い(14世紀から17世紀の300年)根城のうち、復元は安土桃山時代の遺構を元に行われたとのこと。

nejo-8038南部氏の流れ パネル。南部氏は支族が多く分かりづらいが、根城ラインと盛岡ラインだけがシンプルに書いてあって分かりやすい。なおここが根城なので根城南部氏の流れが大きく書かれているだけで、実際は右側の盛岡南部氏が南部家宗家。他に重要な支族としては弘前藩の津軽為信(大浦為信)が居る。

nejo-8039根城復元予想図。一番下が本丸、各曲輪が深い堀で区切られており、更にその全体が丘の上に建っていることもわかる。

後編では本丸内の各復元建造物を見ていく。

>> 根城 [後編] へ続く。<<

訪問時期:2014年10月
– – – – – – – –
城めぐり関連ブログ人気投票参加中. いつも投票アリガトウ!

このブログは果たして何位でしょうか? (=゚ω゚)ノ

 

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中