坂本城 湖中石垣を見てきました。[2021.11]

坂本城は明智光秀が比叡山麓の坂本に築いた水城。琵琶湖にせり出すように石垣を組み上げ、安土城よりも早く「天守」相当の大櫓があったとも言われる。本能寺の変後の山崎の戦いで明智家が滅ぶ過程で焼失した。その後、丹羽長秀・浅野長政らが城主となり再建されていたようだが、1584年の大津築城に際し石垣等の資材は流用され、遺構は地表面んは殆ど残っていない。琵琶湖にせり出して作られていた本丸石垣の根石および胴木等が僅かに琵琶湖の湖中に残っており、渇水で水位が低下するとそれらが露出することで知られる。

2021年11月、琵琶湖の水位低下により露出した石垣の様子をお届けします。

<基本データ>
●名称:坂本城 (さかもとじょう)
●所在:滋賀県大津市下阪本 (地図)
●城主:明智光秀
●築城:1571年(元亀二年)
●遺構:湖中に残る石垣・胴木
●時間:30分(14:30-15:00)

訪問時期:2021年11月
坂本城 訪問記(2013) はこちら


<訪問記>

2021年11月、琵琶湖水位が -60cm だった日(11月上旬)と、その後 -66cm まで進んだ日(11月中旬)の計2回、現地を訪問しました。時系列でそれぞれ紹介します。

水位低下により水中の石垣が露出する例として、愛媛県の甘崎城がある。しまなみ海道の無人島に築かれていた村上水軍の海城で、その後 藤堂高虎が伊予国主となった際に大改造し、島をぐるっと取り囲むように海中に石垣の城壁が築かれていた。城壁の多くは失われたが、干潮時に石垣の残欠が浮かび上がる。甘崎城の石垣は3〜4段が残っており、かなりの見応えがある。坂本城も2〜3段残っていれば・・・。

参考:干潮時に海中から姿を表す、愛媛県・甘崎城の石垣。

>> 坂本城 訪問記(2013) へ <<

訪問時期:2021年11月
撮影機器:FUJIFILM X-T20 + XF10-24mm


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