甘崎城 [1/3] 村上水軍の海城を藤堂高虎が総石垣にした海上要塞。

伊予 甘崎城
甘崎城(あまざきじょう)は瀬戸内海の大三島と生口島との間の鼻栗瀬戸と呼ばれる細い海峡を押さえる場所に位置する海城で、戦国時代は村上水軍の拠点城だった。藤堂高虎が伊予を領すると、島を取り囲むように石垣が築かれたが、藤堂家が伊勢に転封となるとやがて廃城となったという。かつては水中から高さ5mほどの石垣がそびえていたそうだが、幕末頃に堤防構築のため撤去された。干潮時には西隣の大三島と陸続きになり、島に歩いて渡ることができ、水中に残された石垣の一部など遺構を見ることができる。2018年6月某日、大潮の日を狙って「海を渡って」登城してきました。

<基本データ>
●名称:甘崎城 (Wikipedia)
●所在:愛媛県今治市上浦町甘崎 (地図)
●城主:村上通康、藤堂高虎
●築城:16〜17世紀
●遺構:石垣、岩礁ピット跡

訪問時期:2018年6月
甘崎城 訪問記 − 其の一


<訪問記>

amazaki-map01場所のおさらい。甘崎城は瀬戸内海に掛かる大橋群「しまなみ海道」のある諸島の中央部、生口島と大三島の間の海峡に位置する小島に築かれていた。離島だが、大三島のすぐ東にあり、大潮で水位が下がると歩いて渡れるようになるという。

amasaki_01_59306月某日。今日は甘崎城 海割れの日。全国各地から集まった仲間たちと甘崎城へ歩いて渡るイベントに参加してきた。干潮は18時頃の予報。甘崎城を遠景で見ようと近くの多々羅展望台へやってきた。場所はココ。近くの「道の駅 多々羅しまなみ公園」から歩いてすぐだ。

amasaki_02_5929ちょっと変わった形の展望台。本来は北側に見える多々羅大橋(しまなみ海道)を見るための場所かもしれないが、今回の目的は反対側の南側にある。

amasaki_03_5926多々羅展望台から見る、甘崎城。右奥に見える小島がそう。

amasaki_04_5924甘崎城 遠景 望遠。3つの小島が見える。一番右側の大きな島。まだ繋がってはいないようだ。現在 15:45。

amasaki_05_5935では甘崎城の近くまで移動しよう。島の真ん前に着いた。雲ひとつ無い快晴! 海もエメラルドブルー状態だ。

amasaki_06_5938大きな看板が目印。この脇の階段から海岸に降りられる。その前に説明板を見ていこう。

amasaki_07_5933甘崎城跡 説明板。雑誌等でよく見かける香川元太郎氏によるカラーの復元画だ。広島の浅野文庫「諸国古城之図」に掲載の古絵図をベースに描いたのだろう、島の周りを石垣が固め、内部も陸地と化している。右上が北。今居る場所は左上の陸地あたりだろう。

amasaki_08_5931甘崎城を見る。島の手前に少しだけ陸地が出来ている。あれがこれから広がっていくのだろうか? 現在 16:08。

amasaki_09_5945ワクワクしながらひたすら待つ。現在 16:28。だいぶ広がってきた。

amasaki_10_5949現在 16:37。おお、手前の陸地が城山まで繋がったぞ。手前の頂部はもう砂が乾いている。

amasaki_11_5956現在 16:40。どんどん陸地が広がっている。一気にスピードアップしてきた。大潮すごい!

amasaki_12_5966現在 17:01。L字型だった島はすっかり丸くなった。全体的にどんどん水かさが減っている。

amasaki_13_5968現在 17:04。待ちきれなくて下に降りる。そして重大な間違いに気づく。この眼の前の陸地が、どんどん広がって手前まで来てつながるのかと思いきや、、、

amasaki_14_5973島の向かって左奥に、斜めに向かって浅い部分が出来ていた。まだ水は完全に引いてはいないが、すでに水深5cmほどになっていて、友人衆が歩き始めた! 現在 17:05。

amasaki_15_5976浅くなった海をバシャバシャ渡る。いつもの山城攻めの靴ではなく、このために今日はクロックスを履いている。快晴でやや暑い日だったので、水が冷たくて心地よい!

amasaki_16_5979どんどん歩いて甘崎城を目指す。すでに上陸している人が数人居る。五番槍ぐらいか。まっすぐ進みたくなるが、右側に出来ていた島の方へ向かおう。

amasaki_17_5980おお、いよいよ上陸!

amasaki_18_5982島の目の前に広がっていた新島へ、上陸! 現在 17:03。予報では 18:05ぐらいが最大干潮とのことだったので、1時間前には海面も浅くなり歩いて渡れるレベルになるようだ。

amasaki_19_5983島の真ん中へ。写真は撮っていないが後ろはまだ海、結局この中央の新島が、陸地までつながることは無かった。入城は向かって左側の浅瀬から。続々と人が渡ってきているようだ。渋滞する前に遺構を見て回ろう。

amasaki_20_5985まず城の正面には、石垣の残骸とも言うべき、最下段の石列だけが残っていた。

amasaki_21_5986キレイに一列に並べられた石材。当時はこの上に高さ三間半(5mほど)の石垣が積み上げられていたという。

amasaki_22_5988石列で四角く区画された場所。諸国古城之図とは少し形が異なるが、出入り口があったと思われる。

amasaki_23_5991島の向かって右奥(南側)へ。この奥には最も石垣がよく残る場所があるという。手前に石列と、奥も石垣になっているようだ。

amasaki_24_5992まるで櫓台にも見える、四角く整形された石垣造りの削平地。諸国古城之図には石垣しか描かれていないが、隅部には櫓とは言わずとも物見台的なものがあったとしても、おかしくはない。

amasaki_25_5993石垣の下へ回り込んでみよう。普段水に浸かっている場所だからこその、貝がビッシリついた石材。

amasaki_26_5995隅部へ。地面は土ではなく岩盤。岩が少し出張ったところの上に隅石垣をうまく載せて築いていた。このあたりだけ、三段ほど石垣がキレイに残っていた。

amasaki_27_5999下がれるところまで下がって全景撮影。通常はこの石垣は全て海の中。古絵図には石垣高さ三間半とあるので、実際にはこの三倍ぐらいの石垣が積み上げられていたことと思われる。

amasaki_28_6004隅部をしっかり見る。一番下は岩盤。岩盤の盛り上がった岩の上に隅石を積み上げる石垣は、三原城にもあった。三段しか無いが、算木積みぽくはなっている。

amasaki_29_6006側面を見てみよう。ずっと水に浸かっているので変色して黄色くなっている。

amasaki_30_6009四百年間、浮かんだり沈んだりしながら耐えてきた石垣。圧巻。

amasaki_31_6014石垣はこのあたりで途切れている。これがぐるっと島の周りを囲んでいたのだ。残っていれば圧巻の光景だっただろう。

>> 甘崎城 [2/3] へ続く。<<

訪問時期:2018年6月
撮影機器:FUJIFILM X-T10 + XF10-24mm
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