[blog] 日下古文書研究会会報「くさか史風」第8号に写真提供しました。

あきおうです。先日写真提供を行った会報が出版されましたので、ご紹介します。

東大阪で主に地元に伝わる古文書の解析・翻訳などを通じて、江戸時代の地元の生活・事件・風俗などを紐解く活動をされている「日下古文書研究会」さん。その会報「くさか史風」第8号の大坂城にまつわる記事に当サイトより写真を提供しましたので、簡単にその内容をご紹介しますね。


会報のご紹介

2021年11月に発行されました会報「くさか史風」第8号では、江戸時代に発生した「大坂城御金蔵破り」事件に関する記事が掲載されています。大坂城には大天守の東南あたりに、江戸幕府の金銀を保管するための「御金蔵」が現存しています。

大坂城 御金蔵 外観
大坂城の御金蔵。2014年の特別公開時の写真より。

三重の分厚い扉に鉄格子の窓、床下には石敷きなど、盗難と火災から金銀を守る鉄壁の建物だった御金蔵ですが、享保十五年(1730年)と元文五年(1740年)の二度も大量の金銀が盗まれる事件が起きています。

大坂城 御金蔵 窓
御金蔵には窓もあるけれど分厚い扉に細い鉄格子がハマっており、簡単には忍び込めない。

大事件であったはずの御金蔵破り、その犯人や経緯については何故か公式記録である奉行所文書に記載が乏しいものの(1回目については犯人すら書かれていないとか)、当時の地元の庄屋日記に詳細が書かれていることが分かっており、その内容を細かく読み解いて事件を解説しています。いずれも内部犯行ではなく、関係者の手代衆・中間らによる計画的犯行だったようです。

大坂城 御金蔵 内部石畳
御金蔵の床下には分厚い石畳が敷かれている。

奉行所の公式記録よりも、町に伝わっていた情報を元に庄屋が日記に記した内容の方が詳しいというのも、当時の大坂城の管理体制に起因しているようです。大坂城は幕府直轄のため城代・城番を譜代大名や旗本らが交代で務めており、担当者が代わるごとにそれまでの管理資料は彼らの国元に持ち帰られ、今や散乱してしまっているとのこと。今後全国の古文書研究により当時の文書が見つかれば、より詳細が分かるかもしれない、とのことです。

御金蔵内部で展示されていた当時の大判小判。小判は改鋳でだんだん小さくなり、金の含有量も変わっていったとか。

会報では、他にも三好氏研究などで著名な天理大学の天野先生の特別寄稿「戦国時代の深野池・新開池でのおもてなし」など、計7本の記事が掲載されています。

興味があれば、ぜひ下記から研究会さんへ問合せをしてみてくださいね。

ご提供した写真は上記2014年の記事より。御金蔵また公開されないかなあ。

リンク先

日下古文書研究会ウェブサイト

・元記事(城めぐりチャンネル)
 大坂城 現存櫓 特別公開レポート [4/4] 御金蔵(2014.11)


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