大宰府政庁跡 : 飛鳥時代から平安時代まで続いた西都・西海道統治拠点

大宰府政庁跡は大和朝廷(ヤマト政権)が全国に建てた地方統治拠点の西海道版で、政治・軍事・外交など多大な権限を有し「遠の朝廷(とおのみかど)」と呼ばれた。大宝律令(701年)制定後は全国の他の大宰府は廃止されたが、ここ筑紫国の大宰府は残された。当初は掘立小屋だった政庁も時を経て立派になり、現在見られる遺構は巨大な礎石瓦葺き建物が建ち並んだ平安後期頃の最終形態とされる。元号令和の由来となった万葉集の一節は、当時の長官(大宰帥)だった大伴旅人が自邸で開催した梅花の宴の1シーンである。また大宰府は当時の首都だった大和/山城から遠く離れており、失脚した政治家の左遷地として扱われることもあった。太宰府天満宮は、菅原道真が無実の罪で左遷され失意の中で死亡した後に朝廷内で事故・災害が多発し、道真公の祟りだと恐れられ鎮魂のために墓所に祠廟を建てたことが始まりとなっている。ちなみに史料により「大宰府」「太宰府」と表記が異なっているが、太宰府観光協会では歴史上の政庁跡を「大宰府」、行政上の地名は「太宰府」としていることから、当サイトでもそれに倣う。

<基本データ>
●名称:大宰府政庁 (Wikipedia)
●所在:福岡県太宰府市 (地図)
●城主:大和朝廷(ヤマト政権)
●築城:6〜7世紀頃
●遺構:礎石、堀跡、土塁跡等
●時間:30分 (1430−1500)

訪問時期:2019年1月


<訪問記>

この日は四王寺山一帯の史蹟めぐりということで下記を回っています。セットでどうぞ。
大宰府政庁跡(飛鳥時代〜平安時代の役所跡)
水城跡(古代城壁・続百名城)
大野城跡(古代山城・百名城)
岩屋城跡(戦国時代の山城)

訪問時期:2019年1月
撮影機器:FUJIFILM X-T20 + XF10-24mm

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