村雨城 寺前城 : 同じ丘陵上に隣接する甲賀武士の中世城館跡。

村雨城(むらさめじょう)と寺前城(じぜんじょう)は滋賀県甲賀市に残る中世城館跡で、小さな丘陵上に大堀切を隔てて南北に隣接する形で存在している。当時の古文書などにはその名前や城主は記されておらず、詳細不明のまさに「謎の村雨城」。村雨城は分厚い土塁を持つ方形城館で、寺前城は複雑な虎口を持ち頂部を削平した山城形式となっている。これらは異なる名前を持つ別城とされているが、寺前城が副郭、村雨城を主郭とする一体化した城郭(一城別郭)ではとも言われている。国指定史跡「甲賀郡中惣遺跡群」の一つ。

<基本データ>
●名称:村雨城 寺前城
●所在:滋賀県甲賀市 (地図)
●城主:不明
●築城:16世紀頃
●遺構:土塁、堀切、虎口

訪問時期:2016年10月
甲賀郡中惣遺跡群 : 新宮城/新宮支城村雨城/寺前城竹中城


<訪問記>

murasame_01-8165村雨城と寺前城。二つで一つのお城なのだが、読み方は「むらさめじょう」と「てらさきじょう」…ではなく何故か「じぜんじょう」という、訓読み音読みでややチグハグ感。などと考えながら登城口へ。この小屋が目印。

murasame_02-8158付近の甲賀武士の中世城館跡は「甲賀郡中惣遺跡群」としてワンセットで国指定史跡になっている。よって立派な標柱も建つ。甲賀郡+中惣+遺跡群、と読んでしまいがちだが誤り、正しくは甲賀+郡中惣+遺跡群。郡中惣(ぐんちゅうそう)とは戦国時代に国人や地侍らが支配と防衛のため郡単位の協同体制のこと。甲賀郡中惣遺跡群は、ここ村雨城・寺前城の他に、新宮城跡新宮支城跡、竹中城跡の5つが指定されている。

murasame_03-8160上の標柱の少し奥には甲賀市教育委員会が建てた説明板もある。標柱から少し離れて設置されているので見逃さないよう注意しよう。

murasame_04-8218s登城口前の説明板は字だけだが、実は寺前城の奥に建つ説明板には詳細な図面が掲載されている。そちらを先に掲載して、全体像を掴もう。赤丸が現在地。そこから真っ直ぐ奥へ進んで、まずは大土塁に囲まれた方形城館跡の村雨城へ。そこから西へ堀切を二本越えて進むと寺前城。青丸がこの図面が掲載されている説明板がある場所、緑丸は「寺前城」の標柱の在り処(かつ登り口)だ。

murasame_05-8228では村雨城の登城口より中へ入ろう。入ってすぐ、目の前に巨大土塁が見えてくる。村雨城 主郭外周の高土塁だ。あの向こう側が主郭。

murasame_06-8168高土塁を外部からも見たかったが、杉が植林されていてその姿を遮っている。諦めて中へ入ろう。

murasame_07-8171こちらが村雨城 主郭 平虎口。土塁を削り取った甲賀武士城館の典型的な入口だ。その前にはまっすぐに伸びる土橋状の大手道。

murasame_08-8176村雨城 平虎口。向こう側の土塁も虎口越しに見える。甲賀城館跡ではお馴染みの光景だ。

murasame_09-8179s虎口へどんどん近づいていく。内部は草原のように草が生えているようだ。

murasame_10-8181村雨城 主郭内部。外周をぐるっと土塁が囲んでいるが、それほど土塁は高くはないようだ。そして主郭内部は完全に一面が笹の海と化していて、ちょっとウロウロ散策してみる気にならない状態。ただ土塁の上へあがるための道だけは草が刈られていた。

murasame_11-8182村雨城 主郭を別角度で。笹は足元から30〜50cmの高さだったので、見た目よりもやや土塁の高さや主郭深さはあるだろう。

murasame_12-8187では土塁の上へ。土塁の上も笹だらけだが、このように通り道だけキレイに刈ってある状態。

murasame_14-8194土塁の上から見下ろす、村雨城 主郭全景。キレイに四角に形どられていることが分かる!

murasame_15-8199s隅部から。また違った雰囲気を楽しめる。他の新宮城や望月城などと比べると村雨城は小型の城郭のため、写真では杉の木が大きく見え、全体像が見えづらい。人間の目はよく出来ていて、不要なものが見えないように感じる。ここでは大量の杉の木が、現地ではあたかもそれらが無いように感じてしまう。こういう城跡へ来るとつとにそれを感じる。

murasame_13-8192土塁の上から反対側(南側)を見下ろす。主郭の南側を防衛する巨大堀切。主郭土塁との高低差はかなりのものになる。

murasame_16-8203では村雨城を越えて、北側に隣接する寺前城へ行ってみよう。土塁をぐるっと回って北側から、堀切へ降りるのだが、降り口がよく分からない。何となく、草が凹んでいるこのあたりから斜面を斜めに降りてみる。

murasame_17-8205最初の堀切へ。土橋風の場所も見える。

murasame_18-8207堀切の奥にはやや低い削平地があり、土塁らしき土の盛り上がり跡も残る。

murasame_19-8209そして奥へ。最初の堀切よりもかなり大きく深い堀切が現れた。二番目の堀切。堀切の向こうの切岸の上は寺前城 主郭だ。

murasame_20-8214寺前城 主郭下の大堀切。堀底を奥に向かうと、近年作られた貯水池「大谷池」へ。当時は丘陵間の谷間だったのだろう。ちなみに大谷池の向こう側は巨大土塁を持つ新宮城新宮支城がある。

murasame_22-8216大谷池側へ出てみる。ここには大谷池改修記念碑と辯財天の石碑があり、その脇に 寺前城・村雨城の図面付き説明板がある。

murasame_23-8217寺前城・村雨城 説明板。特に村雨城はこれだけの遺構ながら、当時の史料には一切その名前が出てこない詳細不明の城だという。まさに「謎の村雨城」。ちなみになぜ登山口側ではなく城跡と大谷池の間という微妙な位置にこの説明板を設置したのだろうか。

murasame_24-8220では大谷池側から斜面に作られた道を通って主郭上へあがってみよう。谷側へ直接降りられるこの道はおそらく当時の道ではないと思われる。

murasame_21-8215寺前城 主郭の様子。こちらは村雨城側と異なり、ほとんど整備されていない状態。甲賀城館によくある主郭外部を囲むように作られた土塁は削られ、一部が残るのみ、と資料にはあったが、写真のとおり通路以外は完全に森になっていて土塁そばまで行けず。

murasame_25-8225そのまま道に沿って斜面へ、降りてきてしまった。複雑な虎口が特徴とされている寺前城だが、その複雑な虎口自体が草ぼうぼうで、よく分からない状況。こちらが降り口。寺前城の標柱のあたりから降りてきたのだが、下から見ると全く登り口が分からない状況で、しかも標柱のあたりに溝があるので別の意味でも危ない。村雨城側との扱いの差を感じる。

murasame_26-8226丘陵の先端部に作られた、寺前城 外観。左端のあたりが、一つ前の写真の寺前城 標柱がある場所。

murasame_27-8227丘陵の南側、背後に位置する村雨城 全景。右の白い車があるあたりが登城口。

訪問時期:2016年10月
撮影機器:FUJIFILM X-T10+ XF14mm
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