望月城は滋賀県甲賀市の丘陵の先端に位置する城跡で、巨大な土塁で周囲を囲った主郭を持つ、甲賀武士による典型的な方形城館跡の一つ。高さ7〜8mに及ぶ巨大土塁が広い主郭の周囲を分厚く囲むその様は一見の価値あり。城の北側には隣接して低い土塁を持つ馬出しのような帯曲輪や堀切に架かる土橋も残る。望月城は史料には出てこないようだが、戦国時代 甲賀地区で勢力を誇っていた望月氏は、信長に攻められて逃げ落ちる近江守護 六角氏が助けを求める書状を送った記録も残る。
<基本データ>
●名称:望月城 (Wikipedia)
●所在:滋賀県甲賀市 (地図)
●城主:望月吉棟
●築城:16世紀
●遺構:土塁、虎口、土橋、堀切
訪問時期:2016年10月
<訪問記>
甲賀市甲南町杉谷 という地区にある、新名神の近くにあるこの竹林の丘陵が、望月城跡。花畑の奥に見える坂道から上へ登ろう。
では登城開始。坂道を登っていく。一度折れ曲がると、すぐに主郭入口の虎口前郭へ到着する。
主郭虎口前の郭には小さな社ががある。手を合わせてから城郭へお邪魔しよう。
こちらの土の切れ目が、主郭への入口の虎口にあたる。望月城 正門。
主郭虎口から内部を覗く。広い削平地の周囲を、高い土塁が囲っていることが、入る前から分かる。高い土塁に圧倒的な迫力を感じる。
虎口を通って主郭内へ。周囲を取り囲む高い土塁を間近に見る。高さは場所によって人の背丈の3〜5倍ぐらい、5〜8mぐらいか。
主郭虎口を振り返る。かつてはここにどのような門構えがあったのだろうか。
虎口の斜面を見ると大小の石が埋もれている。石積みがあったのだろうか。
主郭奥へ。高い土塁だが、比較するものがないので写真ではイマイチ高さが伝わりにくい。斜面から生えている竹が、平坦部から離れた場所にも生えているところから想像いただけるだろうか。竹は細く見えるが直径10cm以上はある立派に育ったもの。
斜面へ近づく。土塁が削れてこのあたりは緩やかになっているので上へあがってみよう。
最初の縄張図にもあったように、主郭西側には中二階のような場所がある。社を祀っていた場所だろうか。
土塁の上へ。結構高い。虎口以外はぐるっと回ることができる。
土塁上から魚眼レンズで全景撮影。かなりの広さがあることが伝わるか。
再び主郭内に降りて魚眼撮影。高土塁にすっかり囲まれている。いつも心配になるのは、大雨が降ったらプールになるのではないかということ。唯一の水の逃げ道である虎口から排水しやすいよう、段差をなくしたり、いろいろ工夫が施されていたのだろうか。
土塁の中腹あたりから主郭内を。普通の超広角レンズでは、画角が足りず全ては収めきれない。
再び虎口あたりから主郭内を。立派な屋敷が中に建っていたのだろう。しかし高い土塁(更にその上にも柵や物見櫓などがあっただろう)に遮られて、外からはその姿は見えなかったと思われる。
では主郭外周部を回り込んで北側へ。出丸跡があるので見に行ってみよう。外周部は完全に竹林となっている。
主郭北側の出丸跡へ。主郭に比べれば低いが、それでもしっかりとした土塁が外側を守っている。主郭との間には横堀(空堀)。大坂城における真田丸 状態。
北出丸の土塁。
北出丸上から見下ろす、主郭との間に設けられた空堀。
空堀の下へ。右側が主郭土塁、左側が北出丸。
空堀の中から北出丸を見上げる。
北出丸の西側には、主郭周囲の空掘を越えて西側の山へ向かう土橋が残る。主郭西側には広い削平地もあり、そこへ向かうための橋だろう。かつて空掘はもっと深く、降りたら容易には上がれない状態だったので土橋が設置されているのだろうか。
主郭北西部の土橋を別角度から。
土橋の上から。土橋を渡ると道は左へ折れ曲がり、主郭西側の削平地(左奥に少しだけ見えている)へと通じる。
主郭西側の空掘。このような感じで主郭の外周をぐるっと空掘が防御している。
高い土塁を持つ方形単郭、という典型的な甲賀武士の城館跡と言える望月城跡。甲賀の山城めぐりでは外せない場所。比高も低くアクセスも良いので甲賀訪問の際は是非。なお現地に案内板や看板の類は一切無いのでご注意を。
訪問時期:2016年10月
撮影機器:FUJIFILM X-T10 + XF14mm
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