安土城 [2/7] 巨大な伝羽柴邸跡から七曲りを経て伝武井邸跡へ。

安土城前回 [1/7] までの安土城訪問記。

大手道から登城。巨大な石段はいつ見ても圧巻。石段の左右にある伝◯◯屋敷跡へ。誰の家だったかはともかく、複雑に石垣が構築された巨大な屋敷群が建っていたのは間違いないようだ。


 

織田信長の夢の跡、滋賀県琵琶湖畔の山上に残る「安土城跡」
_↑Travel.jpに寄稿した安土城跡の紹介文です。端的に見どころをまとめました


<訪問記>

伝 羽柴秀吉邸跡 より再開。

azuchi-6053下の段から上の段へ通じる石段。2段曲輪構成の巨大な御屋敷だ。

azuchi-6055石段をあがって、石垣沿いの細い通路(武者走り的な)を通って奥へ。直接上下段を石段で繋がず、一旦後ろへ回らされる構造になっているのは、どうしてだろう?

azuchi-6057武者走り的なスペースから上の段を見る。このちょっとしたスペースにも何かあったのかもしれない。

azuchi-6062石段を通って伝羽柴邸の一番奥へ。上の段へは木のハシゴが架けられていたのか、石段自体がなく上に上がれないため、仮説の階段が架けられている。

azuchi-6063仮説の階段を上がって、上の段へ。

azuchi-6064伝羽柴邸 上の段。下の段ではよくわからなかったが、上の段では屋敷跡の礎石がよく分かる状態になっている。

azuchi-6068s上の段に残る整然と並んだ礎石群。正面奥の建物は現 摠見寺。

azuchi-6070上の段の上側の石垣。鈍角のカーブを描いた石垣。お見事! 復元か現存かは不明だが、綺麗すぎるのでやはり復元か。

azuchi-6071上段石垣。このあたりは石がかなり苔むしている。現存?

azuchi-6074上段部の虎口。下段は櫓門だったがこちらは高麗門が建っていたという。

azuchi-6080大手道方面から見る、伝羽柴邸 上段曲輪。左側の少し低いスペースには櫓門と思われる礎石等が見つかったとか。

azuchi-6083上段の入口には 伝豊臣秀吉邸址 という標柱が建つ。下段は 羽柴 だったのに、何故かこちらは 豊臣。ちなみに信長存命時は秀吉は「羽柴藤吉郎秀吉」と名乗っていた。羽柴という苗字は、当時の織田家家老だった柴田勝家と丹羽長秀からそれぞれ一字ずつ取って作ったという。

azuchi-6083a-6072-1伝羽柴邸主殿 説明板。調査前(右下の小さい写真)は木々が生えるただの広場だったが、発掘の結果、現在見られる礎石群がごっそり出てきたようだ。石垣も崩壊していて、修復(復元)した結果が現在の姿。

azuchi-6083a-6072-2復元予想図。まさに大御殿。

azuchi-6084上段から虎口を経て、大手道へ。唐突に置かれている三角コーンが気になる。

azuchi-6087大手道石段の左右端には、これまた石で作られた側溝がある。雨が降った時に大手道が川のようにならないようにするための仕掛けだろうか。

azuchi-6087a-6078現 摠見寺(仮本堂) は有料で見学できるそうなのだが、土日のみの開館ということで、訪問時(平日)は残念ながら見ることが出来ず。ここは何と「伝 徳川家康邸阯」となっている。家康は本能寺の直前に安土城に「招かれて」いるのだが、屋敷がある城に招かれるとはこれ如何に?

azuchi-6087b-6079閉門していた摠見寺境内。伝家康邸かどうかはともかく、なかなかの石垣が見られるようだ。ただ城の遺構ではなくただの摠見寺の石垣である可能性も高い。寺の中には信長公直伝とされる陣羽織や鍔などがあるという。

azuchi-6087c-6077ずいぶん大手道を上がってきた。

azuchi-6093大手道つきあたりのカーブ部分を見る。

azuchi-6094大手道下を振り返る。結構上がってきたようだ。木々が無ければ城下がここからでも一望?

azuchi-6098大手道のまっすぐ道は終わり、横道+七曲り のエリアへ。左側は結構な高さの石垣が築かれている。平行移動なので、ゆるやかな登り。

azuchi-6106横道上から城下を見下ろす。ちょうど木々の間から城下が見える。ちなみに見えているのは田畑が多いが、当時も城下町は現在の安土駅方面(写真でいう右側)に築かれたため、この方向は同じような風景だったかもしれない。奥の山は左の方に六角氏の観音寺城跡がある。

azuchi-6110大手道 横道の突き当り。道は右へ折れ曲がり、 ここから道は一転、急坂となる。ちなみに右へ折れ曲がらず真っ直ぐ進む道(写真の左奥方面)も当時はあったような雰囲気だが、発掘されていないのか、ただの斜面だった。

azuchi-6110a-6117横道から急坂へ上がる踊り場のような場所の手前の石垣には、ボコっと穴が空いている。

azuchi-6110b-6116穴を覗いてみる。結構奥は広く、ここだけ石が抜けたわけでは無さそう。この上にあった屋敷等からの排水口だろうか。復元工事でこんなことはしないだろうから、この辺りの石垣は現存か。

azuchi-6111では急坂を上がろう。この坂道は左右に折れ曲がりながら上がっていく、七曲りの様相を呈している。足元を見ると、石仏の埋め込みが非常に多いことも分かる。

azuchi-6120七曲りエリアの最上段のカーブ内側には大きな曲輪がある。石段があるので入ってみよう。ちなみに石段のカーブは踊り場を設けて曲げるのではなく、石段1つ1つを扇型にカーブさせることで緩やかな曲がりを発生させている。

azuchi-6121曲輪は「伝 武井夕庵邸阯」と標柱が建っていた。武井夕庵ははじめ斎藤家、滅亡後は信長に仕えた右筆(官僚)で、茶人としても有名だったと言う。信長公記でも茶会参加者にその名が見られる。信長の死後は高齢ということもありそのまま表舞台から消えてしまったため、現在はあまり有名では無い。

azuchi-6125伝 武井夕庵邸阯 の曲輪はかなり草ぼうぼうだが、井戸跡やなかなかの高さの石垣なども見られる。

>> 安土城 [3/7] へ続く。<<


訪問時期:2015年6月
撮影機器:FUJIFILM X-M1 + XF14mm
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