2015.6.20 に開催された、伏見城の遺構出土に伴う現地説明会に行ってきました。今回出土したのは、1596年の慶長伏見地震で倒壊した指月山伏見城(第I期伏見城、指月城とも)の堀跡および石垣跡で、金箔瓦を含む多数の出土品も見つかっています。
ここでは現地説明会での展示遺構の様子等についてレポートします。
・伏見城跡 (現 明治天皇陵) 訪問記はコチラ。
・模擬天守のある伏見桃山城 (旧キャッスルランド) の訪問記はコチラ。
<訪問記>
JR桃山駅から徒歩10分。現地説明会会場に到着。なんと、入口の外に100mぐらいの長蛇の列ができている!あまりに人が多いため入場制限をしているようだ。
しかし並び始めてすぐに規制は解除され、並んでいる人全員が中に通された。説明会の終了時間が近づいていたこともあるだろう。
現説会場。終了後に撮ったため誰もいないが、開催中は向かって左側の壁に沿って、一番奥よりさらに先まで長蛇の列ができていた。
入ってすぐのところに掲示されていた、発掘調査エリアの説明と出土品の写真。堀跡に沿って一直線に並ぶ石垣(の下二段ほど)が出土したようだ。
伏見城の位置関係。伏見城は第一期「指月山」時代と、地震倒壊後に再建された「木幡山」時代(第二期の秀吉築城の城と、関ヶ原の前哨戦により焼失した後に家康が再建した第三期に分かれる)とがある。今回は場所および出土品などから第一期のものと断定したようだ。なお第三期の本丸付近は明治天皇陵となっており立入禁止。以前調査した学芸員の話によると現地は荒れ放題だが石垣や天守台などがそっくりそのまま残っているという。
会場内には、出土した石垣石がずらりと並べられている。主な石材は、花崗岩・堆積岩とのこと。江戸期に建てられた第三期伏見城(木幡山)では割石が多かったが、こちらは16世紀後半ということもあり、聚楽第や大坂城(秀吉期)と同じく自然石による石垣だったようだ。
堀跡を前に熱く解説する説明員の方。暑い中おつかれさまです。なお石垣跡は通常は埋め戻されるが、これだけの規模のものが出てきたということで、現在関係者間で何らかの形で保存する方向で検討がなされているという。素晴らしい。
解説中はすごい人だかりだったので、解説が終わり、閉場となる直前、誰も居なくなった場面での写真で現場をご紹介。まずは堀跡全景。何と、堀跡の直前まで降りられる。堀の手前に穴が沢山あいたエリアがあるが、これは何なのか(柱跡にしては不揃い)聞きそびれた。現地配布資料にも記載なし。
堀跡および石垣跡 全景。
石垣、裏込石、犬走り。説明員の方はちゃんとそれらの意味合いについて詳しく説明されていた。「裏込石」はその名の通り石垣石の裏側に詰める小さな石(栗石とも言う)で、排水などの役割がある。「犬走り」は石垣の曲輪から見て外側(堀側)に作られる細い通路で、犬が走れるほどの細さの通路という意味。反対に内側にある同様の場所は「武者走り」と呼ばれる。
別角度から。本来は三段以上積まれていたのでは、との話。
石垣石の隙間に埋められる「間詰石」も、詰められた状態で出土。話によると、聚楽第の石垣(建築現場の地下から出土)や秀吉時代の大坂城の石垣と共通点が多いという。
なお奥の方にも石垣は続き、一番奥には「矢穴」と書かれたプレートが出ているが、奥には行けないので見えない。
堀穴を見てみよう。
埋められた土と元々の堀底の土とは違うからか、発掘業界の人には分かるのだろうが、素人には「よくこの形の堀底が分かるな〜」といつも感心してしまう。
堀跡 向かって左側。
堀跡 正面から、ロープ撤去後に撮影。解説中はここ全体に人だかりが出来ていたばかりでなく、この写真を撮っている階段の上にも人が溢れていた。
続いて、テント内で展示されていた出土品。博物館と違って現物がそのまま置かれているので間近で見られる貴重な機会だ。
ずらりと並べられた金箔瓦の数々!思わず、おお〜と声が出る。
こちらは土師器類や丸瓦など。丸瓦はコビキBだとか(マニアック)。※ 主に織豊期における瓦の作成過程で、粘土を切り出す際に撚り糸で削る方式(コビキA、粗い斜めの削り跡が残る)と、鉄線で削る方式(コビキB、平らな削り跡が残る)があり、それで作られた時代が分かるとか。
今回の目玉出土品。金箔 唐草文 軒平瓦。2つに割れていたようだが、完全形だ。浮き出た唐草文様にバッチリ金箔が貼られている。
豊臣家家紋、五七桐の下部だけが見られる丸瓦。周囲に金箔を貼っていたようだ。
三つ巴紋の金箔瓦。
金箔軒平瓦。説明員の方がこれは珍しい、といっていた。平らな部分に通常は左側のように立体で何か装飾がされていることが殆どなのだが、右側の瓦には何もなく、平らな面にそのまま平らに金箔をただ貼っていただけ、のようだ。確かにそう言われると、初めて見たかも。
菊御紋も金箔。菊御紋には花弁(細長い花びら)の数がいろいろあって、これは見たところ16枚の花弁が並ぶ「十六菊」と呼ばれるもの。
なお現説会場の仮説駐輪場内から、会場内とは違った角度で堀底を見られそうだったので、終了後に駐輪場へ移動してみた。
駐輪場から見る、堀底・石垣列の真横からのショット。説明員の方はこの真ん前で解説していたので、ここから解説を聞けば特等席だったかも。
堀底部。右側は堀斜面でなくその上に積もった土のまま、か。
現地説明会会場 全景。結構広いが、掘った土を積み上げるのに敷地の半分を使っている。
工事業者の方、調査機関の方、おつかれさまでした。また良いものが出てきたら説明会よろしくお願いします。
6/23追記:現地説明会を開催された「有限会社 京都平安文化財」様のWebサイトにも当日の詳細レポートおよび配布資料PDFがアップされました。素晴らしいですね。あわせてこちらもどうぞ↓
http://iseki-hakktsu.com/investigation/index22.html
城めぐり関連ブログ人気投票参加中. いつも投票アリガトウ!
このブログは果たして何位でしょうか? (=゚ω゚)ノ
すばらしいレポートをありがとうございます!自分は、東京から行くつもりだったのですが、ちょっとしたミスをしでかして行けませんでした。。。。現地の熱気が伝わってきて、興奮しました!!
Tagさま。コメントありがとうございます。お城レポートも現説も、現場の全体像と細かい見どころが分かるように書くように心がけています。また、現地説明会を開催した会社のサイトにもレポート&配布資料PDFが上がってましたので、そちらも合わせてご覧くださいね。またお越しくださいませ。
http://iseki-hakktsu.com/investigation/index22.html