甲府城 [5/5] 城跡向かいの防災新館にある石垣展示室は必見!

甲府城甲府城 [4/5] の続きです。

甲府城の散策もいよいよ終盤へ。稲荷曲輪はほぼ散策を終え、最後の復元門 稲荷曲輪門を見に行く。

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<訪問記>

城域東端の数寄屋曲輪から、中央の稲荷曲輪へ戻ってきたところから再開。

koufu-4540稲荷曲輪の南端、ちょうど天守台下のこの位置にある少しわかりにくい入り組んだ場所にあるのが、稲荷曲輪から直接 鍛冶曲輪へ降りることが出来る道への門「稲荷曲輪門」。

koufu-4541稲荷曲輪門への道。かなり狭い。

koufu-4544柱の下から屋根の上までをしっかりフレームに収めるには、これぐらいの角度からが限界。狭いところにしっかり作った高麗門。木柱や瓦がキレイなことからも分かる通り、平成の復元。

koufu-4545稲荷曲輪門 説明板。門ぐらい壊さずに残しておけば良かったのにといつも思う。建物は土地利活用の観点から仕方ないにしても。

koufu-4546稲荷曲輪門を外側から。石垣の角度に合わせて木を切って柱をナナメに這わせているところが実に和風。ここも扉や柱を鉄板で覆った鉄門スタイル。

koufu-4549稲荷曲輪門から鍛冶曲輪へ降りる石段。こんな感じで斜面を直降する石段が築かれていた。

koufu-4552上の写真の左側には石で囲われた四角い井戸のような構造物がある。横の説明板によるとこれは発掘調査で出てきた「水溜跡」とのこと。

koufu-4562鍛冶曲輪へ戻ってきた。管理事務所の前に小さな日本庭園があったので一枚。庭園の中にも井戸跡から復元した井戸などがあったりした。ちなみに管理事務所の中にも100名城スタンプがあった(コチラのほうが空いててオススメかも)。

koufu-4563a-4419おまけ:トイレに入ったら男女プレートが殿姫。ベタだけど、ちょっと嬉しい遊び心。

城域の散策は以上でおしまい。他に甲府城では城の北側、線路の北に「山手御門」を復興(復元ではないとのこと)した「歴史公園」もあるのだが、史料が足りなかったのか想像の産物ということで見学はカット。

代わりに、訪問前に情報を仕入れていた「城の向かいの県庁の地下に石垣展示スペースがある」という話を元に、県庁に見に行ってみることにした。古絵図を見ると、今の県庁は二ノ丸の西側、屋形曲輪(北半分)と楽屋曲輪(南半分)の位置に建っており、ちょうど外側に内堀が通っていた。地下ということは内堀を構成する石垣の一部だろう。

ということで、色々見て回った結果、防災新館という南西端に最近出来た新庁舎の地下に石垣展示エリアがあるとのことが判明。早速向かう。

koufu-k4312この茶色いビル(かなり高い)が防災新館。一見アパレルの店が入ってそうなビルにも見えるが、お役所。最近の役所ビルはオシャレだね。

koufu-k4312a-4335ビルの中は灰色の壁がずっと続くいかにもオフィスビルといった感じ(外観と全然違う)。ちょっと不安になってビル内のフロアマップで再確認。確かにB1に「甲府城石垣展示室」がある!ちなみにビルの中には(石垣展示室含め)誰も居なかった。

koufu-k4314B1へはエレベータでしか行けない模様。エレベータを降りると、目の前に甲府城石垣展示室!部屋の中が真っ暗で、営業終了かと心配したが、自動ドアが開くと電気が付く仕組みだった。エコ。特に営業時間がどこにも(パンフにも)書かれてなかったが、24時間あいてるのだろうか?

koufu-k4315a-4334石垣展示室全景。薄暗い照明で雰囲気が出ている。右側の壁いっぱいに広がる野面積みの石垣と胴木が気になるが、まずは左のパネル展示から見てみよう。

koufu-k4316石垣展示室へようこそ。防災新館の建設にあたって、ここが甲府城跡になることから発掘調査をしたところ、予想通り内堀の石垣が発見された。通常はここで現地説明会を行って埋め立ててビル建てておしまい…というパターンが多いのだが、山梨県では記録保存→解体→ビルに専用展示室を新設→復元展示、というステキな解決策を選択。素晴らしい!

ここが城内でまったく宣伝されていなかったのが不思議なくらい。もっと宣伝すべき。

koufu-k4317甲府城の位置。このビルの位置はまさにお城の南西端にあたるようだ。

koufu-k4318甲府城の石垣。城内の石垣はほぼ「打込み接ぎ」と「野面積み」だった。

koufu-k4319防災新館石垣調査の概要。内濠の石垣は東西27m、高さ4mの規模で見つかったという。

koufu-k4319a-4332さてお待ちかね、内堀の復元石垣。ビルの地下にこれだけの規模の石垣があるなんて。しかし一部のスポットライトが明るすぎて白飛び。

koufu-k4320まずは奥のパネル。これは発掘した石垣の写真ではなく、現存している鍛冶曲輪南の内堀の石垣。移築展示したのはこの下部2m分ですよ、ということを示す写真だ。右下に掲載されている、発掘時の写真がすごい。穴を掘ったら石垣がビッシリ。これでも全体の高さの1/2〜1/3とのこと。これ以上掘らなかったのか、これ以上残っていなかったのか。上部は埋め立ての際に壊されたと考えれば後者か。

koufu-k4322石垣と胴木(どうぎ)。胴木は石垣の下に敷く土台のようなもの。石が自重や地盤の関係で沈むことで石垣がずれることを防ぐ意味があるという。400年前に埋めた木がほぼそのまま残っていたというのもすごい。石垣は、大きな石と間を詰める小さな石(詰石)とがほぼ交互にあるような、迫力あるTHE野面積みと言う印象。現存の鍛冶曲輪南面石垣よりも迫力がある(近くで見ているからかもしれない)。

koufu-k4323胴木の説明板。細かく説明されている。

koufu-k4329入口側の壁には、石垣の断面構造。一般的に石垣は三層構造になっていて、外側の「積石」、真ん中の「栗石(裏込石)」、一番内側は「土塁」だ。石垣は全部石で出来ているわけではないことに注意。

koufu-k4330a-4325石垣石材の説明板。矢穴は石垣の石材を割るために付けられたクサビ打ち込み穴で、二層稲荷櫓の前で見た展示と同じ。線刻画は珍しい? 複数の大名家が築城に関わったような巨大城跡の石垣には、石材を手配した大名家を示す家紋ならぬ「刻印」が記されていることが多いが、そうではなくおまじないのために★マークなどを彫っている例は初めて見た。しかし目の前に展示されている復元石垣のどこに線刻画があるのか分からなかった。(もしかしてここではなく城内かも?)

出口のところに石垣展示室のパンフが置いてあるので入手をお忘れなく。内容は展示パネルとほぼ同じ。

koufu-k4338おまけ2:防災新館の外側にも、石垣の壁があった。ここは元 楽屋曲輪の中で石垣も当時はあっただろうが、これが現存なのか復元なのか模擬なのか、説明板などがなく分からなかった。隅石が揃っていないので模擬石垣(庁舎敷地内の目隠しのため?)と予想。

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武田家滅亡後に秀吉・家康が新たな甲斐支配の拠点として建てた近代城郭・甲府城。街の真ん中にある城としてはかなり残っている方だと思う(公園化により謝恩碑やスロープを始め手が加えられまくっているのは仕方ない)。アクセスもよく、武田信玄の本拠地だった躑躅ヶ崎館跡も近いので、甲府訪問の際はセットで是非訪れてみよう。防災新館もお忘れなく! (宣伝が一切なかったので忘れがち)

訪問時期:2014年7月
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