首里城(2015) [3/4] かつて琉球国王が鎮座した玉座・唐玻豊へ。 投稿日: 2023/03/062023/03/07 投稿者: akiou 首里城(2015) 訪問記 其の三。 [前回までの訪問記 概要]ゆいレール首里駅から首里城城壁に沿って西へ進み、守礼門から外郭アーチ門・内郭櫓門を越えて主殿群へ。ベンガラカラーに統一された赤い建物群が美しい。その3では南殿から主殿の内部を見学します。 訪問時期:2015年2月首里城(2015) 訪問記 − 其の一、二、三、四。 <訪問記> 主殿の中には、向かって右側の南殿を経由して入ることができる。南殿だけベンガラ色が塗られておらず褪せた木材の色そのまま。色は塗り直すことができるが無彩色はどうしようもなく、落差を余計に感じる。南殿内部へ。なんと畳敷。こちらは16世紀に作られた、日本式の行事・薩摩藩役人の接待などを行うための建物だったそうで、内装・外装ともに日本風になっている。ベンガラ色に外装が塗られていなかったのもそれだろう。御書院。沖縄とは思えない、THE和風の部屋。天井の様子を見ると、屋根の下に格子があったりと、ちょっと変わった感じではある。庭は琉球石灰岩の岩盤を利用した琉球x日本コラボといった感じ。南殿内部。かなり広い。釘隠し。南殿の一番奥には、庭園に突出するような形で「奥書院」が作られていた。国王の休息の間だったとか。奥書院から見る庭園。17世紀ころに奥書院と一緒に作られたと想定され、奥の物見に至る斜面に庭石を配置している。右側に立っている白い石は鍾乳石。左側の白い壁の奥は「苅銘御嶽」。ではいよいよ主殿へ。内装も柱から壁からすべてベンガラ色になり、一気に琉球王国へやってきた感。立ち入り禁止のポールも赤く塗ってあるのが良い。正殿2階 説明板。身分の高い人たちが使用する空間であり、天井が高く、玉座があり、中国皇帝から贈られた扁額がいくつも飾られていたとか。正殿 内部。正殿中央部にある玉座。前の柱にも玉座の横にも、龍をモチーフにしたものが飾られている。奥の扁額は中国皇帝から贈られたものを再現したもので、「中山世土(ちゅうざんせいど)」の変額も記録に残っているとか。須弥壇(しゅみだん)と言われる一段高くなった台座との、その上の「螺鈿(らでん)玉座」。玉座は15世紀の尚真王の肖像画をもとに再現されている。高欄や台座には沈金でクレマチスの花が彫られている。椅子やその前にも龍の彫刻が置かれている。玉座の側面(写真下部)には、この写真では見づらいが、子孫繁栄の象徴としてブドウとリスが描かれている。玉座をサイドから。玉座の正面には国王専用の小部屋があり、正殿前の御庭で儀式が行われている際にここに国王が座り儀式を執り行う場所だったという。その名も「唐玻豊(からはふ)」。正殿正面にある「唐破風の屋根」の内側に位置する格子窓にあたる。「唐玻豊(からはふ)」説明板。琉球国王印。17世紀に清朝の皇帝から尚質王に与えられたもの(複製品)。清朝の前の明朝時代に与えられていた国王印は返品したとか。こちらは18世紀に清朝の乾隆帝から与えられた琉球国王印(複製)。琉球王国が崩壊したときからこの印は行方不明になっているという。今もどこかの畑の中に埋まっている?首里城正殿構造模型、1/10スケール。昭和3年の正殿修理資料などを元に平成の復元の際に制作されたもの。2階建てに見えるが、屋根裏があり正殿は3階建てになっている。正殿2階の窓から見た北側の様子。右側が淑順門、左側が右掖門(?)。こちら側(正殿の東側)には行けなかったのでまた再訪したい。正殿は3階建てになっていて、3階に上がるための階段はこんなに急だった。通気のための屋根裏部屋ということで普段使うことがほとんどなかったからか。階段というよりハシゴ。正殿3階 説明板。三階は彩色されておらず、柱も八角形になっているとか。 >> 首里城(2015) [4/4] へ続く。<< 訪問時期:2015年2月撮影機器:FUJIFILM X-T20 + XF10-24mm ページの一番上に戻る 共有Facebook で共有するにはクリックしてください (新しいウィンドウで開きます)クリックして Twitter で共有 (新しいウィンドウで開きます)クリックして友達にメールでリンクを送信 (新しいウィンドウで開きます) 関連