宇佐山城 訪問記 其の二。
[前回までの訪問記 概要]
宇佐八幡宮より小学生の手書き案内板を頼りに登城。約20分で主郭下の石垣まで到着。そこから主郭・二の郭の外周沿いに石垣を見ながら南下、そのまま二の郭下の大石垣まで見る。其の二ではNHK中継所が建ってしまった主郭および堀切を越えて三の郭を散策します。
訪問時期:2017年2月
宇佐山城 訪問記 − 其の一、二。
<訪問記>
二の郭の奥へ伸びる尾根筋にも幾つかの防衛設備が残るので、見に行ってみよう。
一騎掛けとまでは行かないまでも、左右は結構な高さの斜面となる細い尾根道。
その尾根道を断ち切る形で施された堀切。そのまま斜面側は竪堀へ。かなり埋もれてしまっているのが残念。
斜面側を見ると、畝状竪堀に見えなくもない。連続した竪堀。
尾根の先端部。かなり狭いので、何かあったとしても細い物見台などがあったぐらいか。この上で見張るのはかなり怖そうだ。
尾根先端部の奥にももう1つ堀切があった。坂本側からではなく、こちらから攻めて来られると、直接 二の郭にたどり着いてしまう。
では主郭方面へと向かおう。主郭に建つNHK中継設備。これを建てる前に発掘調査が行われ、食い違い虎口と石段などが確認されたらしいが、今は建物が建ちよく分からなくなっている。ふと見ると建物の下部が空いており覗けるようになっていた。
建物の下に残る、水路跡のような場所。遺構を壊さないように地下を保護してこの建物を立てた、という意味だろうか?そうだとするとそれはそれで素晴らしいことだが、説明板等が無いので全く分からない。
表側へ回ってきた。通常 主郭正面から入ってくると此処に出るので、金網に沿って奥へ向かおう。
主郭と三の郭とを隔てる堀切より主郭方面を見る。主郭外周に石垣が設けられていたとすると、この階段はそれを壊したことになる。あるいは元々この位置に登り口があったのだろうか。どちらにしろ、当時どこから主郭に上がったのかは不明。
石段の脇から、案内板の指し示す方向へ行けば、主郭外周の石垣の跡を見ることが出来る。最初に見た大石垣の一段上にあたる。
主郭下の帯曲輪にあたる場所か。よく見ると外周部が土塁に見えなくもない。右側はすごい石垣の残骸が散らばっている。
石垣が形をかろうじて成している部分もあれば、完全に崩壊しているところもある。石仏も見える。
主郭下の石垣。最初に見た、もう一段下の石垣の方が見どころとしては上か。
では大堀切を越えて、北側の三の郭へ向かってみよう。
主郭と三の郭とを遮る大堀切。今は埋もれてU字になっているが、当時はもっと鋭いV字だっただろう。
三の郭へ。外周などに少し土塁っぽい盛り上がりも見られたが、ほぼ削平地。
一番北側まで行くと、一部木が伐採され、琵琶湖が一望の展望エリアがある。
宇佐山城 三の郭から見下ろす湖西の街と琵琶湖。
このもう少し下へ降りると、少しだけ石垣の残骸が見られた。かつてはここも石垣で囲まれていたのだろうか?
先端部に少しだけ、石垣跡が残る。
では下山して、最後に登城口のある宇佐八幡宮へ参拝しよう。
宇佐八幡宮 御由緒。元は大分の宇佐神宮からの勧進。鳩の群れがこの地を導き出した、という謂れから、ここは鳩が祀られている。創建当時の建物は織田vs浅井朝倉の戦いで焼失したという。
境内は美しく整備されていた。かなり古い狛犬。愛嬌のある独特の表情をしている。
子供の健康祈願として鳩の人形を収める風習がある。境内には鳩の人形がずらりと並ぶ。
創建時(西暦1065年)の柱石(礎石)の一部が保存されていた。平安時代の建造物だが、丸く美しく加工されている。明治期の仮殿修復の際に出土したという。ですます調な文章だが最後だけ「保存する」と唐突に終わっているのが何だか変な感じの文章。
最後は宇佐八幡宮のシンボルマーク・鳩のつがいが描かれた提灯。狛犬よろしく阿行と吽形になっているのが面白い。
おまけ:坂本の来迎寺(らいごうじ)境内には、宇佐山城主だった森可成の墓が残る。かなり立派な五輪塔だ。ちなみにこの来迎寺の山門は坂本城の移築城門とか。
訪問時期:2017年2月
撮影機器:FUJIFILM X-T10 + XF14mm
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