宇佐山城 [1/2] 織田vs浅井朝倉の激戦地となった石垣造りの堅固な山城。

近江宇佐山城2宇佐山城 (うさやまじょう) は元亀元年(1570)、織田信長が比叡山の監視および浅井朝倉両氏の上洛阻止のため、延暦寺の南、大津から京への街道沿いにある宇佐山に築いた山城。城主は森可成(もりよしなり)、小姓で有名な森蘭丸の父親にあたる。しかし信長の摂津遠征中に、浅井朝倉軍が織田軍の背後を突くべく南下。宇佐山城は激戦地となり、城主 森可成は城下で討死。しかし宇佐山城は落ちず耐えぬいたと言われる。すぐ北には浅井朝倉方が陣を敷いた壺笠山城がある。その後 比叡山焼討の拠点となり、新たに坂本に入った明智光秀が琵琶湖沿いに坂本城を建て、宇佐山城は廃城となったとされる。

<基本データ>
●名称:宇佐山城 (Wikipedia)
●所在:滋賀県大津市 (地図)
●城主:森長可
●築城:元亀元年(1570)
●遺構:石垣、堀切、竪堀、曲輪

訪問時期:2017年2月
宇佐山城 訪問記 − 其の一


<訪問記>

usayama_01_5018宇佐山城へは、近江神宮の裏山にある宇佐八幡宮の脇道から登城する。八幡宮の少し下、斜面に立てかけられたこの手書きの案内板が目印。ここから上がって左へ進む。

usayama_02_5019城へ向かうまでの道すがらには、地元の小学生が書いた案内板が随所に建てられている。なかなかの斜面かつ長距離だが、この案内板を読みながら登っていけば疲れを忘れさせてくれる。

usayama_03_5115宇佐山城への道のり。こんな感じの斜面を右へ左へ折れ曲がりながら約20分ほど登る。

usayama_04_5020歴史がたくさん、いいね滋賀。確かに歴史も城跡も多い。県下には古今あわせて1,300ほどの城跡が確認されているとか。

usayama_05_5022そろそろ疲れてくる。とそこに「がんばれ!」の案内板。がんばるしかない。

usayama_06_5026斜面を大きく断絶する大竪堀。これは山頂の宇佐山城 二の曲輪あたりから八幡宮あたりまで伸びている巨大竪堀。

usayama_07_5028巨大竪堀を過ぎると、やがて山頂方面に石垣が見えてくる。宇佐山城はもうすぐ。

usayama_08_5029ぐるっと回り込むように城へ道は通じる。

usayama_09_5031やがて真上に先程の石垣が見えてきた。城道は先程の道に沿ってこの石垣の右側を石垣を越えて上まであがり、主郭と二郭の間の堀切へと出るルート。だが真上にこの石垣を見てしまうと、つい斜面を登って石垣を見に行ってしまった。当日の見学コースに沿って紹介。

usayama_10_5032s主郭の下、帯曲輪のあったところになるのだろうか、高く積み上げられた石垣が400年の時を越えてそびえたつ。

usayama_11_5036かなり腐葉土も溜まっているのだろう、端に比べて中央部は石4−5個分ぐらい上部になっている。きちんと整備すればもっと高く石垣が見られるかもしれない。

usayama_12_5037破城の跡だろうか、あるいは坂本城築城のために持ち去られたか、隅部が大きく崩されている。

usayama_13_5043反対側の隅部は途中までで失われてしまっている。かつてはこの上をぐるっと囲むように石垣が積まれていたのだろうか。

usayama_14_5045ではこの石垣がかつて伸びていたであろう方向(南)に向かって進んでみよう。石垣の残骸が見られるかもしれない。主郭から二の郭の方に向かって斜面を進む。

usayama_15_5046やはり幾つかの石垣の残欠が見られた。

usayama_16_5048最初に見た石垣より多少 石が小粒。向こうは登城路の直ぐ側で、登ってくる者に対して近くで見せる位置にあるから大きく迫力のある石垣が築かれている、のだろうか。

usayama_17_5050斜面からそのまま上へ。主郭を通り越して二の郭へ。主郭はこの後ろ、NHK中継局が建っており、遺構は失われている。

usayama_18_5052二の郭の奥へ。曲輪の中央が盛り上がっている。周囲が盛り上げられて土塁の防壁になっている構造はよくあるが、逆に中央部が盛り上がっているのは珍しい。どういう構造になっていたのだろうか。

usayama_19_5053二の郭の南端部。石垣とはいえないまでも、かつて人工的に石が積まれていた跡と思われる石材が斜面に見られる。

usayama_20_5054二の郭のもう一段 南の下段へ。この左奥には尾根沿いに道が伸びており、こちらから侵入する敵を阻む堀切や竪堀などが築かれているという。それは後ほど見に行くとして、この手前下の曲輪には城内一とも言える大石垣が残る場所がある。そちらを見に行ってみよう。

usayama_21_5056まずは二の郭の外周に残る石垣を見る。ちょっとだけ残っている。

usayama_22_5057こんな感じ。枯れ草やらをキレイにすればもっとちゃんと見えると思う。

usayama_23_5058そしてもう一段下へ。このあたりは段曲輪になっている。そしてこの下に巨大石垣が残る。二の郭側からは裏側にあたり直接見えないので見逃しがちだが、しっかり見に行こう。

usayama_24_5059削平地の下に築かれた大石垣へ。

usayama_25_5060かつては4−5mは築かれていたであろうか、今は埋もれたり崩れたりはしているものの、高さ2m以上は残り、かつ長さが最初の主郭下石垣よりもある。

usayama_26_5061石垣の真上から大木が生え根を張らせている。このままではいずれ崩れる。

usayama_27_5062二の郭下の大石垣。石垣の前に巨木が何本か生えてしまっていて、全景を捉えるのがとてもむずかしい。そのため断片的な写真ばかりになってしまうのが残念。

usayama_28_5064隅部と思われる部分。算木積みではないが、しっかりと角を合わせて積み上げられているのが分かる。

usayama_29_5065二の郭下の石垣。全景を撮ろうと斜面を少し降りると、途端に下から見上げる風になってしまう。

usayama_30_5066もう少し下がると全景が入りそうになるが、残念ながら木々が良いところに生えていて肝心の石垣が見えなくなる。此処の石垣はぜひ現場で実物をじっくり見ていただきたい。

usayama_31_5081どの角度から撮っても木々が映り込む。うーむ。

>> 宇佐山城 [2/2] へ続く。<<

訪問時期:2017年2月
撮影機器:FUJIFILM X-T10 + XF14mm
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