三石城 [1/2] 石垣の大手桝形を持つ、備前の戦国大名 浦上氏の居城

三石城 (みついしじょう) は岡山東部、播磨と備前の国境近くに築かれた中世山城で、室町時代に備前守護だった赤松氏の守護代として浦上氏が代々城主を務めた。その後 浦上氏は主君 赤松氏を裏切り独立、備前の戦国大名となった。しかし浦上家中でも権力争いが絶えず、播磨室津城や備前天神山城などに勢力が分散していった。やがて初期の城であった三石城も廃城になったようだ。城内には石垣を備えた巨大な桝形虎口を形成している大手門跡が見どころ。

<基本データ>
●名称:三石城 (Wikipedia)
●所在:岡山県備前市 (地図)
●城主:浦上氏
●築城:室町初期(1300年代)
●遺構:石垣、土塁、切岸、堀切、曲輪、桝形虎口

訪問時期:2015年5月
三石城 訪問記 − 其の一


<訪問記>

mitsuishi_00_5223住宅地の奥にそびえる山が三石城跡。住宅街の中を通る道に向かって、大きな案内板が出ている。

mitsuishi_01_5221巨大な案内板が設置されている。また石段の下には「栞(しおり)ご自由に」とあり、向かいの家の軒先に無料で栞が置かれている。地元に愛される城跡。素晴らしい。

mitsuishi_02_5062三石城址 案内図。かなり巨大。右が北で、城に向かって南からと北からの2ルートの登城路があるようだ。今回は南から登城。

mitsuishi_03_5219しばらくはコンクリートで出来た道をあがっていく。

mitsuishi_04_5218下にあった家の屋根より高い位置になってもまだコンクリートの石段は続く。元は城跡に建っていた神社の参道だったのだろうか?

mitsuishi_05_5217コンクリートの舗装道が終わり、いよいよ登山開始。舗装が終わったあたりにある三石城 登山口の看板。

mitsuishi_06_5069といっても三石城がある山はどちらかと言うと岩山。このような岩盤を削って作ったような道が続く。反対側は岩肌の断崖なので、雨のあとなど滑りやすい時は踏み外さないよう注意しよう。

mitsuishi_07_5215しばらく登ると最初の削平地へ。

mitsuishi_08_5070三石城跡の石碑と、第二見張所の看板。

mitsuishi_09_5074削平地の先端へ。岩場に沿って登っていたところからすると、確かに見張所にはピッタリの先端部だ。

mitsuishi_10_5071古い手書きの三石城址 案内板。今から650年前、室町初期の頃に地頭 大和次郎宣祐によって築城、その後 浦上掃部助 (かもんのすけ) 宗隆が城主となり、村宗の代に天王寺で戦死して廃城となった、とある。なおこの案内板の裏側には俳句が書かれているが、曲輪の端ぎりぎりに建っているので裏側を見るのは一苦労。

mitsuishi_11_5072第二見張所からの眺望。やや高さが足りないか。

mitsuishi_12_5075では登城再開。第一見張所、大手門、本丸方面へ。

mitsuishi_13_5076第二見張所から先しばらくは、削平された歩きやすい尾根道を進む。

mitsuishi_14_5079しかしまたすぐに断崖を削って作った細い登城路となる。落ちないように鎖がずっと張り巡らされている。

mitsuishi_15_5082兵が一人ずつしか通れないような細い岩場の道。前から弓矢で狙われ、上から石を落とされ、ここはかなりの要害だ。

mitsuishi_16_5083巨岩の間を縫うように進む。

mitsuishi_17_5089岩石地帯を越えると、今度は岩がむき出しの坂道をあがっていく。かなりの急坂。

mitsuishi_18_5091しばらく登ると少し平場へ出た。休憩にもってこいだ。

mitsuishi_19_5093平場からの眺望。

mitsuishi_20_5095更に奥へ。道がふた手に分かれる。右上へ登れば千貫井戸へ出られるが、井戸で道は行き止まりになり引き返してくることになる。こちらへは帰りに寄ろう。左下を進めば本丸方面。

mitsuishi_21_5110尾根道へ出た。右へ曲がれば本丸方面。左へ曲がれば第一見張所だ。左へ。

mitsuishi_22_5098しばらく木々を切り開いて作った道を進む。

mitsuishi_23_5107やがて尾根の先端へ。木々も伐採してあり眺望が良さそうだ。こちらが第一見張所。

mitsuishi_24_5103第一見張所からの眺望。第二とは反対側の山麓や向こうの山々の様子が一望だ。

mitsuishi_25_5105sでは本丸へ向かおう。正面の山の上が本丸あたりか。その手前に、大手門跡も残るという。

mitsuishi_26_5114s山中へ。大手門→ の看板も。

mitsuishi_27_5117しばらく登ると、木々の向こうに石垣の壁が見えてきた!

mitsuishi_28_5120山中に突如現れる、巨大な石垣で出来た大手門跡。当時はこんな山林ではなく、木々は伐採され、斜面の上に築かれた石垣の上に建つ巨大な城門、まさに要塞だっただろう! 時代は1500年代中期頃とすれば、まだ櫓門という立派なものではなく、左右の石垣の上には見張り台(番所)、中央に薬医門的な門が設置されたような形だったかもしれない。

mitsuishi_29_5121大手門跡。向かって左側の石垣は前にせり出すような形になっており、柵が建てられその奥に見張りの門番兵が並んでいたのだろうかと思わせる構造。

mitsuishi_30_5126門の内部へ。内側から門の外側を見る。枯葉をキレイにすると、もう3−4段の石垣は出てきそうだ。

mitsuishi_31_5128左側の突出した石垣の奥には、斜面を大きく遮る巨大な高石垣が健在。10段以上はあるだろうか。これだけの石垣を組み上げられる浦上氏は絶大な権力と確かな技術力を持っていたのだろう。あるいは浦上氏の後にこういった織豊系技術を持つ誰かが再利用した?

mitsuishi_32_5133大手門跡 左奥の高石垣。門以外の横側から入り込もうとしても、これが邪魔して全く入り込めない。

mitsuishi_33_5130石垣の上から、大手門を見下ろす。大手門を越えると道は右に折れ曲がっている。

mitsuishi_34_5139土塁とその奥に築かれた石垣の壁。

mitsuishi_35_5144土塁の外側は石垣で固められているが、内側は土ベース。

mitsuishi_36_5148大手門内 全景。奥は土塁、手前は石垣の上に柵などを巡らせて、いわゆる後の桝形虎口とも言える「殺しの間」的なスペースが築かれていたと思わせる雰囲気。

>> 三石城 [2/2] へ続く。<<

訪問時期:2015年5月
撮影機器:FUJIFILM X-M1 + XF14mm
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