浦添城 訪問記 其ノ二(全三回)。
[前回までの概要]
山腹にある「浦添ようどれ館」で歴史や遺構などを予習してから、まずは中山王陵「ようどれ」へ。立派に復元された三段石垣は圧倒的な雰囲気。石室やアーチ城門もきちんと復元されている。続いて城跡へ向かう。
<訪問記>
浦添ようどれ から戻ってきて、グスクへと向かおう。坂の上に石垣が見える。その前に、右側に看板がある。
「伊波普猷の墓」説明板。伊波普猷(いはふゆう)は近代の歴史研究者で、浦添が首里以前の古都であったとする論文発表や啓蒙活動を通じて、浦添の発展に寄与した人物とのこと。沖縄学の父とも呼ばれる。熱心に研究した浦添グスクの中に墓所があるとは、すごい。
伊波普猷の墓 内部へ。
こちらが伊波普猷の墓。グスクへしばしお邪魔させて頂きます。
では墓を越えて、浦添グスクへ向かおう。壮大な城門跡と石垣が見えてきた。
城門は沖縄戦で破壊され、浦添グスクの石垣はほぼ復元とのことだが、元々の城門の形などが分からなくなってしまったのだろうか、あるいは沖縄戦直前まではこのような姿だったからか、復元の仕方もこのとおり。グスクの石垣は本土と違って内部も全て石積みなことがよく分かる。
石垣の城壁を越えて中へ。
しばし坂道をあがっていくと、主郭部へ到着。かなり広い。パンフによるとかなり細長い曲輪のようだが、奥の方は発掘調査中等のため、訪問時(2015.12)は立入禁止だった。
ふと脇を見ると、ディーグガマと書かれた場所があった。雰囲気からして御嶽(遥拝所)のようだ。
ディーグガマの入口にはめ込まれた説明板。浦和の塔。沖縄戦での戦没者の慰霊塔が御嶽跡に建てられているのだろう。
ディーグガマ(御嶽)。大きな洞窟の奥が御嶽なのだろう。落盤等があるため、現在は立入禁止。
浦添グスク主郭の展望台。木が結構生えているので180度の眺望というわけにはいかないが、眺望は楽しめる。
浦添城 主郭からの眺望。
主郭の外周に沿って歩いていると、一部 復元ではない感じの古い石垣があった。
復元石垣の周囲には金網が施されており、近寄ることは出来なかった。金網に沿って奥へ。
再度 復元石垣の城門跡へ。作業等のための車が入るためか、コンクリートの道が城壁を貫いている。
復元石垣のあたりからの眺望。真下に先ほど訪れた浦添ようどれ の石垣が見える。
上の眺望を見たあたりから、グスク石垣を見上げる。復元とはいえ、なかなか壮観だ。
石垣の手前には大きな穴が開いている。落ちたら危ないので柵で囲ってある。特に現地に説明板は無かったが、恐らく戦時中の壕跡と思われる。
復元石垣と、その手前の琉球石灰岩の露出した岩盤。
では奥へ行こう。車道が通っているが一般車両は通行止め。散策コースなので徒歩で入場。
道にそって進んでいると左側に何やら看板が見えてきた。
この奥に「シーマヌウタキ」という御嶽があるようだ。少し奥に入ってみたが完全に森だった。
更に奥へ進むと発掘調査が行われているエリアへ到達。左の道は封鎖されてて通れず(道沿いに石垣が見えた)、右側を通って向こう側へ。
途中 井戸跡があったものの、草ぼうぼうでまったく見えず。
奥まで行くと、山麓まで伸びる石畳が見えてくる。今敷かれている石畳は復元だが、当時は浦添城から首里城まで石畳が敷かれたという。復元されているのはこのあたりだけ。
石畳の道。ガードレールのあるところから先は車道になり、その先は土の城となる。道の左側には井戸跡も見える。
車道を越えて、城跡へ。
しばらく進むと、主郭(左奥の丘の上あたり)の少し下に、大きな石碑が建てられている。石碑の説明板が手前に建っている。
「浦添城の前の碑」説明板。少し変わった名前だが、浦添城の前に建てられた碑、という意味か。1597年(日本は慶長二年)、ここ浦添城から遥か首里城まで石畳の道が造られたことを記念する碑で、表に平仮名の琉球文、裏に漢文で書かれている。沖縄戦で米軍により台座もろとも破壊され、1999年(平成11年)に復元された。
浦添城の前の碑を見てみよう。立派な巨大台座に載っている。
浦添城の前の碑 表面。琉球かな文字で彫ってある。内容は「尚寧王の命令で国民が力を合わせて、岩を刻み、道を造り石を敷き、川には虹のような橋をかけた」といったような内容とのこと。石碑の上部には太陽・鳳凰・流雲が描かれる。
浦添城の前の碑 裏側。
裏側には漢文で彫られている。中国と日本の中央に位置する琉球王国ならでは、か。
復元に際してのプレートが小さく下に埋め込まれている。拓本があってよかった。
浦添城の前の碑 裏側やや下より見上げる。土台の下の方に土留めらしき低い石積みも見られる。
>> 浦添城 [3/3] へ続く。<<
訪問時期:2015年12月
撮影機器:FUJIFILM X-M1 + XF14mm
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こんにちは。
こういう沖縄の城跡を見ていると、沖縄諸島が火山性の島が多く、石材が手近にある土地であることが良くわかりますね。本土だと火山灰土の封土が厚くて石材を伐り出すのが大掛かりになるのが、こういう石垣の厚みの差にも現れるのかも知れないですね。
沖縄は琉球石灰岩と呼ばれる珊瑚由来の柔らかく加工しやすい岩盤が隆起して出来た島ということで、日本とはまったく異なる独自の石垣文化がかなり昔から発展していたことが、現地を訪れてよく分かりました。柔らかいが故に組みやすくもあり、崩れやすくもあることから、かの沖縄戦で石垣もろとも木っ端微塵にされてしまったのかもしれませんね。そんな沖縄グスク群もどんどん復元や整備が進んでいましたので、またいずれ機を見て再訪したく思っております。