浦添城 [3/3] 僅かに当時の石垣跡が残る南側緩斜面を歩く。

浦添城 訪問記 其ノ三(全三回)。

[前回までの概要]
浦添ようどれ館から「ようどれ」へ、そのままグスク内へ入り、見事に復元された石垣を見て廻る。城内には御嶽や井戸が多数残る。沖縄戦で米軍に破壊された遺構も復元が徐々に進んでいるようだ。Part3では再び主郭を散策、その後 城下のもう1つの資料館を訪問します。

Links: 浦添城 訪問記 其の一


<訪問記>

urasoe-gsk-4141浦添城の前の碑 を越えて、再び主郭を目指そう。丘の上が、主郭。パンフによると主郭までにもいろいろ見どころがあるようだ。

urasoe-gsk-4143草むらの中に「カガンウカー」と書かれた標柱がある。この奥に井戸があるようだ。

urasoe-gsk-4144草むらの中を進んでいくと、もう1つのカガンウカー標柱発見。左奥の道へ。

urasoe-gsk-4145こちらがカガンウカー井戸。かつて鏡のような水面を持つ井戸だったとか。

urasoe-gsk-4147元に戻って、上段を目指して登っていく。途中、かつて石垣だったと思われる石積みの跡が見えてくる。米軍の砲撃によって失われた石垣の内、わずかに残るところ。

urasoe-gsk-4148階段をあがる。階段の途中にも石垣があるようだ。

urasoe-gsk-4150こちらは残存状態が良い石垣。うまく隅部だけが残っている。本来はずっと置くまである程度の高さで築かれていたのだろう。

urasoe-gsk-4151階段をあがると、再び主郭へ。

urasoe-gsk-4152浦添城跡 主郭。木の麓に標柱あり。なおこのまま東の方へ向かうと地図上は巨大な岩「ワカリジー」がある、と描かれているが、発掘調査中のため立入禁止だった。山上に建つようにそびえたつその巨石は戦時中も目立っており、米軍の当時の写真にも「Needle Rock」として記されていた(攻撃の目印になった、ということだろう・・・)のが印象的だった。

urasoe-gsk-4155主郭から下りてきた。浦添城の前の碑がある広場。眺めが良い。

urasoe-gsk-4156主郭と碑の間あたりで見られた、大きく枝葉を広げた巨大な木。何とか収めようと超広角レンズを上に向けて撮影したら、地面が歪んでしまって少し変な感じ。それだけ巨大で存在感のある木だった。

urasoe-gsk-4157その大木の麓には、シートが架けられた場所が。恐らく発掘調査で出土した石垣跡か何かだろう。整備が進んで再び陽の目を見られる日は近い、か。

urasoe-gsk-4158浦添城の前の碑あたりからの眺望。他のグスクと比べるとそれ程比高は無く、町が近い印象を受ける。

urasoe-gsk-4159下山しよう。途中 露出していた岩盤があった。石垣の他にこういった露出した自然の岩盤も城壁に見立ててうまく活用されていたのだろう。

urasoe-gsk-4162復元された石畳の道を通って下山する。正面の赤い屋根の建物は幼稚園、左端に見える建物が公園の管理事務所で、建物内には一部 グスクの資料を展示したスペースがあるとのことなので、訪れてみよう。

urasoe-gsk-4163復元された石畳の一番下あたりから城跡方面を見上げる。かつてはこの石畳が遥か首里城まで敷かれていたというのだから、すごい。

urasoe-gsk-4165こちらが浦添大公園南エントランス管理事務所。公園の事務所にしてはかなり立派な建物だ。右側のガラス張りの部屋に、グスクの資料や出土品などが展示されている。こちらは見学無料。

urasoe-gsk-4165a-4172管理事務所内に置かれている浦添城ジオラマ。よく出来ている。

urasoe-gsk-4165b-4174浦添城ジオラマ。山頂の主郭部はかなり細長い作りになっているが、現在は向かって左側しか立ち入りができない。向かって右端の城壁の外側に、ワカリジーがあるようだ。山の下から見えないかあたりを歩いてみたが、麓からは草木が邪魔して見えなかった。ある程度離れてビルの上などから見れば、見えるかも。

urasoe-gsk-4166管理事務所内の説明パネルをいくつかご紹介。浦添城跡と沖縄戦。浦添城跡は戦時中「前田高地」と呼ばれ、首里城(日本軍司令部)防衛に向けた重要な拠点だったため、激戦地となった。城跡の麓にあった小学校も無残な状態に。

urasoe-gsk-4167浦添城跡の発掘調査 説明パネル。積み上げられた石垣は失われたが、今も地面に埋まる形で石垣の一部が残っているようだ。それを元に、元あった場所に石垣の復元整備が進んでいる。

urasoe-gsk-4168浦添城跡について 説明パネル。1933年(昭和8年)の古写真を見ると、主郭には沖縄戦まで立派な石垣が残っていたことが分かる。

urasoe-gsk-4169漫画チックな「浦添グスク出身の王様たち」。浦添ようどれを築いた英祖王、明国との貿易を確立させた察度王、首里城までの石畳を築いた尚寧王。

urasoe-gsk-4180管理事務所を出て、建物の裏側の道を、浦添城跡のある山に沿って進んでみよう。

urasoe-gsk-4181山麓に造られたカンパン壕。戦時中の日本軍の壕跡で、中にカンパンが大量に保管されていたことからこの名が付いたという。他にも壕が幾つか残されているが、落盤などの危険性が高いため立ち入りは禁止されている。

urasoe-gsk-4183遊歩道の先端にあった「山川ガー」。井戸跡。

urasoe-gsk-4183a-4187城下へ降りてきて町を少し散策。一見 普通の町並みだが、郵便局の向かい側、学校があるあたりには番所跡とのことだ。

urasoe-gsk-4184浦添間切番所跡 説明板。浦添中学校の校門近くにこの碑がある。

urasoe-gsk-4188もう1つ城下に残る史跡を訪ねてみよう。民家と民家の間にある、この細い路地を奥へ。

urasoe-gsk-4189奥にはブロック塀で囲まれた小さなスペースがあった。右奥に石積みが見える。

urasoe-gsk-4191浦添城下 仲間地区の古い遥拝所の1つ、仲間の火ヌ神。

urasoe-gsk-4192仲間の火ヌ神 説明板と史跡碑。

urasoe-gsk-4193a-4190仲間火ヌ神 説明板アップ。今も年中行事などで祈りが捧げられているという。

urasoe-gsk-1114おまけ:ようどれ館で頂いた、浦添ようどれパンフと浦添城跡散策MAP。助かりました。

昭和20年の米軍攻撃によってその多くが失われてしまった浦添城跡。しかし戦後 継続的に行われている発掘調査により多くの遺構が見つかり、それらを元に王陵「ようどれ」の石垣復元が完了し、グスク側の石垣は今も復元作業が行われている。琉球王朝の歴史だけでなく、沖縄戦の悲惨な歴史を体感できる浦添城、沖縄歴史訪問の際はぜひ訪れておきたいところだ。

訪問時期:2015年12月
撮影機器:FUJIFILM X-M1 + XF14mm
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