躑躅ヶ崎館(武田氏館) [後編] 信玄公産湯の井戸が伝わる要害山麓 積翠寺へ

躑躅ヶ崎館(武田氏館) [中編]躑躅ヶ崎館 の続きです。

境内東にある大手門跡から外へ出て、神社の東側に広がる東遺構公園を散策。大手石塁、土塁、石段などが発掘・復元されている。基本的に武田氏滅亡後に入った家康による改修後の姿に戻しているようだ。次は西曲輪の散策へ。


<訪問記>

tsutsuji-4272本曲輪から土橋を通って西曲輪へ。西曲輪は余り定期的には整備されておらず草ぼうぼうという感じだが、以前整備されたと思われる土塁や石階段などがあるようだ。まずは北側を見ると、石段の向こうに虎口らしき場所が見える。

tsutsuji-4273西曲輪 北虎口へ。部分的にだが、びっしり石が積み上げられた堅固な石垣が見える。土塁の前にある説明板を見てみよう。

tsutsuji-4274西曲輪北側枡形虎口 説明板、というより、説明用紙をクリアファイルに入れて設置したような簡易説明板。有るだけ有り難い。説明板によると、西曲輪は信玄長男により新造された居館があった場所のようだが、長男は謀反の罪で自害し、その後の西曲輪の利用は不明とのことだ。今残る石垣は武田氏滅亡後に積み上げられたものとのことだが、枡形虎口自体は武田氏の土ベースの築城技術を代表する構造とのこと。また左側の「南門」に関する説明によると、石垣のあるあたりに石垣より古い礎石が6つ見つかり、武田氏時代にここ南門には櫓構造の立派な門が建っていたのではとのことだ。

tsutsuji-4275枡形内部から北門を見る。南門より狭く、その奥にも土橋が見えることから、外側は固く守られていたようだ。門があったのかどうかなど北門跡の説明も見たかったが、写真で木の向こう側に見える説明プレートには残念ながら何も無かった。恐らく紙が飛んで?無くなってしまったものと思われる。

tsutsuji-4276枡形内部から南門跡を見返す。北門との違い。そして、全体写真はないが、こんな感じの土塁がぐるりと周囲を囲っている堅固さ。

tsutsuji-4277北門外の土橋。かなり細く、堀は深い。橋の向こう側は先ほど見た縄張図によると馬出しがあったようだ。見に行ってみよう。

tsutsuji-4278残念ながらこの状況でよく分からず。馬出しの外側の土塁と思われる草の盛り上がりは確認できるが…

tsutsuji-4279西曲輪北虎口外の馬出しから土橋を見返す。

tsutsuji-4283西曲輪の南出口。堀には土橋が架かり、外へ出られる。縄張図によるとこの外側も往時は馬出しだったようだが今は全体的に埋め立てられ道路になっている。

tsutsuji-4284西曲輪南虎口前にあった、武田菱と北斗七星の絵柄を持つ軍配が描かれた石碑。下の漢文をナナメ読みすると、大正8年に武田神社が鎮座し祭事では武田二十四騎に扮した地元有志の甲冑行列をやったので後世の参考のために記す的な感じのことが書かれている(と思う)。大正11年寄進。

さて躑躅ヶ崎館跡である武田神社を出て、北に少し進んだところにある積翠寺(せきすいじ)を訪問してみようと思う。積翠寺は武田氏館の詰城であった要害山城の麓にあり、伝承では信玄公が産まれた場所とも言われている。既に夕方、要害山に登る時間はないので、下からだけでも見たい。

車で武田神社から10分ほど北上。積翠寺前へ。駐車場はない。

tsutsuji-4285sekisuiji積翠寺を示す案内板。この案内板の真下に見える燈籠が、積翠寺への入口になる。

tsutsuji-4287燈籠の前へ。積翠寺 参道。

tsutsuji-4288参道へ入る。右側にある説明板を先ずは見てみよう。なお説明板の奥にもう1つ立つ青い看板は周辺マップ。これによると右奥の山が要害山城跡のようだ。

tsutsuji-4290積翠寺 説明板。というより積翠寺に伝わる文化財の説明板のようだ。積翠寺は古くは石水寺と書き、信玄公の誕生した寺とも言われ、境内には産湯井戸や産湯天神があるという。後奈良天皇の勅使が甲斐に来られた際に作成した和漢連句(五七五の和歌と五言の漢詩を続ける連歌の一種で当時流行)のうちの一巻が伝わるという。寺宝なので流石に見られない。

tsutsuji-4291参道をあがって寺へ。右側に、機山武田信玄公誕生之寺 と彫られた石碑が立つ。

tsutsuji-4292a-4305境内左奥に、寺の裏にある庭園への入口がある。

tsutsuji-4295建物の横に沿って奥へ。右へ曲がると庭園へ。

tsutsuji-4296こちらが積翠寺 庭園。見づらいが、一番奥の建物の横に井戸があるというので奥へ進んでみる。

tsutsuji-4299こちらが庭園奥にある「信玄公産湯の井戸」。説明板によると、1521年 武田信虎公(信玄の父)の夫人は合戦を避けこの寺に留まって信玄公を出生、その際に産湯に使った井戸とのこと。

tsutsuji-4300中を覗いて見る。今も少しだけ水があった。

tsutsuji-4301信玄公産湯の井戸の横にはこれまた古い蔵があったが詳細不明。窓の上に武田菱が描かれている。

tsutsuji-4306a-4293庭園へ向かう道の横に小さな御堂がある。御堂の横には古びた説明板。

tsutsuji-4306b-4294説明板は積翠寺の由緒書だった。信玄公誕生の伝承、産湯井戸、積翠寺(石水寺)命名の由来、築庭および寺宝について書かれている。

tsutsuji-4306c_s御堂の横にはもう1つ、収蔵物を記していると思われる石碑があった。武田不動尊 信玄公像 毘沙門天。中を拝見してみよう。

tsutsuji-4307御堂の内部。中央に鎮座しているのが寺宝 信玄公像、その左右にそれぞれ武田不動尊、毘沙門天だろうと思われる。

tsutsuji-4309積翠寺を出て、向こうを見上げると、そびえたつ要害山城跡。夕方なので登る時間はなかったが、寺のどこかから登山道があるという。多少だが今も土塁等の遺構があるとか。

tsutsuji-4311積翠寺のある高台から見下ろした甲府市内。結構高い。

武田家躍進を支えた信虎・信玄・勝頼3代の居城だった躑躅ヶ崎館。武田氏滅亡後、入府した家康により建てられた近代城郭 甲府城 のすぐ近くなので、神社化していて西曲輪以外には遺構は少ないとは言え、甲府城とセットでぜひ訪れてみたい城跡だ。

訪問時期:2014年7月
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