躑躅ヶ崎館(武田氏館) [中編] 大手門東遺構は武田氏滅亡後の姿に復元中

躑躅ヶ崎館躑躅ヶ崎館(武田氏館) [前編] の続きです。

武田神社の周囲に残る堀を見ながら神社正面の参道から境内へ。お参りして、宝物殿を見学して(撮影NG)、境内東の大手門跡から外へ出る。東側には発掘調査により一部復元が行われている東遺構があるようだ。中編ではここを見ていきます。


<訪問記>

大手門跡から外へ出ると、目の前一帯が「大手門東遺構公園」として整備されているようだ。結構広いので順に見ていこう。

tsutsuji-4231a-4256まず目の前には横に長い凹型の石塁がある。

tsutsuji-4232石塁の横にある武田氏館跡大手 説明板。発掘調査により、大手門の前に大手門守備用の「大手石塁」と、その下層から武田氏時代の三日月堀跡が出てきたという。大手石塁は武田氏滅亡後の秀吉家臣(誰?)によって築かれたものと想定されるらしい。三日月堀は武田氏特有の「丸馬出」の一部。

tsutsuji-4236s大手石塁は解体修理により積みなおしがなされた。角部もこの通りしっかり復元。

tsutsuji-4237このあたりは大手門周辺ゾーンと名付けられ、先ほど見た大手石塁の他、厩跡、虎口石階段、土塁などが発掘・復元されているようだ。

tsutsuji-4238まずは入ってすぐの場所にある厩跡。柱の場所が丸い石で平面復元されている。

tsutsuji-4239厩跡 説明板。厩(うまや)とはその名の通り馬小屋のこと。地面に柱を埋めて建てた「掘立柱建物跡」とのこと。柱の跡しかないのに何故 厩 と分かったかというと、特徴的な柱間から江戸初期の厩の建物形式に酷似し、また甲州古城勝頼以前図という史料にもこのあたりに御厩の表記があることからとのこと。

tsutsuji-4240厩跡の奥には大きめの土塁が復元されているようだ。行ってみよう。

tsutsuji-4242土塁・惣堀の復元 説明板。この土塁の外側には堀がある。発掘調査の結果、地中から土塁の端っこに埋められた石積みが出てきたことから土塁規模を推定することが可能となったので復元したとのこと。

tsutsuji-4243復元土塁の端。結構高く、斜面を駆け上がるのもなかなか厳しい角度がつけられている。

tsutsuji-4244a-4252sそして復元土塁の北側には石段と、堀を越えて東側へ向かうための土橋が復元されていた。

tsutsuji-4245惣堀北側虎口 説明板。先ほどの石段のことで、ここ大手門東曲輪の虎口にあたるようだ。石段は人為的に埋められていたが、発掘調査で出てきたので元の石段は保護のため埋め戻して、その上に往時の形と同じように復元したとのことだ。

tsutsuji-4250土塁の外側の惣堀。一面の蓮池になっていた。右側の道は昔からある街道とのことなので、先ほどの石段の虎口はこの街道から館へ入る敵兵を抑えるため、高い土塁と広い水堀で堅固に守られていたようだ。

tsutsuji-4251a-4248土橋の上にあった説明板。石塁、三日月堀、土塁に土橋と、今まで見てきた東曲輪の遺構についてまとめてある印象。

さて東曲輪はだいたい見終わったので、大手門跡から再度境内へ戻り、中曲輪(本丸)内の残りの部分と、西曲輪の散策へと向かう。

tsutsuji-4262a-4265境内の西側にあった立派な能舞台。甲陽とは甲府が輝く様を現し、武田家軍学書として有名な「甲陽軍鑑」でもお馴染み。

tsutsuji-4263武田水琴窟。水琴窟は地下の空間に水滴を垂らしてその反響音を楽しむ日本庭園によくある仕組み。かの武田信玄も水琴窟を楽しんでいたのか!と思ってしばし竹筒に耳を当てて音を楽しんだ後に横の看板をちゃんと読むと、水琴窟自体は江戸時代に開発されたものとのこと。つまり信玄公が楽しんだ水琴窟ではなかった。。。

tsutsuji-4264気を取り直して、水琴窟の近くにもう1つあった「姫の井戸」。こちらは看板によると、これは武田氏時代からここにあると伝わる躑躅ヶ崎館における大事な水供給設備の1つとのこと。説によると、信玄公息女の産湯にしたとも、勝頼公が京からの客人を迎える際の茶之湯にしたとも言われているとか。実際この井戸から出てきた茶器は宝物殿に展示されていた。

tsutsuji-4268本曲輪の西端へ。土塁が一部割かれ石積みで保護された道から、土橋を通って西曲輪へ向かうことができる。なおこの写真を撮った場所あたり(西曲輪へ向かう土橋手前)の北側には、家康時代の天守台跡が地図上では見られるのだが、そこへ向かう道は立入禁止となってて奥は草ぼうぼうで天守台自体は見られなかった。草木が落ち着いた時期だと木々の隙間から天守台の石垣の一部が見られるそうなので、次は晩秋に。

tsutsuji-4269西曲輪と本曲輪の間の土橋にあった説明板。ところどころ細かい違いはあるが、前編で見た宝物殿の看板裏側と同じ内容だ。

tsutsuji-4270西曲輪と本曲輪の間の堀跡(北側)を土橋上から見下ろす。水は抜かれているが深い堀の様はそのまま。右上の深い竹林の奥に天守台があるはずなのだが、この通りこの時期だと全く見えない。

後編は勝頼時代に拡張されたという西曲輪を散策。その後、信玄公が産まれたという躑躅ヶ崎館北方にある積翠寺(せきすいじ)および詰城があった要害山(の外観だけ)を見に行く予定。

>> 躑躅ヶ崎館 [後編] へ続く。<<

訪問時期:2014年7月
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