霧山城 [前編] 室町時代の武家庭園が”現存”する北畠氏館跡

霧山城(多気城)は伊勢の戦国大名だった北畠氏の本拠地であり、伊勢と大和を結ぶ街道沿いに位置する難攻不落の山城であった。多気は「たげ」と読む。山麓には城館 (北畠氏館跡) が建ち並び、山上の霧山城は峠に囲まれた詰めの城であった。北畠氏は霧山城を拠点に9代 240年に渡り繁栄するも、1569年に織田信長の侵攻により開城、信長は次男の信雄(のぶかつ)を北畠氏に養子として送り込み、旧北畠一族を暗殺するという方法で北畠家を乗っ取った。現在は山麓の館跡に北畠神社が建ち、武家庭園が現存する。その遥か山上には土塁と堀切で守られた中世山城の遺構が良好に残る。

<基本データ>
●名称: 霧山城 (Wikipedia) [別名 多気城]
●所在: 三重県津市 (マップ)
●築主: 北畠顕能 (伊勢北畠氏祖)
●築城: 1342年 (南朝暦:興国3年)
●遺構: 土塁、堀切、曲輪、庭園跡
●関連: 津市HP (多気北畠氏遺跡)津市観光HP


<訪問記>

霧山城への登山道は、山麓の北畠氏城館跡(北畠神社)横にある。まずは神社をお参りし、その後 北畠氏時代のまま残るという立派な回遊式庭園を見てから、城の攻略にかかろう。

kiriyama-1415a-1596北畠神社 鳥居。この鳥居の手前に売店と大きな駐車場がある。そこからスタート。

kiriyama-1416鳥居の横にあるトイレの壁に貼ってあった周辺案内図。鳥居の向こうに庭園と北畠神社があり、庭園の手前から山道をぐねぐね上がっていくと山頂に霧山城跡があるようだ。

kiriyama-1417逸る気持ちを抑えて、多気北畠氏城館跡の説明板があったのでまずはそれを見る。山麓の館跡、裏山の詰城、そして山頂にある霧山城跡とで「多気北畠氏城館跡」となるようだ。

kiriyama-1418さてまずは神社および庭園などの山麓館跡を見よう。鳥居の奥の太鼓橋を渡る。

kiriyama-1422橋を渡ると道が左右に分かれる。右へ行けば神社参道へ。左へ行けば霧山城跡 登山道へ。

kiriyama-1422a-1424まずは右の神社庭園参道へ向かおう。

kiriyama-1423参道沿いにある低い石垣の向こう側は、地図によると庭園跡になるようだ。まずはまっすぐ進む。

kiriyama-1426北畠神社 石鳥居。

kiriyama-1426a-1477北畠神社 境内の様子。拝殿の横に立つ巨木が巨大すぎてどれだけ下がってもフレームに収まらないので、魚眼レンズで対応。すごい迫力。

kiriyama-1426b-1470神社の横へ進んでいくと北畠顕家(あきいえ)公 の銅像が立つ。北畠顕家は建武年間に後醍醐天皇に仕えた南朝方武将で、新政に反旗を翻した足利尊氏軍と戦い一旦は九州へ追いやる活躍を見せるも、再挙した足利軍と和泉堺で戦い21歳の若さで討死した悲運の武将。「太平記」に出てくる。伊勢北畠氏祖の北畠顕能(あきよし)公は弟にあたるそうな。その顕家公の銅像が、なぜここ多気にあるのかは不明。。。北畠神社だからか。

kiriyama-1426c-1471北畠顕家公 銅像。最後の戦いの場である和泉国 堺の阿部野神社にも顕家公の銅像が立つという。

kiriyama-1426d-1474銅像の更に奥には発掘調査が行われており、その成果として中世館跡では日本最古の石垣が出土した! という説明板があった。が、現物(石垣)は恐らく埋め戻されたのだろう、どこにもなかった。

kiriyama-1426e-1433それでは庭園へ行こう。こちらの門の奥が北畠氏城館庭園になる。社務所に申し出て入場料(300円)を支払い、宮司さんに案内いただいて中に入ろう。

kiriyama-1427庭園のご案内。ようこそ戦国時代へタイムスリップ! 心静かに歴史のロマンに浸ってみよう。

kiriyama-1432門の前に庭園に関する説明板が立っていた。同年代(中世 室町時代〜戦国時代)の庭園のうち、埋もれずに残っていたのは非常に稀有とのこと。池泉と枯山水があり、背景の山々を借景に、質実剛健で武将好みの男性的な庭園、とのこと。うーむ。

kiriyama-1435庭園内へ。今は樹齢400年以上の巨木が立ち並び向こう側は見えないが、宮司さんのお話によると当時はそんな巨木は無く、池と築山の向こうに山々を借景にした見事な庭園だったのでは、とのことだ。

kiriyama-1446北畠氏城館跡庭園 その2。回遊式になっており、池の廻りを移動しながら色んな角度から様々な表情の庭園を楽しめる。池の一番奥から庭園内を見た図。

kiriyama-1447a-1468橋の手前から。橋の前には亀石と呼ばれる亀のような形をした巨石が鎮座していた。その奥には上部が平らな岩があり、城主がこの上に座って考えを巡らせるような場だったのでは、とのこと。

kiriyama-1459庭園の奥には枯山水もある。巨石の配列は仏様が並ぶ様を表しているとか。

kiriyama-1478a-1425庭園と城館跡(神社)を十分堪能した後は、いよいよ霧山城への登城が始まる。赤鳥居前まで戻り、いざ霧山城 登山口へ向かう。

kiriyama-1479しばらく道なりに進むと曲輪のような場所へ出た。入口の石碑には 北畠神社 神饌田 と書いてある。 神饌(しんせん)とは、神社に供える供物のこと。

kiriyama-1480神饌田の奥に井戸があり、その右奥に、霧山城跡への登城口がある。黄色い看板が目印。

登城口にたどりついた時点で前編終了。いよいよ登山道へ。

>> 霧山城 [中編] へ続く。<<

訪問時期:2014年4月
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