一乗谷朝倉氏遺跡は、戦国大名 越前朝倉氏一族が築いた、山と川に囲まれた自然要塞の遺構。織田信長軍の軍勢に攻められ朝倉氏滅亡とともに街も焼失してしまったが、近年の発掘調査と復興事業により当時の繁栄を忍ばせる歴史スポットになっている。山上には詰城跡も残る(信長侵攻時には使用されず)。
<基本データ>
●名称: 一乗谷朝倉氏遺跡
●所在: 福井県福井市(マップ)
●築城: 15世紀頃
●築主: 朝倉氏
●遺構: 城下町跡、庭園跡、詰城跡
●関連: 福井市HP、ライブカメラ
<訪問記>
一乗谷朝倉氏遺跡は、城跡だけではなく城下町の遺構である。詰城跡は谷を囲む山の1つである一乗谷山上にあるが、訪問時期が冬だったため登山を断念。館裏の山道を1時間ほど登れば城跡へ、削平地や土塁が残るという。ここでは主に復興された城下町の様子を伝える。
入口にある城下町遺構マップ。谷の前後に「城戸跡」という巨大な土塁が残る。が、なぜか写真を撮っていなかった。
城下町遺構は、当時の礎石などを発掘した「平面復元」と、古文書などを元に当時の武家屋敷などを復興させた「復興町並み」とがある。上の写真は平面復元の武家屋敷跡。
説明板により、ここにあった武家屋敷は門が2つあり、またこの武家屋敷に行くための専用の道路が作られていたことから、かなり位の高い武士の屋敷だったと考えられる。
平面復元地区から復興町並みへは、この門から入ることができる。
復原町並の内部はこんな感じ。一本の通りの両側に武家屋敷や町民の家屋が復興されており、家屋の中に入ることも出来る。
復興家屋の中の1例。食器を売る商店を営む女性と、不安そうにそれを奥から見つめる子供、とかいう説明があったような記憶が。夜行くと結構コワイかも。
復興家屋。米俵が部屋の隅に貯蔵されている。
鎧兜の試着コーナーもあったが、冬期は観覧のみで試着はやっていないとのこと。残念。
復興された武家屋敷の内部。立派な庭と井戸がある。
武家屋敷の中には、将棋を指す人物(家主か)や鎧兜、刀剣などが展示されている。
一方、入口付近の台所では、家族や使用人が食事の準備をしている姿が。
この町並みでは一乗谷出身という設定の白い犬のCM撮影なども行われたそう(パネルが展示してあった)。
一直線の城下町街道。
復興町並の端っこにあるガイダンス施設内にある、武家屋敷群ジオラマ。発掘調査により実際の一乗谷にて使用されていた建築部材や平面図は分かったものの、立体的な建物としての資料が無かったため、同時代に描かれた絵図などを元に復興したとのこと。
復興町並の北側にある朝倉氏館跡には、谷を二分する一乗谷川を、この「おやかたばし」を通って渡る。親方橋、ではなく、御屋形橋。
橋を渡ると塀に囲まれた屋敷跡が見える。土塁の奥にある門へ向かう。
この「唐門」は朝倉氏時代のものではなく、織田信長に滅ぼされ最後の朝倉家当主となった朝倉義景を弔うために江戸時代に建造された菩提寺の門とのこと。唐門の奥にある巨大な木は桜とのことで、春になると桜と唐門とを合わせた定番構図の写真を撮るべく混雑するらしい。
朝倉氏館跡の全体図。雪がない黒い部分が発掘により出てきた館の礎石。当主の館だけあり非常に広い。
館跡の奥には当時の日本庭園の跡も発掘されている。ここは館周辺に幾つか存在する庭園跡の1つ、湯殿跡庭園。
朝倉氏館の敷地の奥にはたくさんの館跡(奥方の館、など)があり、各館を結ぶ道路跡も発掘されている。
平面復元地区の様子。
平面復元地区その2。
おまけ その1:最寄り駅「一乗谷駅」があるJR九頭竜線の電車。単線1両。
おまけ その2:一乗谷駅ホーム。無人駅。電車は2時間に1本。
訪問時期:2013年2月
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