土山城は甲賀の丘陵上に残る山城跡で、「甲賀郡誌」によれば室町時代の15世紀後半に土山鹿之助によって築城されたとされ、天正期に織田軍の侵攻により落城した。その後 天正12年(1584)の小牧長久手の戦い終盤で、秀吉が大坂から尾張へ向かう道中の宿泊地点として土山城に着陣した記録があり、その際に織豊期の技術が用いられ馬出しや虎口などを持つ城郭へと改修されたようだ。曲輪跡には看板なども建ち、ヤブも少なく整備状況は良好。
<基本データ>
●名称: 土山城
●所在: 滋賀県甲賀市 (マップ)
●築主: 土山鹿之助
●築城: 文明年間(1469-1487) 頃
●遺構: 土塁、空堀、虎口、曲輪
<訪問記>
土山城 縄張図。城跡入口の看板より抜粋。城跡碑より伸びる山道を道なりに登っていけば城跡へ。主郭は周囲を土塁で覆われており、南北に虎口が1つずつ、南の虎口前には「馬出し」とされる主郭の防衛拠点が存在することが特徴。
では土山城へ向かおう。目印はここ。民家の間の小道を入っていくのだが、その入口に「土山城跡」の石碑が建つ。
小道の入口に建つ「土山城址」の石碑と石灯籠。
民家の間の小道沿いには古い案内板が建っている。
古い「土山城址」の説明板。残念ながら文字が消えてしまっていて非常に読みづらい。文明年間、土山鹿之助、ぐらいしか読み取れない。
山道をあがっていくと、城跡の前に立派な説明板が現れる。
2010年に建てられた、詳細縄張図付きの説明板。素晴らしい。旧東海道 土山宿の北側にあたり、ここは昔からの要所であったようだ。築城自体は戦国初期の甲賀武士によるものだが、虎口・馬出しなどの構造から織豊期に手が入っているものと想定されている。
では案内板を越えて、城跡へ向かおう。向かって左側の山道を進む。
2本の尾根道に挟まれた谷筋を上がっていく。正面に白い看板が見える。
「曲輪V」と書かれた看板。角馬出状 虎口空間、と書いてある。
曲輪V の南側に残る空堀と土橋。
曲輪Vの土橋アップ。
曲輪Vから一つ上の曲輪IIIへ向かう。曲輪Vも、曲輪IIIの馬出しのような形にも見える。
曲輪III。曲輪の内部に陥没している場所などが見受けられる。
曲輪IIIから、曲輪II(角馬出し)方向を見る。曲輪IIの土塁とその手前の堀切が見える。更にその奥の大きな土塁が主郭だ。
曲輪IIの手前の堀切。かなり埋まっているので簡単に越えられそうだが、当時はもっと鋭角に掘り込んであったことだろう。
曲輪II、主郭の角馬出しとされる場所へ。
曲輪II 看板が建つ。角馬出状 虎口空間、と書いてある。曲輪Vと同じだ。しかしなぜに漢文調? 正面は曲輪II西側の土塁。
曲輪II看板越しに見る、主郭への土橋。
曲輪IIの堀切。
ここで主郭へはすぐに向かわず、まずは曲輪IIの西側にある曲輪IVへ行ってみよう。ここは北側(主郭側)を土塁で囲み、真ん中に虎口が設けてある。
曲輪IVの土塁と北虎口。
曲輪IVの北虎口から覗いた、主郭周囲の堀切(横堀)。
曲輪IVの土塁。
では曲輪IIへ戻って、主郭へと向かうこととしよう。曲輪IIから主郭へ通じる土橋。
土橋の上から見下ろした主郭周囲の横堀。主郭はかなり高いことがわかる。
>> 土山城 [後編] へ続く。<<
訪問時期:2014年12月
撮影機器:FUJIFILM X-M1 + XF14mm
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