江戸城 [6/6] 忠臣楠公像は武将銅像の見本たるカッコよさ!

江戸城江戸城 [5/6] の続きです。

皇居外苑の散策を開始。濠に浮かぶ白鳥を見ながら本丸沿いに南下。桜田巽二重櫓、坂下門(現 宮内庁正門)、二の丸大手門(現 皇居正門)、石橋と鉄橋(二重橋)を見て、外苑 南西端の桜田門へ。雨の江戸城散策もいよいよ終わりへと向かう。


<訪問記>

edo-2783桜田門前通路。右側の濠は二重橋濠、濠向こうの石垣は皇居内。ちなみにこの桜田門内外は皇居ランナー向けのランニングコースになっているようで、ランナー向けの看板が多く設置されていた。さすがに雨なので2〜3人しか走っていなかった…というかランナーとすれ違ったことに驚き。雨の中 何が彼らをそうさせるのか。写真はすべてランナーの居ないタイミングを待って撮影。

edo-2787桜田門 枡形内側の櫓門。さすがの貫禄だ。関東大震災で一度壊れたが修復。重要文化財。

edo-2790桜田門 枡形虎口の中へ。外側の門は高麗門だ。枡形の内側は石垣ではなく土塁ベースのまま。地面に近いところに薄く石垣が巻かれているのは、腰巻石垣という。

edo-2791枡形の内部から桜田門 櫓門を見返す。石垣が、切込み接ぎとはいえ、大小さまざまな大きさの石がパズルのようにはめこまれているのに少し驚いた。扉に貼られている鉄板(筋鉄)は緑が多かったが桜田門は黒だった。

edo-2792枡形出口の高麗門。木製の門の一種なのだが、江戸城の高麗門はさすがの白漆喰仕様。美しい。家を建てるときは門を白漆喰仕様 高麗門にしたいぐらいだ。

edo-2793旧江戸城 外桜田門 説明板。ここから城内へ入るとすぐに皇居正門(旧 西ノ丸大手門)から西ノ丸へ入れてしまうため、堅固な造りになっているという。ちなみに今まで桜田門桜田門と説明してきたが、正式には桜田門は外桜田門と内桜田門の2つがあり、坂下門の手前にあった桔梗門が別名「内桜田門」と呼ばれることに対し、この桜田門は「外桜田門」と呼ばれていたという。ややこしいので、当ブログでは桜田門、桔梗門で統一する。1663年建造の、350歳。明治維新後、日本を訪れていたヨーロッパの建築家が江戸城を訪問した際、巨大な桜田門の堅固さと美しさに感動し、帰国後にスペインで建築し始めたのが、この桜田門の名前を冠した桜田ファミリアと言われ…ていない。

edo-2796桜田門の外側から、高麗門を見る。

edo-2797a-2799桜田門の高麗門と奥の櫓門は、両方共 外側から並んで見ることが出来る。櫓門は、内側を守る門だけでなく、門の外側を見張る役目も兼ねていたのだろう。門の横に建てられた見張櫓のようにも見える。

edo-2798桜田門 櫓門の横っ面と、それに続く本丸南端の石垣。本丸かなり広い! が、かなり向こうに見える橋(内堀通り)はまだ皇居御苑の真ん中あたりというから驚く。

edo-2799a-2802桜田門交差点あたりから桜田門を見る。大老井伊直弼は、まさに江戸城の目と鼻の先まで来て、水戸浪士たちの凶刃に倒れた。とはいえ彦根藩上屋敷はここから500mほど西に行った憲政記念館(国会議事堂の北東向かい)あたりだったそうなので、自宅を出て職場に付くまでのごく短い通勤中に待ちぶせされてやられたということのようだ。労災。

edo-2800桜田門外 土橋上から見た西側の濠と土塁。江戸城を象徴する石垣が一切なく、この写真だけ見ると江戸城とはなかなか気付かないかもしれない。泳いで渡ったら登れそうな角度のようにも見えるが、実際はずるずる滑ってなかなか登れない(山城跡で何度も体験済み)。

edo-2805桜田門を再度通って外苑へ戻る。南端の通路を東へ向かう。外苑中央部の松林と、その向こうにそびえる東京駅の摩天楼。

edo-2807特別史跡 江戸城跡 の看板が、内堀通り沿いの皇居外苑 南端あたりにあった。皇居外苑は、今いる西ノ丸下だけでなく、北の丸や、皇居を取り巻く濠も含まれるようだ。特別史跡は、史跡の中でも特に学術上の価値が高く日本文化の象徴と評価されるものが選ばれるとのことで、お城では江戸城の他に、姫路城、彦根城、大坂城、名古屋城、熊本城、五稜郭、安土城跡など、全国の錚々たる城郭・城跡が指定されている。

edo-2808内濠通りを挟んで西側の、皇居外苑南端の石垣。キレイな打込み接ぎで、隅部も算木積みではあるが門ほど大きくキレイな石が積まれているわけではない。

edo-2811内堀通りを渡って、東側へ。皇居外苑の南側から内堀通りを渡る場合、濠を南へ渡らないと信号がない。濠の南側の横断歩道附近から、皇居外苑 南東の石垣を見る。このあたりの濠は日比谷濠と呼ばれる。堀の向こう側はメトロ日比谷駅がある。日比谷公園は更にその南側(写真でいう右側)。

edo-2813皇居外苑 南東エリアへ。こちらも中央は松林。南東端を目指す。

edo-2815南東端にあったのは、楠公レストハウス。この中に100名城スタンプが設置してあるので営業時間内に行こう。4時半まで。

edo-2817そして、レストハウスの前にあるのが、楠公騎馬像。楠木正成公! 戦国時代に比べて余り有名ではない鎌倉末期〜建武期の英雄。足利尊氏らと協力して倒幕、その後 後醍醐天皇を頂点とする建武の新政が始まるも不公平な恩賞などで武士層の不満が爆発。新政は尊氏が離反して崩壊し、後醍醐天皇の南朝と、尊氏率いる北朝との争いとなる。南朝側の正成は事態を打開すべく後醍醐天皇に色々と献策するも悉く却下され、出撃を命じられた神戸湊川で敗戦、自刃した。その後北朝が勝者となったため楠木正成は朝敵とされてしまったが、明治以降は尊王の忠臣として見直され、人々に愛されるようになった。そして明治になり、この銅像が作成された。興味をもった人は「太平記」をどうぞ。漫画版(さいとうたかを)、小説版(吉川英治、青空文庫)。

edo-2818カッコイイこの姿!まさに武将銅像の鏡。生涯 後醍醐天皇に仕え、尊氏離反後は後醍醐天皇の失政に問題があったと考え天皇を説得するも失敗。しかしそのまま離反することなく最後まで仕え続け命を捧げた人生は、まさに尊王の志士。

edo-2820正面から。今も高台の上から騎馬姿で日本を見守る。

edo-2821右前方からの御姿。正面は酸化して青くなっているが、裏側は黒い。

edo-2822そして台座の裏側には、この銅像にまつわる経緯が記されている。漢文のため読みづらいが、読める範囲で意訳すると、財閥の住友家が伊予別子銅山の開業二百年を記念して忠臣楠公像を別子銅山で採れた銅で鋳造し献納した(明治30年)、ということのようだ。ちなみに献納者の「住友吉左衛門」は、住友家が代々襲名する名前。財閥って色々すごい。

以上で、雨の中の江戸城散策(本丸〜二の丸〜三の丸一部〜西ノ丸下)完了。あと都内には地下の様々な工事現場で石垣等が出土しており、あちこちで展示されている。そのうちの1つ、地下鉄メトロ南北線 市ヶ谷駅にある外濠石垣を見に行った。

edo-2835ichigayaこちらが石垣が展示してある、市ヶ谷駅の江戸歴史散歩コーナー。市ヶ谷駅はかなり広く、昔通勤中によくこの前を通っていて、見覚えはあったのにどこにあったのか忘れて探すのに苦労した。当然構内マップには「外濠石垣」なんて書いてないし、Webの駅構内地図にも載っていない。「江戸歴史散歩コーナー」で駅員に聞くのが吉。場所は、南北線・有楽町線ではなく、都営新宿線に乗り換えに行く道沿い。

edo-2837ichigaya江戸歴史散歩コーナーの奥に鎮座する、復元外濠石垣。角は隅石ではなく、切って断面と内部(の栗石)を見せているもの。矢穴の跡が生々しい。

edo-2840ichigayaそしてよく石を見ると、刻印もちらほら。堀の石垣は間近では見られないので、これは嬉しい限り。石垣の他にも、江戸市中の古絵図(地面)や、発掘現場の写真、刻印一覧など、いろいろ展示してあった(結構マニアックな内容)。江戸城散策の際はぜひ。

以上、約半日かけての雨の中の江戸城散策。なお皇居内へは申請すれば一部だが職員立会いの元で観覧可能(平日のみ)らしいので、また機会をつくってぜひ再訪し、現存櫓3棟をぜひ間近で見たい!そして次回は外濠(見附)巡りもしたい。赤坂見附、牛込見附(飯田橋)、そして虎ノ門駅附近にも庁舎工事で出てきた石垣の復元展示施設があるとのこと… 見どころは尽きない。

訪問時期:2014年6月
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