高岡城 : 高山右近が設計した越中前田家の拠点城だが僅か6年で廃城

高岡城は、加賀藩2代藩主・前田利長が、大火で焼失した富山城に代わって越中の拠点とすべく1609年に築城した。縄張りは高山右近。しかしその僅か6年後、一国一城令によって廃城となる。歴代の藩主は城址を町奉行の管理下に置くことで堀や土塀の保存に務め、明治以降も城址はそのまま公園として残り、慶長期の縄張りを今に伝える貴重な遺構となっている。

高岡城<基本データ>
●名称: 高岡城
●所在: 富山県高岡市(マップ
●築城: 前田利長
●竣工: 1609年(慶長14年)
●遺構: 石垣、堀
●情報: 高岡古城公園高岡市立博物館


 

<訪問記>

takaoka_s-01高岡城跡は高岡古城公園として整備されており、JR高岡駅から北東へ徒歩15分ほどの場所にある。城跡の住所はなんと「古城1丁目」(右端の電柱に注目)。南外堀にかかる赤い欄干の「駐春橋」を渡ると古城公園。

takaoka_s-02駐春橋から南外堀を見る。公園内(=城址)はかなりの樹木で覆われている。堀の外側の壁は丸っこい石を積み上げた所謂「玉石積み」。こちらは近年の整備か。

takaoka_s-03橋を渡ったところにある古城公園 案内図。内堀がほとんどそのまま残っているようだ。また石垣はほとんど残存していないが一部 土橋の下などで見られるとある。案内図の横に同じ地図が掲載された散策ガイドマップが置かれているので貰っておこう。公園面積21万㎡、その1/3が堀だという。

takaoka_s-04城址に入ってすぐに見えてくるのは高岡市護国神社。城址中央にある射水神社の摂末社にあたるという。たいてい大きな城址の中には護国神社が鎮座している。英霊に感謝しましょう。

takaoka_s-05高岡市護国神社の奥にある、忠魂碑。かなり立派。

takaoka_s-06城址中央の本丸跡には射水神社 (いみずじんじゃ) がある。高岡城の遺構としては堀と土塁などの縄張りがメインで、敷地内は神社と博物館、残りは公園になっている。まさに市民の憩いの場だ。

takaoka_s-07二の丸から射水神社(本丸)へ渡る土橋の柵にはバラが植えてあり、オフシーズンはこのようにトゲトゲが露出している。要注意。

takaoka_s-08土橋から見た西内堀。紅葉が美しいが、散った紅葉が溜まりに溜まっている。

takaoka_s-09土橋の本丸寄りには、石垣跡を示す看板がある。土橋の側面に築城時の石垣が残っているという。この看板の横の坂道から橋の下に降りることが出来る。滑りやすいので注意。

takaoka_s-10橋の下(堀底)へ降りてきた。こちらが土橋側面の石垣。切り割って形を揃えた黒い石材を積み上げている。

takaoka_s-11石材には作業時の担当者などを示す刻印や、切り出す際のキリトリセン的な役割を果たす「矢穴」跡が多く見られる。

takaoka_s-12本丸へ。射水神社の鳥居。青銅製。

takaoka_s-13射水神社境内の横には、高岡公園相撲場がある。土俵の奥は卯辰山、通称「二つ山」。ともに藤子不二雄自伝的作品「まんが道」名所スポットだ。古城ファンだけでなく藤子ファンも訪れる地。

takaoka_s-14射水神社 拝殿。さすがは創建1300年を超える由緒正しい越中国一宮、堂々たる立派な造りだ。屋根の上に見られる、神社でよく見る独特の木材は、それぞれ千木 (ちぎ・左右の尖った木材)、鰹木(かつおぎ・寝せて載せてある丸い木材) という。なお千木は切り口が水平だと女神、垂直だと男神を祀っていると言われているが、逆になっていることも多い。

takaoka_s-15本丸北西部にある広場、通称「本丸広場」へ。何もなく広い芝生公園の周囲に、歌碑や現代美術のブロンズ像が多く並ぶ。

takaoka_s-16本丸広場の南側には、高岡城石垣の石が13個並べてある。説明板によると、明治初頭に護岸工事で持ちだされた高岡城址の石垣の石が、平成13年に河床から出てきたものという。

takaoka_s-17本丸広場の北端には、高岡城を建てた初代加賀藩主・前田利長公の騎馬銅像が立つ。なお利長が高岡城を建てたのは隠居後で病没する5年前だった。

takaoka_s-18前田利長公 銅像 説明板。慶長14年(1609年) 9月13日、高岡城への堂々入城の晴れ姿を模したものとのこと。

takaoka_s-20本丸広場から内堀沿いに東側へ抜ける。紅葉の間をくぐっていく雰囲気だ。赤い橋は本丸から三の丸へ抜ける「朝陽橋」。

takaoka_s-21朝陽橋から見た内堀。奥に見える東屋は、内堀に浮かぶ中の島の「緑翠亭」。

takaoka_s-22三の丸 内。

takaoka_s-23三の丸には「民部の井戸」と呼ばれる、築城当時から続く井戸が残る。こちらの屋形の中にあるのが井戸。

takaoka_s-24民部の井戸 説明板。

takaoka_s-25本丸の東側には動物園があり、その周囲には枡形堀と呼ばれる堀がある。水の流れがここに集まっているようで、落葉が大変なことになっている。

takaoka_s-27動物園横の内堀沿道。

takaoka_s-28動物園を越え、入ってきた二の丸の東側にあたる「鍛冶丸」跡から、本丸への土橋を見る。石垣がはっきり見える。行きに見た土橋の石垣は反対側(向こう側)。

takaoka_s-29鍛冶丸跡には神殿風の高岡市立博物館が建つ。高岡の歴史がパネル展示されている。高岡城の100名城スタンプもここにある。なんと入場無料。

takaoka_s-30…が、訪問日は月曜で何と休館日。100名城スタンプも貰えない。代わりに、入口前に立て看板とともに、博物館のパンフ一式とスタンプを押したシールが置かれていた。残念! 一応スタンプシールは貰っておき、貼らないでいずれスタンプ実物を押しに再訪したい。

takaoka_s-31博物館の横に展示されていた、刻印つき高岡城石垣の石。説明板によると「田」や「+」などの刻印が確認できるとあるが、どこに刻印があるのかよく分からなかった。

takaoka_s-32鍛冶丸から南へ下り、城の外へ。出口には、前田利長公の命により高岡城の縄張りを行った築城名手の一人・高山右近の像が建つ。大阪・高槻城址に建つ右近像と同じ格好だ。

takaoka_s-33高山右近像 説明板(顕彰碑)。キリシタン大名として有名な右近は、高槻2万石に始まり明石12万石まで出世するも、秀吉のバテレン追放令により追放。しかし細川忠興の助力を得てここ加賀藩に迎えられたという。その後徳川幕府のキリシタン追放令により国外退去となり、マニラへ渡ってまもなく病没。説明板にあるとおり、まさに数奇多難な人生だ。

takaoka_s-35右近の銅像が立つ入口は、高岡城 大手口とのこと。入ってきた駐春橋の道よりはずいぶんと広いことが分かる。

takaoka_s-35a大手口に建つ 高岡城址 説明板。きれいな楷書体で手書きで書かれた読み易い看板だが、どうしてこの手の文章には句読点が少ないのだろうか。読点(、)も少ないが、句点(。)に至っては最後に1つしか出てこない。

takaoka_s-36JR高岡駅の、高岡城址公園 方面とは反対側に建っている、前田利長公の銅像。城址公園の騎馬像とは違ってこちらは椅子に座り指示を出している姿だ。訪問時は夕方で、像はライトアップされていた。

takaoka_s-37駅前の前田利長公像 説明板。像の横には高岡城の石垣石もいくつか置いてあり、その説明板も兼ねていた。

なお利長公像は高岡市内にもう1つ、駅南の八丁道 沿いにもあるとのこと。近辺には、利長公の菩提寺「瑞龍寺」や墓所などもある。今回は時間の関係で訪問できなかったので、スタンプ押印がてら、また高岡を再訪したい。

なお城跡までの道中には、あの藤子F不二雄先生が高岡市出身ということで設置されているドラえもん銅像群や、日本三大仏の1つ高岡大仏などがあり見所も多い。

takaoka_s-38おまけ: 城址公園の手前にある、高岡大仏。前田利長公により、二上山の上にあった木造大仏をこの地に移したのが始まりで、焼失→再建を繰り返し、現在の大仏は1933年製の銅製とのこと。台座の中は入れるようになっており、焼け残った前代の頭部が保存されていた。手前の阿吽仁王像の目がコワイ。

takaoka-s-39おまけ2:高岡といえば加賀越中前田家ともう1つ忘れてはならないのは藤子F不二雄氏。街には前田利長公の他にドラえもん等のF氏デザインのキャラクター関係のものが多く見られる。これは駅前のドラ一族の銅像群。ちなみにハットリくんなどをデザインしたA氏は少し北の氷見のご出身。


訪問時期:2013年11月
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