大河ドラマ「軍師官兵衛」超カンタンあらすじ

2014年NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」。久々の戦国武将モノ、個人的に(前半は)地元が舞台で、大いに期待しています。

各放送ごとに本編の超カンタンあらすじと本編終了後のミニコーナー官兵衛紀行の内容紹介、関連する当サイトの城跡記事を随時掲載します。よくある私的な感想文は載せません。あくまで後で一気に読んでドラマの流れが分かる・振り返られるようにすることが目的です。

各話リンク : 50 / 49 / 48 / 47 / 46 / 45 / 44 / 43 / 42 / 41
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第50話「乱世ここに終わる(最終回)」- 2014.12.21放送
※録画したのに結局見れていない。。。
官兵衛紀行・・・御鷹屋敷(福岡県)、長政屋敷跡(京都市)
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第49話「如水最後の勝負」- 2014.12.7放送
九州。遂に進軍した如水は破竹の勢いで西軍の諸城を攻め落とす。かつての家臣が集結した大友軍も進軍し、両軍は遂に別府石垣原で激突。先鋒 井上九朗右衛門は敵の猛将でかつての仲間・吉弘統幸を涙ながらに討ち取る。吉弘を失った大友軍は総崩れ、翌日大友義統は降伏。如水恐るべしの噂はたちまち九州全土に広がる。
一方 美濃赤坂に居た家康は、大垣城に籠もる三成を得意の野戦に誘うべく佐和山攻撃の構えを見せる。思惑通り大垣城を出る三成。三成は小早川・吉川ら”怪しい西軍大名”を何度も説得して回る。わしが勝たねば豊臣は滅びる…三成必死。しかし彼らは既に長政の調略により徳川方へ付くことを決意していたのだった。
9月15日早朝。東西両軍20万の軍勢が関ヶ原に集結。三成は敵は8万と知り勝てると勢いづく。一方 家康は敵の数は多いが戦う気があるのは精々2,3万と知り、大いに喜ぶ。いよいよ決戦の時が近づいく。京では北政所が長政ら我が子同然の家臣らの無事を秀吉位牌に祈っていた。
官兵衛紀行・・・石垣原古戦場跡(大分県)
◇◇◇

第48話「天下動乱」- 2014.11.30放送
決戦に備え兵を募る如水。続々集まるも「まだまだ。この如水が起ったと九州一円に広めよ!」
大坂城。三成「命に代えても豊臣の天下をお守り致す」。三成は諸大名妻子の城内監禁を画策。黒田屋敷にも役人が迫るが、光・栄姫は善助・太兵衛の活躍で脱出。なんとか九州中津城へ逃げ着いた。また三成は、かつて豊後の大名だった大友義統に如水討伐を依頼する。ヤル気の大友。
下野小山。上杉討伐に向かっていた家康は軍議を開き(小山評定)、同行の諸将に三成に味方する者は帰って良しと宣言。正則「今更三成に味方などあり得ぬ!」長政「天下のため三成を倒すのみ!」そうじゃー!家康「逆賊三成を討ち果たす!」おぉー!長政は事前に正則を説得していた。
中津城。如水は善助らに天下取りの策を語る。善助たちは全て把握していた。如水「善助、九郎右衛門、太兵衛。得難き宝が三つ。お主たちと共に天下を狙う!」
京。両陣営の鍵を握ることになる小早川秀秋が居た。西軍に付くも迷う秀秋は北政所に相談、ハッキリなさいと一喝される。北政所は長政へ秀秋説得を依頼。長政「寝返りたいのだろう、天はわしに味方しておる!」長政ニヤリ。
そして家康出陣。日本史上最大の合戦がいよいよ始まろうとしていたーーー。
官兵衛紀行・・・春日神社(北九州市)…如水・長政・黒田二十四騎を祀る
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第47話「如水謀る」- 2014.11.23放送
三成は佐和山城へ隠居した。代わって家康が大坂城へ。家康は黒田家を離すまいと長政との距離をどんどん縮め、長政はもはや幼い秀頼公では天下はまとまらぬ、と徳川家の天下を目指すことを決意。如水「黒田の当主はお前だ。それで良い。だがわしはわしの好きな様にやらせてもらう」
如水は佐和山城の三成を訪れ、上杉家と連携した家康討伐案をつぶやき、広島城では毛利家の出方を探る。隆景亡き後の毛利はバラバラだった。京・大坂の情報がすぐ届くよう手配。全てを終え如水は中津へ。
慶長五年五月。中津へ上杉謀反の報が届く。如水「徳川は上杉討伐に動く。三成も動く。徳川はすべて承知の上だろう。双方潰し合いが始まるぞ」。
翌六月。長政は離縁を求める糸とついに別れ、新たに家康の養女 栄姫を正室とした。全ては家康の狙いどおりだった。その10日後、家康率いる上杉討伐軍56000が東へ出陣。その背後で三成が挙兵する。三成「大義はこちらにある。数も勝っている。家康もこれまでじゃ!」。江戸城の家康「ようやく動いたか…勝負はこれからじゃ」。そして中津の如水「いよいよじゃ。兵を挙げるぞ!」
官兵衛紀行・・・観音寺、佐和山城跡(滋賀県)

佐和山城佐和山城跡 訪問記(2014.6訪問)
佐和山城は近江守護の佐々木氏、六角氏につづき、信長以降はその家臣たちが城主を務め、戦国末期には豊臣政権の重臣 石田三成が城主となり、現在に残る巨大山城や城下町を造り上げた。しかし関ヶ原合戦で敗れた後、東軍に攻められ落城。その後、井伊氏によってすぐ西方に彦根城が建てられ、佐和山城は破城となり資材・石垣などは彦根城へ移された。現地に建物および石垣遺構はほとんど残らず、曲輪や堀切などの土ベース遺構が残るのみとなる。

◇◇◇

第46話「家康動く」- 2014.11.16放送
慶長3年12月。帰国した長政は如水と上洛。京にて糸と再会するも糸は初めての子が女子だったことにノイローゼ気味になっていた。熊之助の件に責任も感じ、長政と言い争いになる。
慶長4年1月。秀頼は大坂城へ。秀頼の後見は大老 前田利家。利家は家康に睨みを利かせるも、家康と三成は対立が決定的に。一触即発の事態を招くも官兵衛の利家説得で一旦収まる。家康は反三成派の諸将らの取り込みに動く。取り込みの切り札とすべく姪の栄姫を養女に迎える。
北政所は官兵衛に、豊臣の天下は秀吉一代限り、秀頼は未だ七つ、太平の世が続くなら最も相応しき方が天下人となれば良いと官兵衛を見つめて発言。官兵衛驚きつつも…。
3月 前田利家死去。反三成派は三成を襲撃するが三成は逃亡。家康は一旦三成を匿うが、そもそもの原因は三成にあると奉行職解任・佐和山蟄居(謹慎)を命じる。官兵衛はそんなヌルい処分だと火種は消えないと忠告、しかし家康は”石田殿の命にはまだまだ使い道がある”と言い放つ。官兵衛ががーん。家康の狙いは天下を揺るがす大乱だと見抜く。そして…わしは我が道をゆく!と天下取りを目指すことを決意。如水と家臣らが遂に最後の大勝負に舵を切った瞬間だった。
官兵衛紀行・・・筥崎宮[はこざきぐう]、太宰府天満宮(福岡県)
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第45話「秀吉の最期」- 2014.11.9放送
そのうち書きます
官兵衛紀行・・・伏見城跡 [伏見桃山陵](京都府)

伏見城伏見城跡 訪問記(2014.2訪問)
現在は明治天皇陵となっている伏見城阯。地震や戦災で2度失われ都度3回建てられた伏見城は、秀吉の死・家康の将軍宣下など歴史的にも重要な場所だが、宮内庁管轄のため見学はおろか調査も余り進んでいないと聞く。天皇陵の奥には本丸跡があり、天守台も残ると言われる。陵墓と城跡を区分けし、いずれは歴史の大舞台跡として一般公開されるのを心待ちにしたい。ちなみによく伏見城と誤紹介される近くの赤い天守は遊園地の遺構(旧 伏見桃山キャッスルランド)で、歴史上の伏見城とは場所も見た目も異なる。

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第44話「落ちゆく巨星」- 2014.11.2放送
三成ら五奉行が秀次を詰問。逆心など無い!と憤るも秀吉は切腹を命令。一族全員処刑。無念!
老いが進む秀吉。寝小便。咳き。しゃがれ声。不安で弱気の秀吉は官兵衛を再度仕官させる。官兵衛は天命が迫る秀吉の変心を防げなかった代わりにせめて最期まで見届けようと決意。
明から和睦交渉の国書が届く。内容を聞いた秀吉は激怒、家臣の猛反対を押し切り再出兵を命令。家臣の士気は低い。官兵衛は出来るだけ傷を小さくすべく自らも出陣志願。秀吉はこれが最後の戦だと悟り明を滅ぼすと意気込むも、家康は秀吉の命はもってあと2年と見る。
慶長元年、拾(ひろい)は秀頼と改名。翌年 朝鮮出兵開始。長政出陣。熊之助も志願するがダメ。
官兵衛は備後三原城へ小早川隆景を見舞う。死ぬ前に会いたかったと喜ぶ隆景。太閤の死は近く再び大乱が起きると予言、良い知恵はよくよく吟味せよと助言を残す。その後話題は昔話へ。官兵衛は毛利との戦まことに難儀致した、されどあの頃は…楽しゅう御座いましたな…と感極まり涙が頬を伝う。隆景も静かに頷く。そして隆景は逝去した。
その頃 熊之助は太兵衛の息子 吉太夫とともに無断で朝鮮行きの船に忍び込んでいた。
ちなみに太兵衛は福島正則に暴飲勝負を吹っ掛けられるも返り討ち、名槍日本号を勝ち取る。
官兵衛紀行・・・三原城跡(広島県)
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第43話「如水誕生」- 2014.10.26放送
文禄2年(1593)8月3日。秀吉第二子 拾(ひろい) 誕生。秀吉は大坂に戻る前に、官兵衛を呼びつける。翌日 官兵衛は坊主頭で登城。「本日より如水円清と号します」秀吉苦笑。「利休殿は意地を通して腹を召されたが、それがしは何としても生き残る。この命お救い願いたい」官兵衛 土下座、人は生かしてこそ使い道があると力説。秀吉「助命を願う大量の書状が来ておる。清正、長政、小早川…そして茶々」ドサドサドサッと手紙の山。官兵衛 助命、同時に隠居も許された。
京へ戻った官兵衛は、北政所の要望で関白秀次と会う。拾が産まれてから殿下(秀吉)の態度が変わったと不満を漏らす秀次。官兵衛は秀吉の希望に沿うことが何より大事だと諭す。
一方 家康も動き出す。長政・正則を接待し、三成への不信不満が大名たちに広がっていることを聞き出し、それに共感することで大名たちを徐々に取り込んでいく。
大坂城では淀殿が拾が天下人になれるか不安を漏らす。心配ないという秀吉に「殿下の目の黒いうちは大丈夫でしょう…されど」秀吉「…このわしが死んでからということか」
そして文禄4年7月3日。官兵衛の元へ、関白秀次に謀反の疑いが掛かったとの急報が入る!
官兵衛紀行・・・八幡山城跡(滋賀県近江八幡市)

八幡山城跡 訪問記(2013.8訪問)
秀吉の甥で養子の秀次公の居城として、安土城炎上後に建てられた山城。山麓に秀次居城跡、山頂には山城跡が残る。しかし秀次は謀反の疑いにより切腹処分となり、城も廃城となった。

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第42話「太閤の野望」- 2014.10.19放送
天正19年12月。秀吉は甥の秀次に関白を譲り自らは「太閤」と称した。
官兵衛は秀吉の命で肥前名護屋に新城を構築。天正20年4月朝鮮侵攻開始。総大将は宇喜多秀家。総勢158000の兵が海を渡り、5月には首都漢城を攻略。喜ぶ秀吉に官兵衛は敵の巻き返しを危惧し出陣志願。三成も視察のため渡海することに。官兵衛は現地で、情報不足・兵糧欠乏・士気低下など酷い現状を知る。軍議では武将間で対立、長政と三成は一触即発。官兵衛は大義の無い戦いゆえ皆の心がバラバラだと現状分析、ヘタすると日本国が潰れるぞと危機感を募らせる。
官兵衛は帰国し秀吉に和睦を直訴。その頃淀殿は第二子を身籠っていた。秀吉了承。官兵衛は一安心し再渡海、三成の反対を押し切り漢城放棄と撤退を決定。三成は官兵衛に軍師として秀吉への報告に同席して欲しいと直訴、官兵衛は三成と帰国する。名護屋に戻ると秀吉は何故か激怒。三成の讒言により無断帰国。「わしを陥れるためにここまでやるか!」と官兵衛は三成に激怒。秀吉は官兵衛に蟄居(謹慎)を言い渡す。官兵衛、生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされた。
官兵衛紀行・・・名護屋城跡(佐賀県唐津市)
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第41話「男たちの覚悟」- 2014.10.12放送
そのうち書きます
官兵衛紀行・・・千利休屋敷跡 [清明神社](京都府)
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第40話「小田原の落日」- 2014.10.5放送
そのうち書きます
官兵衛紀行・・・小田原城址公園(神奈川県)

小田原城 訪問記(2014.2訪問)
15世紀末に北条早雲が小田原に進出以来、約100年に渡り北条氏(鎌倉の北条氏と区別するため”後北条氏”と呼ばれる)が城主を務めた小田原城。周辺からの侵攻に備え巨大な惣構(堀で囲まれた区画)を持つ軍事拠点だった。1590年秀吉に対し無血開城した。現在の縄張りは江戸時代に造られた近代城郭のものだが、明治廃城令でほとんど破壊され、現在の建物は平成の復元、遺構は門跡や土塁のみ。

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第39話「跡を継ぐ者」- 2014.9.28放送
「殿下が恐れておるのはお主じゃ」家康に言われ衝撃を受ける官兵衛。ドドーン。
京 聚楽第。秀吉の子を身籠った茶々に秀吉は一層入れ込み、茶々は益々ワガママに。
一方 官兵衛は家督を長政に譲り隠居を宣言。焦る長政に「全ては生き残るため」。家臣「若!若!わかー!」長政悩むも、家臣や妻(いと)の後押しで覚悟を決める。
しかし秀吉は官兵衛の隠居を拒否。そんな中、京で秀吉と茶々をからかう落書きが発生。秀吉激怒し100人以上を処刑する。北政所(おね)に諌め役を依頼された官兵衛は単身大坂城へ乗り込み、秀吉に豊臣家の行く末を厳しく忠告。周りは凍りつくも秀吉は笑い飛ばし、これだから官兵衛は手放せんと受け入れた。そして家督譲渡は認めるが隠居せず個人としてわしに仕えよと打診。官兵衛これを受諾。かくして黒田家 家督は長政に譲られた。
天正17年5月、淀城で茶々が男子を出産。豊臣家の世継ぎとして「棄(すて)」と命名された。
小田原城では城主の北条氏政に上洛するよう家康が説得を試みるも氏政は拒否。家康「ならばこれ以上言うことはない」と断念。いよいよ小田原攻めが始まる。
官兵衛紀行・・・聚楽第跡、黒田如水邸跡、淀古城跡 [妙教寺](京都府)
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第38話「追い込まれる軍師」- 2014.9.21放送
長政は独断で宇都宮鎮房らを暗殺。娘お鶴のみ逃された。同時に官兵衛は朝房を自らの手で刺殺。宇都宮を滅ぼさねば黒田家が滅ぶ。意図せぬ殺戮にその場の誰しもが涙した。
佐々成政は切腹、肥後は分割され小西行長と加藤清正に与えられた。秀吉は、家臣は将棋の駒で自らが神の如く自在に操ると豪語した。おねはその言葉に違和感を覚える。
官兵衛上洛。茶室で秀吉から唐入り(明[中国]への侵攻)を聞かされ猛反対するも秀吉の怒りを買う。口を挟もうとした三成とも対立。「耳の痛い事を言ってくれる方がおられる内が花」と口にした利休を秀吉は睨みつける。一触即発の中、秀吉は怒りを抑えながら退室。
おねは官兵衛と会い、秀吉は天下人になって人が変わった、家中をまとめる暇無く天下人となったので家中が割れないか心配だとこぼす。そして家康も上洛。官兵衛は家康から、次に天下を取るのは官兵衛だと秀吉が言っていたことを聞かされ、強い危機感を覚えた。
官兵衛紀行・・・天徳寺(福岡県)、合元寺(大分県)
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第37話「城井谷の悲劇」- 2014.9.14放送
長政は独断で城井谷を攻め大敗。逃げてきた長政を官兵衛は激しく叱責、敗戦分析と対策立案を命じる。黒田毛利軍は宇都宮を孤立させる策を取りながら恵瓊の仲立ちで和議を締結、豊前一揆は終結した。宇都宮一族は黒田の家臣となった。
官兵衛は中津城を新たに築き居城とした。突如 秀吉から宇都宮一族の殺害命令が届く。官兵衛は善助を通じて説得を試みるも失敗。もはや黒田が生き残る道は唯一つだと覚悟を決める官兵衛。
長政は中津城に宇都宮一族を呼びつける。鎮房1人だけが長政の待つ部屋へ通される。訝しむ鎮房に長政は酒を勧める。異様に張り詰めた空気の中、盃を飲み干す鎮房。次は肴を召し上がられよ、の長政の言葉を合図に家臣たちが一斉に鎮房に斬り掛かる。「謀ったな!黒田!」「関白殿下の命により成敗いたす」長政は刀を振り下ろした。長政は宇都宮の郎党すべてを切り捨てよと命じた。
官兵衛紀行・・・中津城、城井神社(大分県中津市)
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第36話「試練の新天地」- 2014.9.7放送
バテレン追放令。秀吉は個人の信心は許すも、最初に広めた高山右近には棄教を迫る。右近は自らを偽らぬと棄教を拒否、追放処分となった。
九州の領土分配が始まる。秀吉は豊前を黒田家へ与え、宇都宮鎮房は伊予への国替えを命じた。宇都宮「官兵衛わしをたばかったか!」と大激怒。
黒田家の新たな居城は豊前 馬ヶ岳城。宇都宮家は城井谷に居座ったまま。長政は力攻めを提案するも官兵衛は一蹴。そんな中 肥後(熊本)で一揆が発生、官兵衛が援軍で出陣するも、その隙に遂に宇都宮が反乱。早速 城井谷を攻撃しようとする長政たちに、早馬で戻った官兵衛が杖でバシバシ叩きながら叱責。まずは地侍を攻め宇都宮孤立を狙う。長政は城井谷の近くに陣を張る。そこへ城井谷が手薄らしいという情報が入る。長政はこの好機逃しはせぬ!と独断で城井谷へ侵攻。官兵衛「罠だ…危うい!」
官兵衛紀行・・・馬ヶ岳城跡、法然寺(福岡県)
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第35話「秀吉のたくらみ」- 2014.8.31放送
九州攻め開始。先行した官兵衛はまず諸将に帰順を要求。豊前城井谷の宇都宮鎮房は本領安堵を強く求め、官兵衛も了承、豊前一帯の帰順に成功した。秀吉は九州へ入ると宇都宮鎮房や龍造寺政家らの帰順を確認し、薩摩へ侵攻。25万の大軍を前に島津義久は剃髪し降伏、あっと言う間に秀吉の九州平定は完了した。
一方 秀吉は九州における切支丹の勢力拡大を危惧していた。秀吉は元締めのコエリョを呼び、大筒を積んだ船の献上を迫るもコエリョはこれを拒否。「このわしがどれほど力を持っているか知らんようだな…」怒った秀吉はバテレン追放令を発布。官兵衛は激しく反対するも秀吉は奴らは一向一揆と同じじゃ!と切り捨てる。
更に秀吉は、官兵衛へ九州平定の功績により豊前国6郡を与え、本領だった宇都宮鎮房は国替えすると通達。鎮房に本領安堵を約束した官兵衛は秀吉の掌返しにショックを隠しきれなかった。
官兵衛紀行・・・城井ノ上[きいのこ]城跡、城井谷(福岡県)
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第34話「九州出陣」- 2014.8.24放送
九州平定を目指す島津家は豊前(大分)の大友家に侵攻。大友宗麟は秀吉に助けを求め、秀吉は官兵衛と毛利家に出陣を命じる。しかし盟友 蜂須賀小六が出陣前に倒れ、そのまま病没。秀吉号泣。
黒田軍は安芸に到着。毛利は全軍出陣の命令だったが吉川元春が拒否。隆景説得も失敗。実は元春は重い病だった。官兵衛は元春と直談判へ。元春「わしは行かん!清水宗治を死なせた卑怯な男は信用できん!」官兵衛「命には使い道がある。宗治殿は命の使い時をご存知だった。天下のために命を投げ打ち幾万の将兵の命を救われた。元春殿も天下のために命をお使い頂きたい!」元春「今がわしの命の使い時と申すか。己の命の使い方は自分で決める!」と立ち去る。
そして九州出陣の日。恵瓊・隆景とともに、病を押して元春も出陣した。元春「官兵衛、この命…お主にくれてやる!」士気の上がった毛利&黒田軍は九州上陸、宇留津城を攻略した。間もなく元春は死の床へ「官兵衛…わしの命…役に立ったか?」「はい、大いに。」元春は満足そうに笑みを浮かべ「隆景…毛利を頼んだぞ」と言い残すと静かに逝った。
一方 上洛しない家康に対し秀吉は戦わずに関白の度量の大きさで屈服させるべく、妹の朝日姫(44歳)を嫁がせ、母親までも人質に出す。家康は遂に上洛、秀吉に忠誠を誓った。
官兵衛紀行・・・小倉城、宇留津城跡(福岡県)
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第33話「傷だらけの魂」- 2014.8.17放送
今日は道薫(荒木村重) 後日談。”豊臣”姓となった秀吉は、茶々の希望で有岡城の話をするよう道薫に命令。官兵衛・右近ら同席のもと道薫の独演会スタート。謀反の話、幽閉の話、敗因(右近裏切り)などを赤裸々に語る。茶々「妻や家臣を捨て何故一人生き永らえる?」道薫「死にたくても死ねない乱世の化け物」さらに道薫は「茶々様も父母の仇(=秀吉)の元で生き永らえるのは何故か、ここには化け物しかおらぬ!」秀吉怒髪天→官兵衛の機転で何とか収まる。道薫の魂を救いたいと思った官兵衛はたまたま見つかった村重&だしの息子を道薫に会わせる。動揺しつつも一度はスルーした道薫だったが、自ら描いた父の似顔絵を立派に差し出す息子に遂に男泣き。だしすまなかった。心を取り戻した道薫は堺へ移り茶湯三昧の生活を送ったという。息子は絵師 岩佐又兵衛となった。
一方 官兵衛は道薫の救いを通じて幽閉時代を思い出し、右近の導きで洗礼を受けキリシタンに。
そして、秀吉の天下惣無事(大名に争いを禁じる法)に従わない島津家に対し九州攻めが決定。しかし官兵衛の無欲さ(と秀吉の強欲の差)がキッカケとなり、秀吉と官兵衛との間にほころびが生じようとしていた(ナレーション)。
官兵衛紀行・・・大坂城跡、豊臣時代の大坂城石垣跡(大阪市)

大坂城 訪問記(2014.10訪問)
ほぼ天下を手中に収めた秀吉が、信長と激しく争った石山本願寺跡に建てた巨大城郭。現在に残る堀や石垣などの遺構はほぼ豊臣家滅亡後に家康が建てた「徳川期大坂城」の跡。天守は昭和の再建。しかし地中には家康が埋めた「秀吉時代の大坂城」の石垣や堀跡が眠り、今もビル建設で出てくる事が多い。ちなみに当時は「大坂」と書いたそうだが、明治頃に大阪と変わったのは、坂の字が族の乱またはえると読めることからという説がある。
大坂城 豊臣時代の石垣遺構 散策記(2013.9訪問)
大坂城の周囲にはビル建設などで発掘された秀吉時代の石垣などを移設復元展示している場所がいくつかある。有名どころとしては城の北西部にある(左写真)ドーンセンタ前、日経新聞前、追手門学院小学校前など。ぐるっと回って見に行ってみたときのレポート。

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第32話「さらば、父よ!」- 2014.8.10放送
天正12年3月、秀吉は家康と小牧長久手で合戦。官兵衛の忠告を無視した秀吉は大敗。備中に居た官兵衛は敗戦を聞き苦い顔。播磨宍粟郡の山崎城(篠ノ丸城)を与えられた官兵衛は領地運営を長政に任せ大坂へ。徳川再攻撃プラン、三成重用、茶々に御執心など問題山積み。官兵衛は茶室で秀吉を諌めるも聞く耳持たずな雰囲気。荒木村重(道糞→道薫と改名)にも秀吉の変心を指摘される。官兵衛は遂に秀吉に直訴。三成が噛み付くも官兵衛は一蹴、秀吉は徳川攻めを諦め、官兵衛案の四国攻めを採用。三成ボー然。四国攻めは先鋒黒田軍の破竹の攻勢で約10秒で長宗我部氏が降伏。その頃 秀吉は関白になり、”先が見え過ぎる”官兵衛を警戒し始めていた。
一方宍粟では長政に領民が反発。話し合うも余計モメる。職隆&官兵衛の忠告「お前は育たぬ内に芽を刈り取っているのだ」で自らの過ちに気付き猛反省、領民に謝罪。官兵衛も一安心。
その頃 姫路でひ孫たちと平和な時を過ごしていた職隆が静かに逝った。官兵衛「後はお任せを!」
官兵衛紀行・・・山崎城/篠ノ丸城(宍粟市)、黒田職隆廟所(姫路市)

国府山城跡 訪問記 [後編](2014.1訪問)
姫路市妻鹿(めが)にある国府山城跡の山麓に、黒田官兵衛の父 黒田職隆の廟所がある。江戸時代に建立されたという五輪塔は、永い年月を経て荒廃していたというが、住民たちの寄付により修復整備された。住宅街のど真ん中にある廟所には、今も献花が絶えることがない。

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第31話「天下人への道」- 2014.8.3放送
6月、織田家の後継者を決める清洲会議がスタート…するも2分で秀吉の推す三法師(信長の孫)に決定。秀吉は長浜を勝家に譲り姫路へ。勝家は信長妹のお市と結婚。10月、秀吉は信長の葬儀を京で大々的に開催し世間にアピール。出し抜かれた勝家は毛利家と足利義昭を味方にしようと書状を出すも、官兵衛に感付かれ失敗に終わる。
秀吉の元には茶湯マスター千宗易(後の利休)が居た。宗易は官兵衛を呼び出し、官兵衛が茶室へ入ると、そこには剃髪した荒木村重が! 村重は生への執着が捨てられず宗易の弟子”道糞(どうふん)”として茶湯道に入っていたのだった。
翌2月。遂に勝家軍と秀吉軍が激突。世に言う賤ヶ岳の合戦である…が僅か2分で決着、勝家は居城 越前北之庄へ逃げ帰り、炎上する天守の中で妻お市と自害。官兵衛「これで天下の行方は決まりました」。逃されたお市の三人娘(茶々・初・江)が秀吉の元へ。茶々は父母の仇!決して許さぬ!と秀吉に怒り狂う。この茶々が、後の淀殿である。
一方、長政は蜂須賀小六の跳ねっ返り娘”いと”と、なし崩し的に結婚することになった。
官兵衛紀行・・・賤ヶ岳合戦場、玄蕃尾城跡、北之庄城址公園(滋賀〜福井)

賤ヶ岳合戦場 訪問記(2014.6訪問)
清洲会議の後、秀吉と勝家は近江長浜・越前北之庄の中間地点である余呉湖周辺で激突。お互いが陣城を築きまくる築城合戦となる。対峙して数ヶ月、秀吉が岐阜城攻めのため留守にした機を狙って勝家軍が侵攻、そこから激戦が始まる。戦いは急ぎ戻った秀吉軍が勝利し、勝家は越前北之庄への帰還を余儀なくされる。
玄蕃尾城跡 訪問記(2014.6訪問)
1583年の賤ヶ岳の合戦で柴田軍が築いた陣城の1つで、柴田勝家の本陣となった場所。余呉湖北の山奥にあり、合戦後はそのまま放置・廃城となったことからか、今も曲輪や土塁、堀切など土ベースの陣城の跡がよく残る。山城ファンは是非訪れておきたい。
北之庄城址公園 訪問記(2013.11訪問)
織田家筆頭家臣 柴田勝家の居城だった越前北之庄城。7層とも9層とも言われる巨大な天守と伝わる。賤ヶ岳の合戦で敗退後 北之庄に帰還した勝家は、包囲する秀吉軍と籠城戦を繰り広げ、最後は城に火を掛け妻のお市とともに自害した。その後は家康の次男 結城秀康により新たに福井城が建てられた。現在は北之庄城跡として柴田神社の境内に発掘した堀跡や石垣跡が展示されている。

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第30話「中国大返し」- 2014.7.27放送
中国大返しが始まる。街道には炊出しが並ぶ。秀吉は各国の城主たちに明智討伐の書状を出す。
光秀は公家に次期将軍とおだてられ満更でもない様子だが、肝心の味方となる軍勢が見つからない。そこへ毛利と和議を結んだ秀吉軍が数日中に京へ来ると伝えられる。備中で足止め中と思っていた秀吉の超スピード帰還に焦る光秀。「やりおったな…官兵衛!」
一方 秀吉側には続々と味方が現れる。摂津衆の高山右近、中川清秀、池田恒興に加え、官兵衛の説得により織田信孝(信長三男)・丹羽長秀(織田家重臣)も摂津富田で秀吉軍に合流した。
6月13日午後4時。山崎にて両軍激突。勝敗は見えていた。光秀軍の武将たちは次々と討死。光秀「こんなはずでは…この国のためにしてきたことは間違いだったのか…」そして逃走中に襲われ、あっけなく最期を迎えた。
長浜城を奪還した秀吉。官兵衛「いよいよ天下が見えて参りました。半兵衛殿も、この官兵衛も、殿の天下を待ち望んでおりまする!」とのー!とのー!「こ、このわしが…天下人…!」
官兵衛紀行・・・山崎城跡(京都府)

山崎城跡(天王山) 訪問記(2013.11訪問)
備中から駆け戻った秀吉軍4万と、光秀軍13000が激突した山崎の地。秀吉は天王山に陣を構え兵を鼓舞し、光秀軍を討ち果たした。後に秀吉は天王山に山崎城を造り、大坂城に移るまでの間 居城とした。城跡にはその際の石垣や土塁跡などが僅かながらに残る。

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第29話「天下の秘策」- 2014.7.20放送
密談の場。官兵衛は恵瓊に光秀謀反を明かす。「何故明かす?」「それがしの一世一代の賭けに御座います!」「…面白い! その賭けわしも乗った!」悪い顔で笑う二人。続いて隆景の元へ。疑う隆景に官兵衛は乱世を終わらせるためだと力説。隆景は了承し、和議が成立した。官兵衛「隆景殿、この御恩は忘れませぬ」
6月4日。高松城主 清水宗治が自刃。戦いは終結し、秀吉軍は撤退準備を開始した。
6月5日。光秀は安土城へ。長浜城、佐和山城も明智方が攻略した。しかしアテにしていた細川藤孝から断りの書状が届く。光秀は諸将を従わせるべく朝廷の利用を画策する。
6月6日。秀吉は家臣を前に、これより京へ上り謀反人 明智光秀を討つ!と宣言。我らが信長様の仇を討つのだ! おぉー! 官兵衛は道中に松明と炊き出しを準備する。毛利内でもゴタゴタがあったが結局撤退を開始。
6月7日。安土城に勅使が下り、光秀は朝廷の後ろ盾を得た。
思惑通りに事が運ぶかのように見えた光秀に、秀吉軍と黒田軍が猛然と迫っていた。
官兵衛紀行・・・清水宗治自刃之阯(岡山市)

備中高松城 訪問記 後編(2014.4訪問)
備中高松城跡の近くに「清水宗治公 自刃之阯」がある。近くには家臣たちが殉じた「ごうやぶ遺跡」、宗治公の胴塚もある。命を投げ打って家臣領民の命を救った宗治公は今もこの地で慕われている。

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第28話「本能寺の変」- 2014.7.13放送
本能寺。明智軍が寺を包囲。信長は目覚め小姓を呼ぶ。「如何した?」「謀反にございます!」「何処の軍勢だ」「桔梗紋…明智にございます!」「…是非に及ばず。」侵入した軍勢に信長は弓や長槍で応戦。蘭丸やお濃らも奮戦するが次々倒れていく。信長は一人寺の奥へと進む。奥の間は既に炎上。焼け落ちる肖像画。炎の中に座し「人間五十年…」敦盛を呟き「生きるも死ぬも一度限り。存分に生きたぞ!」炎の中で自刃した。
京御所、安土城、長浜城、堺の各地に速報が伝わる。備中には翌日深夜に飛脚が到着。官兵衛は京からの手紙を見る。謀反、信長公、御討死の文字。これはっ!? 驚愕狼狽しつつも必死に考える官兵衛。やがて考えがまとまる。まずは秀吉の元へ。泣き叫ぶ秀吉に「殿のご運が開けたのですぞ!」ギラリと睨む秀吉。官兵衛は迅速な光秀討伐を進言。そして恵瓊と緊急会談。官兵衛は本領安堵での和睦を提案し、何故と怪しむ恵瓊に、秀吉様が天下に名乗りを上げる好機が訪れた、織田信長公が亡くなった、明智光秀の謀反と打ち明けた!! (ええーっ!? 言っちゃった!)
官兵衛紀行・・・本能寺跡(京都市)
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第27話「高松城水攻め」- 2014.7.6放送
高松城築堤が完成。法螺貝の合図で大量の水が流れ込み、あっと言う間に城は水没。城内大混乱。驚いた毛利方は和睦へと動き出す。秀吉は和睦条件として5ヶ国(美作/備中/備後/伯耆/出雲)の割譲に加え高松城主 清水宗治の首を要求。また秀吉は仕上げに信長直々の出陣を要請した。
一方 安土城では徳川家康(39歳とは思えぬ貫禄)の接待パーティ。光秀が幹事(饗応役)となるも、信長にダメ出しされまくりでクビになり、中国行きを命じられる。悩む光秀。信長は光秀に丹波/近江からの国替えプランを伝える。焦る光秀に、天下布武の暁には日本を作り替える、日本に王は2人も要らぬ! と爆弾発言。光秀それだけはなりませぬ!と迫るも立ち去る信長。なんと恐ろしい…と呟く。
愛宕山にて戦勝祈願する光秀。”時は今 天が下しる 皐月かな”。ふと横にある御籤を手に取るも、何度引いても凶凶凶! それでも光秀は、織田家臣は全国に散らばり京には僅かな手勢しかおらぬ、天が与え給うた好機、今こそ立つ時、信長を討つ! と嫡男秀満と斉藤利三に決意を告げる。
5/29信長は中国進軍に向け京へ。本能寺に入り公家と茶会を開く。そして6/2未明、山中進軍中の桔梗紋の軍団を前に、光秀は叫ぶ。我らはこれより京へ向かう、敵は本能寺にあり! 全軍うぉー!! 反転して京へと突き進む。
官兵衛紀行・・・高松城跡(岡山市)

備中高松城跡 訪問記(2014.4訪問)
秀吉の中国攻めにおいて、堤防で城の周囲を囲み川の水を流し込んで城全体を水没させる「水攻め」作戦で有名な備中高松城。城跡としては本丸などの曲輪跡が僅かに公園として残るのみだが、かつて城を囲った築堤の一部(蛙が鼻築堤跡)と、城主 清水宗治の首塚、胴塚、自刃地などが伝わる。

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第26話「長政初陣」- 2014.6.29放送
太兵衛は長政の世話役となる。備前攻め開始。まず高松城主 清水宗治を調略するも失敗。宗治は忠義の士だった。一方 恵瓊は和睦を図るがこちらも失敗。官兵衛は高松城の周辺地理を調べあげ、ジオラマで実演しながら水攻めを秀吉に提案した。
長政初陣は冠山城攻め。功を焦る長政は制止を振り切り敵に突撃、太兵衛の助太刀もあり何とか敵を討ち取る。喜ぶ長政に官兵衛は命を粗末にするなと叱る。ふてくされる長政。
その頃 信長は、逃亡中の六角氏が寺の和尚(快川紹喜)に匿われていると知り寺ごと焼き払えと命じる。光秀は国師で師匠の快川和尚を助命嘆願し自ら寺に交渉に向かうも説得失敗、寺は僧ごと焼き払われた。心頭滅却すれば火も又涼し! 光秀愕然。朝廷激怒。
光は次男 熊之助を出産する。一方 高松城を囲む堤は急ピッチで築造されていた。
官兵衛紀行・・・妙興寺(岡山県瀬戸内市長船町福岡)
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第25話「栄華の極み」- 2014.6.22放送
新生姫路城にて秀吉は毛利攻めを宣言。山陽道は調略、山陰道は光秀と攻略とし、官兵衛は光秀の居城 坂本城へ。光秀は優れた軍師が欲しい!と官兵衛をヘッドハントするも失敗。その頃 光秀は勅使にベタ褒めされ、逆に信長が怖い、信長の新しき世に帝の居場所はあるのかと不安視。備前岡山の宇喜多直家 死亡。信長は黒人奴隷を弥助と命名し即採用。そして光秀を介し勅使が官職を与えにやって来た。信長は帝が御譲位なされば承ると言い放つ。勅使激怒、光秀狼狽。その後 信長は日本初の城郭ライトアップイベントを主催するなど、この世の春を謳歌。そんな中 備後三原城では小早川隆景が軍議を開催。楽観的意見の中、高松城主 清水宗治は織田を侮るな!とビシッと喝。そして姫路。光は2人目を懐妊。そして急に大きくなった松寿丸が現れ、元服・改名した。黒田長政!
官兵衛紀行・・・坂本城跡(滋賀県大津市)明智光秀居城

坂本城跡 訪問記(2013.10訪問)
織田家筆頭家老だった明智光秀が、信長の命で琵琶湖南西に建てた巨大な水城。光秀はここを拠点に大車輪の活躍を見せるも、本能寺の変の後に山崎で敗死すると、ここ坂本城も攻められ落城した。その後 近隣の大津城築城に伴い破城となった。附近の都市化により遺構らしい遺構は殆ど残っていないが、かつてここに巨大な城郭があったことを示す記念碑などは数多く建てられている。

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第24話「帰ってきた軍師」- 2014.6.15放送
官兵衛は使者として三木城へ。城兵助命を条件に自害を迫り別所長治は降伏を決断、こうして三木合戦は終わった。残るは小寺!と意気込むも何と小寺政職は城を捨て逃亡。しかしアッサリ捕まり姫路城へ連行。官兵衛は切腹を促すもイヤじゃーと泣き喚き逃げ惑う政職。官兵衛は刀を振りかざすが涙が溢れ斬れない。結局政職親子は逃がされた。秀吉に事の顛末を詫びる官兵衛。憎い仇を逃がす、それでこそ官兵衛! と秀吉は笑って許した。ずっと思い詰めていた官兵衛は肩の力が抜け笑顔を見せた。一方 戦が一段落した信長は重臣を集め、光秀・秀吉など活躍した重臣を褒めた。しかし長年の重臣にも関わらず功の無い佐久間信盛は追放を言い渡された。恐れる重臣たち。一方 官兵衛は秀吉から1万石を授かり”大名”となった。官兵衛は播磨の主となった秀吉のため姫路城の造替を行い、新たな黒田家家紋として「生き抜く」という想いを込めた藤の花の紋を制定した。
官兵衛紀行・・・射楯兵主神社(播磨国総社)、国府山城跡(姫路市)

国府山城跡 訪問記(2014.1訪問)
黒田官兵衛の父 黒田職隆が隠居後に移り住んだと伝わる山城跡。姫路城のある姫山の南東にあたり、主郭跡の高台からは姫路城が今でもはっきりと見える位置関係にある。山麓には、その黒田職隆の廟所が今に伝わる。

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第23話「半兵衛の遺言」- 2014.6.8放送
天正7年11月有岡落城。家臣一族は尼崎城下で村重に見えるように処刑、だしを含む荒木一族は京の六条河原で処刑された。村重は”断じて信長には負けぬ!”と茶器を叩き割り、城を捨て逃亡、そのまま行方不明となった。一方 官兵衛は秀吉とともに安土へ。そこで松寿丸と感動再会。信長「官兵衛 許せ」。匿ったのは半兵衛と知り「流石は稀代の軍師」と信長感嘆。そして官兵衛は有馬へ。湯治を始めるも連夜の悪夢と不自由な足に苦しみ意気消沈。そこへ松寿丸が”半兵衛の軍配”を渡す。半兵衛の言葉を思い出し官兵衛復活、姫路へ帰還。家臣一同を前に「以前のようには動けぬ」と言うと「我らをお使い下さいませー」の大合唱。官兵衛「頼むぞ!」。そして三木へ。半兵衛の墓に手を合わせ、秀吉本陣に復帰した。ちなみに世話になった牢番の息子も善助たちに助けられた。
官兵衛紀行・・・有馬温泉、岩風呂遺構、池坊跡(官兵衛の湯治場)
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第22話「有岡、最後の日」- 2014.6.1放送
幽閉から半年。善助はふんどし一丁で濠を渡り、ついに官兵衛の生存を確認。一方 自らの死期を悟った半兵衛は、死ぬのは戦場と告げ、愛用の軍配を官兵衛に渡すよう松寿丸に託す。三木に戻った半兵衛は、秀吉に松寿丸の隠匿を明かし、宇喜多の調略を提言するも、間もなく病に倒れ、秀吉の天下を願いながら息絶えた。享年36。秀吉号泣。そして半兵衛の目論見どおり宇喜多はあっさり寝返る。一方 村重は毛利に直談判すると言い出して単身 城を脱出し尼崎城へ。しかしそれ以上西へ進めず、追い詰められた村重は信長に負けないために何があろうと生き抜くことを決意。有岡城では家臣脱走や自害が相次ぐ。そしていよいよ織田軍の総攻撃が始まる。だしは覚悟し息子を乳母に託す。善助たちは混乱に乗じて土牢へ到達、ついに官兵衛の救出に成功する。
官兵衛紀行・・・竹中半兵衛の墓、平井山秀吉本陣跡(兵庫県三木市)

竹中半兵衛の墓 訪問記(2014.4訪問)
秀吉に仕えた名参謀 竹中半兵衛は、有岡城に幽閉された官兵衛の息子 松寿丸を自城に匿った後、三木城を囲む前線へと戻り、そのままその陣中にて病没した。享年36。墓は秀吉本陣の山麓に築かれた。また山の反対側にある栄運寺の裏山にも小さな墓石が建っている。
平井山秀吉本陣跡 訪問記(2014.4訪問)
三木城の北東にある平井山に築かれた織田軍の付城(つけじろ)の1つ。三木城を攻めるための一時的な陣とは言え、土塁や曲輪などを多数持つ立派な山城となっており、最上段の曲輪からは三木城を眼下に見下ろすことが出来る。最近 簡易な展望台が設置され、往時の秀吉の目線で三木城跡を見ることも出来る。

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第21話「松寿丸の命」- 2014.5.25放送
天正6年12月、信長は有岡攻めを開始。村重は善戦し、かつて村重の失態を追求した仙千代も討死。相次ぐ敗報に信長激怒、これは官兵衛の裏切りだと言い出し松寿丸の処刑を命じる。秀吉抵抗するも信長は半兵衛に処置を任す。半兵衛は松寿丸の居る長浜城へ。秀吉は姫路へ。職隆と光は松寿丸成敗を告げられ、取り乱し、絶望する。官兵衛も村重に息子の処刑を知らされ激怒→呆然。そして年が明ける。おねが半兵衛を訪問するとそこには松寿丸が!半兵衛は居城で極秘に松寿丸を匿っていた。おねは姫路へ”扇”を送る。扇には青々と力強い松が描かれ、職隆と光は松寿丸の無事を悟る。一方 風雪に晒される土牢の官兵衛は、だしの必死の看病や同情した牢番の差入れで何とか生きている状態。衰弱した官兵衛は、窓から僅かに見える藤の花を見ていた。
官兵衛紀行・・・五明稲荷神社(松寿丸が匿われた屋敷跡)、岡山烽火場(関ヶ原の長政の陣)

sekigahara_nagamasa_cover関ヶ原 岡山烽火場 訪問記(2013.10訪問)
黒田官兵衛の息子 黒田長政(幼名 松寿丸)が、1600年に勃発した関ヶ原の合戦にて陣を敷いた跡地。ここで長政は、竹中半兵衛の息子 竹中重門とともに陣を張り、ここで狼煙を上げて関ヶ原の戦いの火蓋が切られたという。長政は竹中半兵衛により匿われ生き延びることが出来たその20年後に、恩人の息子 重門とともに同じ地に陣を敷いているのも面白い。

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第20話「囚われの軍師」- 2014.5.18放送
信長は自ら村重討伐軍を率い摂津へ入る。信長は宣教師を使って高槻城主 高山右近を調略し、味方に付けることに成功。茨木城主 中川清秀も同調し村重から離反、信長に官兵衛が生きていることを伝える。一方 右近/清秀の造反に村重は驚愕。御着城では村重から官兵衛は死んだとの書状が届く。村重は同盟のため御着へは約束どおり官兵衛を殺したと嘘の書状を書いていた。姫路の黒田家にもそれが伝わり、職隆と光は涙ながらに覚悟を決める。家臣たちは職隆の命令に従う旨の血判状を作成、有岡城への潜入を決行する。その頃 官兵衛はだしの協力で脱獄を行うも失敗、より深い土牢へ幽閉される。村重はだしの裏切りに怒り、官兵衛は劣悪環境の土牢に絶望する。その頃、備後国 鞆城(ともじょう)の足利義昭は相次ぐ信長への造反に気を良くしていた。
官兵衛紀行・・・鞆城跡(足利義昭居館跡、広島県福山市)
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第19話「非情の罠」- 2014.5.11放送
信長は有岡城へ秀吉/光秀を遣わすも村重は追い返す。説得失敗を知った信長は裏切り者は断じて許さんと机を叩き斬りマジ怒り。御着の小寺政職は村重に播磨をやると言われ籠城支度を始める。黒田家中では小寺討つべしと興奮するも官兵衛は黒田の義が立たぬと反対。官兵衛は御着城で小寺政職と会い、村重が考え直せば御着も考え直すと約束させる。官兵衛は秀吉や病床の半兵衛の反対を押し切り単身有岡城へ。必死で説得する官兵衛に村重は一通の書状を手渡す。それは御着から届いた官兵衛殺害依頼だった。主に裏切られたと知り官兵衛は愕然。村重は官兵衛が味方にならぬと分かると、殺さずボコボコにして牢へ閉じ込める。一方で信長は自ら村重討伐へ出発した。
官兵衛紀行・・・安土城跡(滋賀県 近江八幡市)

安土城 訪問記(2013.9訪問)
信長が天下布武の旗印の元で岐阜城に続き築城した、総石垣造りの巨大山城。山頂には6階建ての天主(安土城のみ「天主」と表記)がそびえていたという。1579年に完成した安土城に信長は住み始めるが、その僅か3年後に本能寺の変が起こり、安土城はその数日後に謎の出火で本丸付近が炎上した。発掘調査で往時の石垣が復元された。伝二ノ丸跡に秀吉が建てたと言われる信長廟所が残る。

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第18話「裏切る理由」- 2014.5.4放送
三木城攻めが始まる。官兵衛は秀吉に兵糧攻めを提案、多数の付城(つけじろ)を建築する。官兵衛は毛利封じのため岡山の宇喜多直家を調略するが、直家はまだどちらにもつかぬ、織田は背後に気をつけろと言う。一方、荒木村重は安土出頭を必死の弁解で乗り切るも、今度は家臣 中川清秀配下の門徒が本願寺に通じていたことが判明し狼狽する。実は宇喜多直家の謀略だった。清秀は万一のためと兵糧を買い占め、それが信長の耳へ。村重は再度弁明のため安土へ向かうが、中川清秀の反対や毛利方の調略にあい、逆に天下人への野心を持ち始める。そしてついに村重は、信長を信じることは出来ぬ、これより我らは信長を討つ! と家臣に宣言。村重謀反の報はすぐさま毛利方、本願寺、御着城、そして官兵衛の元へ。
官兵衛紀行・・・有岡城跡(兵庫)、茨木城跡(大阪)

有岡城 訪問記(2013.9訪問)
JR伊丹駅前にある有岡城跡は、信長の元で摂津一国を任されていた荒木村重の居城だった。戦国時代には珍しい、城下町全体を堀で覆う総構えだったという。都市化により遺構はあまり残ってはいないが、街の至る所に説明板等があり、全体像を歩いて把握できるような整備がなされている。
茨木城 訪問記(2013.11訪問)
築城以来 多くの城主変遷を経た茨木城は、荒木村重の家臣 中川清秀も一時期 城主を務めていた。こちらも都市化により遺構はほとんど残らない。現在は、市内にある茨木神社と妙徳寺に、元茨木城の城門が移築され残り、また本丸跡と言われる小学校敷地内に史跡碑と復元門がある。

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第17話「見捨てられた城」- 2014.4.27放送
信長の撤退命令にやむなく従う秀吉。官兵衛は上月城に忍び込み勝久らに生き延びることを勧めるも勝久らは拒否、逆にここまでよくやって下さったと礼を述べた。そして秀吉は撤退、勝久は自刃し上月は開城した。鹿介は小早川の命で護送中に殺害された。村重は織田軍に合流し神吉城を攻め落とすも、城主を逃す失態を犯す。一方毛利方では官兵衛の調略により宇喜多謀反の噂が流れ撤退を決意。毛利に見捨てられた志方城は播磨武士の意地を貫き落城、櫛橋左京進は”官兵衛お前の勝ちだ”と言い残し自刃した。その頃 有岡城に戻った村重に信長から出頭命令が届き、狼狽する村重。そして御着城ではお紺が “迷ったら官兵衛を信じよ”と政職に言い残し息絶えた。
官兵衛紀行・・・三木城跡(兵庫県)

三木城跡三木城 訪問記(2014.4訪問)
東播磨の戦国大名 別所氏の本城。織田を裏切り毛利方に付いた三木城は、秀吉の大軍に2年もの間囲まれ、干殺しと呼ばれる兵糧攻めにあい落城した。城跡は本丸跡の僅かな遺構を除き住宅化によりほぼ消滅したが、周辺には秀吉の築いた付城跡や土塁が多く残る。

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第16話「上月城の守り」- 2014.4.20放送
一夜にして三木城を始め播磨中が毛利へ寝返る。秀吉は広くて堅固な書写山へ本陣を移す。毛利は織田攻めを開始、総勢5万で上月城へ向かう。宇喜多直家は岡山城で仮病を決め込む。対する上月城は700。強がるも内心不安な鹿介に官兵衛は援軍を誓う。そんな中 半兵衛が秀吉の前で吐血し休養となる。姫路では光が独断で兄左京進の説得を試みるも失敗、左京進は死を覚悟し光に今生の別れを告げる。そして織田信忠率いる大軍が書写山へ到着。しかし大半は三木城へ向かい上月は秀吉+村重1万だけ、秀吉はどうにもならん!と嘆く。兵糧が尽き始める上月城内。秀吉は京都に居る信長に直訴するも、信長は”上月は見捨てよ!”と言い放つ。
官兵衛紀行・・・書写山 円教寺(姫路市)
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第15話「播磨分断」- 2014.4.13放送
本願寺との戦を終わらせるべく荒木村重は顕如と和睦交渉。しかし顕如は信長を信用できぬと拒否、逆に”信長殿を本当に信ずることができますか?”と村重に問う。信長は交渉失敗した村重を左遷し、秀吉配下での播磨行きを命じる。天正6年2月、加古川城にて秀吉と播磨城主たちとの評定が始まる。またも別所長治は来ず、叔父 別所賀相が名代参加。賀相は秀吉の前で長々と話を始め、苛立った秀吉が話を遮り総大将の儂の指図に従えと言うと、賀相と櫛橋左京進らが激昂し播磨を奪い取る気か、我らは毛利に付く! と宣言。場は大混乱、評定は失敗に終わる。毛利方の安国寺恵瓊の調略によるものだった。官兵衛は左京進を訪ね説得するも余計に怒らせてしまう。
官兵衛紀行・・・称名寺(加古川城跡)
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第14話「引き裂かれる姉妹」- 2014.4.6放送
ついに西播磨で織田と毛利が激突。戦は官兵衛の妻 光の姉が嫁いだ上月城へ。そこへ尼子勝久・山中鹿介が現れ、毛利に主家を滅ぼされた仇を取るべく織田方に加わる。”願わくば我に七難八苦を与え給え”と月に祈り、官兵衛に尼子家再興の想いを語る鹿介。上月城には宇喜多直家が援軍で訪れるも、直家の調略により上月家臣は城主を殺害して降伏。官兵衛は光姉を救出、生き残った者の定めは生きることと諭し、光姉は出家した。一方信長は主を裏切った上月家臣は信用できぬと全員斬首。小寺政職は織田は強いのぅ〜織田についてよかったのぅ〜と安堵するも、突如妻の”お紺”が倒れる。上月城は尼子勝久に任されることとなった。
官兵衛紀行・・・福原城跡、上月城跡(兵庫県佐用町)

上月城上月城 訪問記(2014.2訪問)
西播磨における織田氏と毛利氏の争いの舞台となった上月城。建物は一切残らないが、曲輪や土塁、堀切など中世山城の跡がよく残る。城山の麓には尼子勝久と山中鹿介の供養塔が建つ。

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第13話「小寺はまだか」- 2014.3.30放送
官兵衛は姫路城へ来訪した秀吉に城を譲ると告げる。秀吉は感動し義兄弟の誓紙を渡す。官兵衛感激し、寝ても覚めても秀吉様!秀吉様! 状態に。光ガッカリ、父職隆は危惧。半兵衛は官兵衛を訪ね、誓紙を火鉢へ。大激怒する官兵衛に冷たく言い放つ。紙切れよりも大事なことがあるはず! 官兵衛 霧が晴れ、誓紙を燃やす。大事なことは天下統一と官兵衛。そのために我々軍師は居るのだと半兵衛。軍師官兵衛! そして秀吉は西播磨へ進軍、福原城へ。突如 半兵衛吐血。その頃、摂津では信長軍の本願寺攻めが続く。戦に疑問を感じ始めた荒木村重は信長に和睦案を上申するも一喝され、逆に大砲搭載の新型鉄船で殲滅せよと言われる。村重は恐怖を感じる。
官兵衛紀行・・・竹中氏陣屋跡 (岐阜県)
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第12話「人質松寿丸」- 2014.3.23放送
茶器を愛でる信長の元に、信貴山城 松永久秀 謀反の報せが届く。信長は人質を斬首し、信忠に久秀討伐を命じる。久秀は茶器に火薬を詰め自爆した。播磨での謀反阻止のため別所赤松小寺に人質を要求。小寺政職は一子・斎(いつき)が病弱だと人質を3度も延期。秀吉激怒。焦る官兵衛は松寿丸を人質とすることを決意。光激怒。松寿丸は黒田家を救いたい/見聞を広げたいと志願。光号泣。小寺政職はこの恩は決して忘れぬと大感謝。そして松寿丸は安土へ向かい信長に謁見、秀吉預かりとなる。そしていよいよ中国攻めに向け、播磨姫路城へ秀吉の大軍が到着する。ちなみに善助とお道にも子供が出来る。
官兵衛紀行・・・信貴山城跡、達磨寺 (松永久秀墓)
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第11話「命がけの宴」- 2014.3.16放送
信長は秀吉の播磨行きを取りやめ柴田勝家と共に上杉攻めを命じる。官兵衛は播磨の地侍が毛利方に付かぬよう備前 宇喜多直家の調略や有岡城主 荒木村重に出兵を依頼するも悉く失敗。そんな中 キリシタンの高槻城主 高山右近と出会う。一方 越前北ノ庄へ行った秀吉は勝家と対立し切腹覚悟で撤兵。信長プルプルと大激怒。官兵衛が心配し長浜へ出向くと秀吉は宴会中。これはどういうおつもりか!と激怒。半兵衛曰くこれは逆心無きことを示すための”命がけの宴”だと言う。秀吉は官兵衛に詫びるとともに命に代えても播磨出兵を実現させると言い、官兵衛も疑念を詫びた。そして信長は秀吉を許し、播磨出兵を命じる。その頃 善助はエキゾチックな出戻り門徒お道に求婚していた。
官兵衛紀行・・・高槻城跡 (城跡公園)

龍野古城高槻城 訪問記(2013.8訪問)
築城名手でキリシタン大名だった高山右近が一時期城主を務めたことで有名な城跡。江戸時代に近代城郭に大改修され三層の天守なども建っていたようだが、明治以降の都市化により遺構はほとんど残っていない。城址は公園として整備され、高山右近立像や出土した石垣の残骸、模擬天守台などがある。近隣には右近ゆかりの教会や、入場無料で展示物もなかなか綺麗で詳しい「しろあと歴史館」があり、見所少ない城跡公園よりもそちらをメインで訪問したいところ。

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第10話「毛利襲来」- 2014.3.9放送
毛利は足利義昭を迎え本願寺と手を組み織田包囲網を構築。英賀浦へ上陸した毛利軍5000に対し小寺軍は1000未満。別所赤松は様子見。織田につくのが早すぎたと官兵衛に怒る小寺政職。しかし善助のスパイ活動と官兵衛の奇策奇襲により毛利軍を撃退 (英賀合戦)。大勝利に小寺政職は官兵衛を褒めちぎり、信長も書状で官兵衛を褒める。戦後、官兵衛は播磨に織田軍を呼ぶべく秀吉に書状を送り、善助はエキゾチックな顔立ちの出戻り門徒”お道”とイイ感じに。その頃 秀吉正室おねは秀吉の女遊びに怒り、安土城で信長に直訴、信長は秀吉をたしなめる珍書状を送る(現存)。そして官兵衛の元に織田軍が本願寺軍に大敗した(木津川口の戦い)という情報が届く。
官兵衛紀行・・・英賀城土塁跡 (英賀神社)
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第9話「官兵衛 試される」- 2014.3.2放送
竹中半兵衛は官兵衛の力を試すために煽り、”したり顔”に激怒した官兵衛は小寺/別所/赤松を信長公に拝謁させると宣言。官兵衛は苦労の末、三木城の別所長治、龍野城の赤松広秀、そして主君小寺政職の説得に成功、京にて拝謁が実現した。信長は大儀とだけ言って去る。小寺政職のダメっぷりを目撃した半兵衛は、官兵衛に「いつまで頼りにならない主君に振り回されるおつもりか」と本音を伝える。その後、官兵衛・半兵衛の目論見どおり、他の播磨の主だった勢力は信長側についた。一方、石山本願寺の顕如は毛利氏とともに信長との決戦を決意。そして、いよいよ毛利の水軍が英賀へ攻め寄せた。
官兵衛紀行・・・長浜城、木ノ本 黒田氏旧縁之碑

龍野古城長浜城 訪問記(2013.10訪問)
秀吉が初めて城持ちとなり建てた城。自ら攻め滅ぼした近江浅井氏の居城 小谷城から石垣や築材を運ばせ築城したという。その長浜城も本能寺後の清洲会議にて一旦は柴田勝家のものとなり、勝家と対立していた秀吉はすぐにここを攻め落とし、賤ヶ岳の戦いでは秀吉軍の拠点となった。城は江戸時代初頭まで続くも廃城となり、資材は彦根城の築城に流用された。現在建っているのはコンクリート製の模擬天守。旧天守台は城の奥に残る。

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第8話「秀吉という男」- 2014.2.23放送
官兵衛は信長の前で中国と京の中間にある播磨の重要性を語り、名刀圧切(へしきり)長谷部を拝領、(わざと)遅れて来た秀吉と毛利攻めを命ぜられる。柴田・丹羽など古参部下は驚愕。その後秀吉と長浜へ向かい、秀吉正室のおね(後の北政所)と会う。官兵衛と秀吉は、いかに味方の兵を減らさずに勝利するかという点で意見が一致し絆を深める。キーワードは”命の使い道”。竹中半兵衛は播磨を視察、三木別所氏と御着小寺氏以外は毛利側だが一枚岩でないと見抜く。
官兵衛紀行・・・岐阜城、信長居館跡

岐阜城岐阜城 訪問記(2014.3訪問)
斎藤道三、織田信長の居城として有名な岐阜城(道三の頃は稲葉山城と呼ばれていた)。プレートが押し上げられて出来た巨大な岩山のため、平坦地は少なく、よくこんなところに石垣や天守を建てたと驚愕してしまう立地にある。城は関ヶ原後に廃城となり麓の加納城新築のために建物などは移されたというが、僅かながらに石垣や堀切などが残る。近年、山麓にあった信長公居館跡や庭園跡の発掘調査が進んでいる。

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第7話「決断のとき」- 2014.2.16放送
いきなり信玄死亡。信長は浅井朝倉を討ち、長篠で武田を滅ぼす。秀吉は旧浅井領 北近江を与えられ城持大名となった。毛利方の安国寺恵瓊は信長の西進に備えて官兵衛含め播磨各城を探る。悩む官兵衛に父職隆は全ては生き残るためと助言。一方ここは思案のしどころじゃのうと悩む小寺政職は評定を開催。毛利派の意見が大半を占める中、官兵衛は織田へ付くことを強く進言し主君の説得に成功。官兵衛は荒木村重の仲介で遂に岐阜城の信長と接見する。
官兵衛紀行・・・吉田郡山城(毛利氏の本城)、安国寺不動院(住職が恵瓊)

吉田郡山城吉田郡山城 訪問記(2014.4訪問)
中国の覇者 毛利元就〜隆元〜輝元の本拠地。元就が毛利本家の家督を継いでからその勢力拡大にあわせ城も拡張し、旧本城も含め山全体に270もの曲輪を持つ巨大な山城とした。輝元が広島城に居城を移した際に郡山城は支城の1つとなり、その後 関ヶ原敗戦で毛利家が萩城へ移されて廃城となったようだ。末期には石垣を多用した堅固な要塞だったようだが、江戸期に破城され今は無残な石垣跡が散乱するものの、巨大堀切や曲輪などはしっかりと往時の姿を残している。

◇◇◇


第6話「信長の賭け」- 2014.2.9放送
今日は信長の話。比叡山を焼き討ちした信長に対し、武田信玄と将軍義昭が東西から兵を挙げる。信長は京を攻め将軍を追放、幕府は終焉した。その頃 茨木城主となった荒木村重は信長と接見、古絵図で有名な”刀に刺したモチを食らう”エピソードを経て、摂津一国切り取り次第となる。官兵衛は村重を訪ね、茶の湯の流行に触れ、槇島城攻めに同行し信長の戦ぶりを知る。一方黒田家では、義父の櫛橋左京亮が死去、善助と太兵衛が義兄弟となる。
官兵衛紀行・・・兵庫県西脇市 姥ケ懐、兵主神社、荘厳寺(官兵衛 西脇生誕伝説の紹介)
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第5話「死闘の果て」- 2014.2.2放送
官兵衛と光に嫡男 松寿丸(後の長政)が産まれ、戦に備え官兵衛は倹約に励むも光はケチと言う。そして宿敵・龍野の赤松氏が姫路へ兵を挙げる。小寺政職はあっさり逃げ、官兵衛は寡兵で迎え撃つ。激戦の末、敵の裏を突く奇襲策を敢行し辛勝するも、小兵衛・武兵衛などの重臣を失った。その頃、信長は上洛、秀吉は竹中半兵衛を家臣に迎えた。
官兵衛紀行・・・龍野古城、青山古戦場跡

龍野古城龍野古城 訪問記(2013.11訪問)
姫路を急襲した赤松氏の居城・龍野城は鶏籠山の山頂に構える山城で、江戸時代に建てられた山麓の近世平城の龍野城と区別するため現在では「龍野古城」と呼ばれる。山上には今も石垣や曲輪、神社跡や矢竹などの遺構が残る。

◇◇◇


第4話「新しき門出」- 2014.1.26放送
足利義昭は幕府再建を目指して全国の諸将に書状を送付。小寺政職の元にも届き喜ぶが、同じ書状が黒田職隆にも届いていたことを知り、黒田家の力を恐れ始める。察した職隆はあっさりと官兵衛に家督を譲って隠居。小寺政職は官兵衛を抱え込むため、縁戚である櫛橋家の長女と政略結婚を図るも失敗。代わりに次女の光(てる)が名乗りを挙げ、2人は結婚した。一方 信長はついに美濃を攻略し「天下布武」を掲げて上洛を目指す。
官兵衛紀行・・・志方城跡(観音寺)

志方城跡志方城跡 訪問記(2014.1 訪問)
ドラマで官兵衛と父職隆、主君小寺政職とで志方に狩りに出掛けた後の宴席の舞台などとして登場。そこで櫛橋家の2人娘、力と光に会う。光とは木登りエピソードに続き2回目の遭遇。志方城は播磨守護・赤松氏に代々仕えてきた重臣 櫛橋氏の居城で、現在城跡には櫛橋氏の墓碑を守る観音寺が建つ。櫛橋家の墓碑も見学可(案内板あり)。

◇◇◇


第3話「命の使い道」- 2014.1.19放送
室津城は祝言の最中に赤松氏に攻め込まれ落城。おたつも殺害された。怒り狂う官兵衛は評定で赤松家攻撃を進言するも父職隆に諌められ、堺へ火縄銃の買い付けを命じられる。そこで荒木村重と出会い、堺の鉄砲商人を紹介され、ふらっと寄った教会でキリスト教を知る。一方 美濃では斎藤龍興の稲葉山城が家臣 竹中半兵衛のクーデターにより占拠される事件が起こるもあっさり収まる。
官兵衛紀行・・・妙國寺(堺市)※官兵衛が火縄銃を買いに堺に行った

list2-murotsu室山城跡 [室津城跡] 訪問記(2014.1 訪問)
ドラマで官兵衛の初恋の相手おたつが嫁いだ浦上氏の城(ドラマでは室津城と表記)。播磨灘に面した岬の町”室津”の山上にあった。史実でも黒田家との政略結婚の祝言の日に龍野の赤松氏に攻め込まれ落城。その後 室津は江戸時代に港町として栄え、西国大名の本陣跡が多く残る。残念ながら城の遺構はほとんど無い。

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第2話「忘れ得ぬ初恋」- 2014.1.12放送
官兵衛は主君である小寺政職の近習として御着城へ出仕。初陣は宿敵赤松氏との戦いで、官兵衛は敵の誘い出し作戦を見抜く。後の重臣・栗山善助が官兵衛の元にやってくる。赤松対策として小寺氏は室津城の浦上家との婚姻(同盟)を計画、官兵衛の幼馴染で初恋相手の「おたつ」が花嫁に選ばれる。赤松氏は同盟を阻止すべく、祝言が行われている室津城へ出兵した。
官兵衛紀行・・・御着城址

御着城跡御着城跡 訪問記(2013.6 訪問)
官兵衛が最初に仕えた小寺氏の本城。青年期の官兵衛が近習として出仕した。秀吉の播磨侵攻で落城。本丸跡は市出張所、二の丸跡はグラウンドとなり、一目で分かる遺構はあまり残っていない。敷地内に官兵衛顕彰碑と黒田家廟所、少し離れた公園内に小寺氏を祀った小寺大明神および城跡碑が立つ。
御着城跡展姫路市埋蔵文化財センター企画展「御着城跡」レポート(2014.1訪問)
御着城跡を昭和50年代に発掘調査したときの資料や写真、出土品などを詳細に解説する、今までにない規模での”御着城”特集。二の丸跡には、官兵衛が出仕していた頃の建物礎石や石組溝跡などが出土した。現地販売パンフ500円(カラー36p)は必携。H25.1.5〜4.13開催。

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第1話「生き残りの掟」- 2014.1.5放送
あらすじbyNHKはこちら
官兵衛紀行・・・広峯神社
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その他 外部リンク集
NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」公式サイト
NHK「官兵衛」紀行 公式サイト
NHK神戸「軍師官兵衛」サイト – 兵庫 x 軍師官兵衛
NHK福岡「軍師官兵衛」サイト – 福岡・大分x軍師官兵衛
NHKオンデマンド 軍師官兵衛 – 見逃したら月額945円でここで合法閲覧
Wikipedia「軍師官兵衛」 – しれっと書かれるネタバレに要注意
Wikipedia「黒田孝高」 – 官兵衛の本名(氏+諱)は「くろだ よしたか」
ひめじ官兵衛プロジェクト – 官兵衛の生まれ故郷は只今大盛り上がり中
ひめじの官兵衛1dayパス – 姫路近郊の官兵衛ゆかりの地へは山電フリチケが安い
加古川観光協会 官兵衛と光(てる) – 官兵衛の正室”光”は加古川・志方城の出身
いたみ官兵衛プロジェクト – 官兵衛を幽閉した荒木村重の有岡城があった町
黒田官兵衛ゆかりの地、福岡県 – 官兵衛晩年の舞台も年末盛り上がり予定
大分県中津市 軍師黒田官兵衛 – 中津城を中心に官兵衛ゆかりの城跡が多い

※ 放映内容にあわせて随時追加していきます。

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