大河ドラマ「真田丸」各回カンタンあらすじ

真田丸カンタンあらすじページ ロゴ平成28年放映のNHK大河ドラマ「真田丸」。
各回ごとのカンタンあらすじを放送後に書き下ろします。
TV感想文ではなく、三谷幸喜氏の切り口やユーモアさが伝わる「ドラマ真田丸を楽しく理解できる」ような文面を心がけています。
(最終更新 2016.12.18)


[各回リンクと年表] (表題リンクは各投稿ページ)
第50回最終回」慶長20年 大坂夏の陣 終結。大坂城 落城。
第49回前夜」- 慶長20年 大坂夏の陣。後藤又兵衛、木村重成、塙団右衛門ら 討死。
第48回引鉄」- 慶長20年 幸村 茶臼山に砦を築き始める。二ノ丸堀の掘り返し。
第47回反撃」- 慶長19年 大坂冬の陣 和睦。真田丸破却、外濠埋め立て。
第46回砲弾」- 慶長19年 徳川軍の砲撃が天守南の淀殿御殿を直撃する。
第45回完封」- 慶長19年11月 大阪冬の陣 真田丸の戦いで前田勢・井伊勢を撃退。
第44回築城」- 慶長19年 大坂城南端に出城 真田丸 が完成。
第43回「軍議」- 慶長19年 豊臣方、徳川勢を大坂城で迎え撃つことに決定する。
第42回「味方」- 慶長19年 幸村、大坂城にて秀頼公と謁見。大坂五人衆の合議体制へ。
第41回「入城」- 慶長19年 幸村、九度山を脱出し大坂城へ。信之へ大坂出陣命令が下る。
第40回「幸村」- 慶長19年 信繁、豊臣と徳川の決戦を前に大坂へ向かうことを決意。自ら幸村と改名。
第39回「歳月」- 慶長16-19年 信繁の子 大助 九度山で元服。薫 江戸で死去。
第38回「昌幸」- 慶長5-16年 豊臣秀頼 家康と二条城で会見。秀忠 二代将軍に就任。昌幸 九度山で死去。
第37回「信之」- 慶長5年9-12月 関ヶ原合戦終結。信幸 改名(信之)。昌幸 信繁 高野山へ蟄居。
第36回勝負」- 慶長5年7-9月 第二次上田合戦。信幸 砥石城へ。関ヶ原で両軍激突勃発。
第35回犬伏」- 慶長5年7月 家康 江戸城から会津へ。三成 徳川弾劾状。真田親子 犬伏の別れ。
第34回挙兵」- 慶長5年(1600) 7月 家康 上杉征伐のため江戸へ。三成 大坂にて挙兵。
第33回動乱」- 慶長4年 三成 伏見徳川屋敷の襲撃失敗 (※史実は三成が襲撃される)
第32回応酬」- 慶長4年 朝鮮より撤兵。家康六男と伊達正宗長女が婚姻。
第31回終焉」- 慶長3年8月 秀吉 伏見城で没。
第30回黄昏」- 文禄5年-慶長3年 朝鮮再出兵。秀吉 伏見醍醐寺で花見。拾 元服し秀頼と名乗る。
第29回「異変」- 文禄4-5年 信繁 大谷刑部娘”春”を正室に。木幡山伏見城 建設。慶長伏見地震
第28回「受難」- 文禄4年 秀次 高野山で蟄居ののち、切腹。
第27回「不信」- 文禄3年 秀吉 吉野で花見。信繁 官位(左衛門佐) 叙任。
第26回「瓜売」- 天正20年-文禄2年 秀次 関白就任。朝鮮出兵。茶々懐妊、拾(秀頼)誕生。
第25回「別離」- 天正19年1月 秀長没。2月 利休切腹。8月 棄没。
第24回「滅亡」- 天正18年7月 北条降伏。氏政 切腹、氏直 高野山へ。秀吉 天下一統。
第23回「攻略」- 天正18年2-6月 小田原征伐 開始。三成 忍城攻め。
第22回裁定」- 天正17年11月 沼田裁定。その後北条が名胡桃城を攻め秀吉は北条征伐を決意。
第21回「戦端」- 天正17年2月 北条 上洛の条件として沼田領を要求。北条真田両者が大坂城へ。
第20回前兆」- 天正16-17年 聚楽第 落書事件。茶々 秀吉の子 棄(すて)を産む。
第19回恋路」- 天正15-16年 聚楽第 完成。茶々 秀吉側室に。信幸 稲と婚約させられる。
第18回上洛」- 天正15年2月 昌幸 大坂城にて秀吉に臣従、家康の与力を命じられる。
第17回「再会」- 天正14年10月 家康 真田討伐を中止し上洛、大坂城にて秀吉に臣従。
第16回「表裏」- 天正14年7月 家康 真田征伐の兵を挙げる。
第15回秀吉」- 天正14年6月 上杉景勝 秀吉と大坂城で謁見。
第14回「大坂」- 天正13-14年 石川数正 徳川家を出奔。信繁 上杉景勝と共に大坂へ。
第13回決戦」- 天正13年8月 第一次上田合戦。信繁青春編 完了。
第12回人質」- 天正12-13年 信繁 上杉の人質に。長女すえ誕生。真田 上杉と同盟。
第11回祝言」- 天正11-12年 上田城完成。信繁 お梅と結婚。室賀正武 暗殺。
第10回妙手」- 天正11年 昌幸 上田平に築城開始。北条 沼田城を攻撃。
第9回駆引」- 天正10年7-10月 真田 徳川へ付く。北条徳川 和睦、天正壬午の乱 終結。
第8回調略」- 天正10年7月 真田 北条へ付く。北条は上杉攻めから徳川攻めへ。
第7回奪回」- 天正10年6月 真田家人質 滝川から木曽義昌へ移管。
第6回迷走」- 天正10年6月 山崎の戦い。信繁ら真田の郷へ帰還。
第5回窮地」- 天正10年6月 家康 伊賀越え。信繁ら安土脱出へ。
第4回挑戦」- 天正10年3-6月 真田 織田に服属。直後 本能寺の変。
第3回策略」- 天正10年3月 信長より昌幸へ参上の要請。
第2回決断」- 天正10年3月 武田家 滅亡。真田家 岩櫃城へ。
第1回船出」- 天正10(1582)年2月 真田家の主君 武田家 新府城を捨てる。


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※ 分からなくなりがちな登場人物はNHK公式の 人物相関図 がオススメ!
※ 実際の「真田丸跡」への訪問記は → 真田丸を歩く 1234


第50回「最終回」- 2016.12.18放送

残った大坂勢は、総掛かりで徳川本陣を攻め、後に秀頼公御自ら出撃と相成った。信繁は淀殿に戦の後のことを託す。死ぬつもりなのですね? 望みを捨てなかった者にのみ道は開けるのです!信繁の覚悟を悟り涙するも、強くうなづく淀殿。

5月7日早朝。豊臣方は茶臼山から岡山にかけて布陣。徳川方は数段に及ぶ陣を構える。大野治長が豊臣方の馬印 千成瓢箪を抱えて着陣。徳川方の攻撃で戦が始まる。信繁は負傷している大介を秀頼の元に送り出撃。真田毛利の破竹の攻撃で徳川軍は大混乱、馬印が倒れるに至る。しかし秀頼の出陣を促そうと馬印を持ったまま大野治長が城へ戻ったことで事態は一変。秀頼公退却と誤解した豊臣兵に動揺が走る。家康は機を逃さず陣を立て直し反撃。秀頼自身も淀殿に阻まれ出陣できずやがて城内へなだれ込む徳川兵。内記も作兵衛も孤軍奮闘の結果、討死する。

信繁は一騎駆け出し、家康本陣へ。ついに家康と対峙する。馬上筒を構える。お互いの想いを叫ぶ二人。バーン! 信繁が馬上筒を落とす。戻ってきた秀忠隊に撃たれたのだった。乱戦の末 佐助の力を借り撤退する信繁。

そして疲れきった信繁と佐助は神社へ避難する。そこへ徳川兵。信繁は意を決して首を差し出すも、近寄った兵を寸鉄で倒す。「・・・ここまでのようだな」佐助に刀を預け、切腹の用意をしながら家族や仲間たちのことを思い出し、穏やかな笑みを浮かべる信繁。

大坂城。燃える天守を見ながら、秀頼ら豊臣一族は蔵の中に集まっていた。真田大助も秀頼とともに居た。千姫はきりに連れられて徳川本陣へ到着。笑顔の千姫を見て、そっと立ち去るきり。明石全登と毛利勝永は退却。春ら信繁一族は城を出て上田へと向かった。

信之は大坂を出て道中一緒になった本多正信と東国へ向かっていた。道中、国造りの根本を教わる信之。そこで大坂から急報が届くも、信之は敢えてそれを聞かず、力強く前へ進んでいった。これより七年後、信之は松代藩十万石の大名となった。完。

<今週の名台詞>
・内記「人の真の値打ちは己が決めるものではございません。時でござる。大事なのは、如何に生きたか、でございますゆえ。」
・家康「わしを殺したところで豊臣の天下には戻らん!戦で雌雄を決する世は終わった、お主のような戦でしか己の生きた証を示せぬような手合は生きていく所など何処にもないわ!」
・信繁「そのようなことは百も承知!されど私はお前を討ち果たさねばならぬのだ!我が父のため、我が友のため、先に死んでいった愛する者たちのために!」

<真田丸紀行>
・安居神社、大阪城公園、長谷寺、上田城跡公園 – 信繁最期の場所は現在の安居神社近くと伝わる。訪問記


第49回「前夜」- 2016.12.11放送

信之は信繁の覚悟を悟り、密かに大坂へ向かう。信尹と合流し潜入に成功、信繁と再会を果たす。信尹は寝返れば信濃一国と家康の意を伝えるも信繁は拒否。説得できぬと悟った信之、犬伏で誓った酒を今ここで酌み交わそうと求める源次郎を振り切り「これは今生の別れではない!」と立ち去る。

大坂方は城の南、天王寺で敵を迎え撃つ作戦に固まる。4月29日、大野勢と徳川方が衝突、大坂夏の陣が始まる。5月1日、家康を迎え撃つべく又兵衛が道明寺、木村が若江八尾へ。後続で信繁と毛利勝永も出陣。5月6日早朝、道明寺の又兵衛は後続を待たずに攻撃を開始、奮闘するも衆寡敵せず。後藤又兵衛 討死。木村隊は家康本隊の攻撃を受け壊滅、木村重成 討死。ことごとく裏をかかれた大坂方。実は、有楽斎だけでなく食堂の親父(与左衛門)も間者だった。

信繁は伊達隊と衝突、損害を受け城へ撤退する。戦場で対峙した伊達政宗の心意気を感じた信繁は、春や幼子らを伊達家に送ることを決める。政宗は快く受け入れた。後に信繁の娘 梅は、伊達家重臣片倉家に嫁ぐことになる。

春らが去った大坂城。信繁はきりに、いざとなったら千姫(秀頼正室で秀忠娘)を連れて秀忠の陣へ行くよう指示。その後きりは城に戻ると言う。「源次郎さまが居ない世に居てもつまらないから」思わず抱きしめる信繁、きり「10年遅い」。内記の娘に関しては諸説あるが、一つだけ確かなのは最も長く信繁の傍に居た女性だったということである。

<今週の名台詞>
・信之「黙れ、こわっぱ!!」(偶然出会った室賀の息子に向けて)
・信之「今度もまた俺は必ずお前を助けてみせる。決してお前を死なせはせぬ。それがワシの使命だからだ!」
・信繁「これで終いかー!徳川兵に真の武士は一人も居らんのか!」

<真田丸紀行>
・道明寺合戦記念碑、後藤又兵衛基次之碑、志紀長吉神社 – 大坂夏の陣の激戦地、信繁ゆかりの地。


第48回「引鉄」- 2016.12.4放送

茶臼山 徳川本陣。このまま総攻めだと逸る秀忠に、家康は江戸へ帰れと言う。徳川が兵を引き、牢人が大坂城を出た後に、改めて総攻めする腹づもりだった。信繁は佐助を送り込み家康を襲わせるが、それは影武者だった。一方 織田有楽斎は信繁に間者の証拠を抑えられ、城を追放される。

年が明け、慶長20年。家康は駿府へ、秀忠は江戸へ戻った。大坂城内には未だ10万人の牢人が居た。信繁は城の南、茶臼山に要害を築き徳川を再び迎え撃つ策を立てる。秀頼は次の戦の後、四国へ移ることを考え始める。信繁は大坂に居た信之の子らを訪れ、三十郎らに信之への文を託した。そして利休の屋敷跡でイスパニア製の馬上筒を発見する。

その頃 大坂城内で事件が起こる。大野治房(治長の弟)の暴走で、牢人たちが金銀を手に入れ、それで武具を買い揃え始めた。更に埋められた二ノ丸の濠までも掘り返し始めてしまう。信繁の要害は未完成だった。濠の掘り返しを知った家康は激怒し、諸大名に戦支度を命令した。

江戸で信繁からの文を受け取った信之。弟が家康と刺し違えて死ぬ気だと悟る。その頃 信繁は大坂で馬上筒を試していた。

<今週の名台詞>
・又兵衛「みんな戦がしてえんだよ。そろそろ腹くくる時かも知れねえぞ」
・信繁「戦が起きるときは、誰も止めることは出来ん。。。」
・家康「牢人どもはわしが成敗してくれる!やつらを滅ぼす!」

<真田丸紀行>
・岡山城 – 大坂五人衆の一人 明石全登ゆかりの地。宇喜多家の家老だった。訪問記


第47回「反撃」- 2016.11.27放送

「話が違うではござらぬか、大御所様!」バンバン砲撃される大坂城を見て自らのしたことを嘆く片桐且元。豊臣家を裏切ったことを悔やむ彼は、これより半年後に急死する。

大坂城内は淀殿を筆頭に和睦へと一転した。なぜ和睦じゃ!浪人衆に不満は募る。不安がる秀頼公と淀殿、信繁は出来るだけ有利な条件へと話を運ぼうと決意する。交渉は使者による直接交渉へ。信繁は本多正信が出て来ぬよう淀殿の妹 常高院(お初)を使者とする。対する徳川方は家康正室の阿茶局。

12月18日、和睦交渉。阿茶局はまず大坂方に有利な条件をずらずらと並べ、最後に惣構堀と真田丸の破却をしれっと言い出す。警戒するきりと常高院だったが、出しゃばった大蔵卿が無思慮にすべて受けてしまう。覚書にも書かれていない惣構堀と真田丸の破却こそが家康の狙いだった、なんという愚かな!と激怒する信繁や大野治長たち。

家康の勝利宣言「見よ、瞬く間に堀が埋められていく。これで裸の城じゃ、あとは向こうが和睦を破るように仕向けて、総攻めをかける。これぞ城攻めよ、はーーっはっは!」

もはやこの戦、勝ち目は無くなった。諦めた信繁のもとへ、浪人衆が集まってくる。何ノンビリしてんだ、早く策を立ててくれよ!考えろ、どうすれば勝てるか考えるんだ!あなたは勝つためにここに来られたのではないのですか!そこへ秀頼公 御成。「望みを捨てぬものだけに道は拓けるとそなたは言った。私はまだ捨ててはいない!」信繁「かしこまりました」えいおー!えいおー!大坂方は諦めるのをやめた。

<今週の名台詞>
・淀殿「茶々を叱ってください、あれほど和睦はしないと言っておきながら・・・」
・信繁「出城も堀も失ったら戦えませぬ、戦えぬ我らに家康が約定を守るとお思いか!!」
・信之「少々高くはないだろうか、ひざ枕で二百文というのは」

<真田丸紀行>
・岡豊城跡、鳴無神社 (高知市) – 長宗我部盛親ゆかりの城、神社。


第46回「砲撃」- 2016.11.20放送

大坂城。このまま家康本陣を攻撃だと勢いづく秀頼公に、信繁は「ただ戦は勝てば良いものではない、如何に味方の命を損なわぬか」と、かつての父や梅の言葉を用いて進言する。また秀頼公に大坂城の主としての言葉の重みを説く。一方家康も、総攻撃を逸る秀忠に奇しくも信繁と同じく「如何に兵を損なわずに城を落とすかが肝要」と諭していた。家康は、真田丸攻めは中止し、兵に交代で一晩中鬨の声を挙げるという心理戦を大坂方へ仕掛ける。

家康は信繁調略に向け、真田信尹(昌幸の弟)を呼ぶ。信尹は不可能と断るも書状を持たされ城内へ。信尹は城へ侵入し、信繁と酒を酌み交わす。帰り際、書状を渡しながら「読まんでいい」。信繁もそのまま破り捨てた。

次の策は和睦策。本多正純は城内を和睦でまとめよと誰かに指図する。かしこまりました…そこには織田有楽斎が居た。間者は有楽斎だった。その日より大坂城内では有楽斎を中心に和睦案が進む。信繁ら五人衆は猛反対。秀頼公は有楽斎らに押し切られ和睦へ傾く。信繁は淀殿の元へ。秀頼や左衛門佐と一緒におれるのなら城を手放しても良いと言う淀殿、その気持ちをうまく使い淀殿に和睦反対で説き伏せる。淀殿は秀頼らに強引に「和睦はしない、私がこの城の主だ!」と宣言した。

翌朝、家康本陣へイギリスの大筒が到着。家康は片桐且元から言葉巧みに淀殿の居場所を聞き出し、そこに砲弾を撃つよう命じる。どーん!砲弾は天守を直撃、落ちた鯱瓦が淀殿の目の前に居た侍女に直撃する。目の前で起きた突然の悲劇に淀殿は我を失ってしまう。。。

<今週の名台詞>
・秀頼「私は父上が遺されたこの城を守り父上が築かれた安寧の世を守り、そして父上を越えたい!」
・秀頼「己の言葉の重みを知れと申したのはそなたではないか!いったい何が真なのだ!」
・信繁「断を下すのはもちろん殿、しかしその断に誤りがあれば私は如何なる手を使っても食い止めます」

<真田丸紀行>
・山内神社(高知県) – 毛利勝永が関ヶ原後に預けられていた土佐山内家ゆかりの地。


第45回「完封」- 2016.11.13放送

慶長19年11月。大阪冬の陣が始まる。明石隊の木津川口砦、木村隊の今福砦が相次いで徳川の手に落ちる。焦る大坂方、信繁は「敵の真の狙いは城の南」と動じない。城内から情報が漏れていると勘付いた勝永と信繁は嘘の情報を流し、内通者の目星をつける。「やはりあの男か。」

完成した真田丸の物見に登る信繁と内記。「壮観だな。」目の前には敵の赤備え隊。「あちらにも赤備えがおりまする」「井伊直孝の隊だ。向こうにもここに至るまでの物語がある」「一度聞いてみたいものですなあ」来年の大河ドラマ(井伊家)の宣伝も忘れない。

茶臼山 家康本陣。家康は上杉景勝に真田丸を攻めよと命令。「ここで拒めば上杉の生きる道は御座いませぬ」と兼続。景勝は従うしか無かった。更に家康は信吉にも真田丸攻めを命令。逸る信政、叔父上とは戦いたくないと信吉。その状況を三十郎が佐助を使い信繁へ。「急がねばならぬ!」信繁は明朝攻撃を内密に決定。長宗我部・又兵衛・幸村も真田丸へ。大助も初陣。

明朝。大助は、かつて父がしたように、前線で旗を振って歌い踊り、敵を挑発。前田隊・井伊隊が挑発に乗る形で戦いが始まる。その時 真田丸内で大爆発。罠の火薬だった。それを豊臣方の仲間割れと解釈した前田隊は、真田丸へ一斉攻撃を開始。空堀を越え、土橋を渡り、切岸を登る敵兵。それを信繁の合図で二段構えの鉄砲隊が一斉射撃。バタバタと倒れる前田隊。無理やり乗り越えた前田兵も、後藤又兵衛の槍や作兵衛らの活躍で撃退。「仕上げじゃ」と信繁は自ら出撃、敵を殲滅。真田丸の戦いは、豊臣方のまさに完封勝利で幕を閉じた。

<今週の名台詞>
・本多正信「えらいものを作ってくれましたな、真田左衛門佐!」
・信繁「おのおの、ぬかりなく!」
・景勝「源次郎め… あっぱれな戦いぶりじゃ。日ノ本一のつわもの!」

<真田丸紀行>
・八劔神社 – 大阪冬の陣で上杉景勝の本陣と伝わる場所。木村勢・後藤勢を退却させる。


第44回「築城」- 2016.11.6放送

オープニングムービー無しで本編開始。
最終的に籠城に決まったと知り、怒り呆れる牢人衆。家康「これで、勝ったの」

大坂城の弱点、南側に出城を築くことを発案する信繁。大野や五人衆は承知するも、有楽斎・大蔵卿が猛反対。布陣も決まらない。勝永らは城を出ると言い出す。茶々に直談判するもダメ。事態は八方塞がり、そこへ大野が「腹はくくった。すぐに出城づくりに取り掛かられよ!」男 大野、よく言った!信繁は早速築城を開始。しかし有楽斎に即バレる。有楽斎「大野殿が許したのか?」大野「何のことやら」使えない男 大野に信繁ガッカリ。工事は中止させられた。

誰も居なくなった未完の出城。又兵衛と勝永は信繁に脱出を誘う。「豊臣を見捨てるわけには行かぬ」。そこへ秀頼公が登場「豊臣を見捨てぬというのは真だな?」「亡き太閤殿下にお誓い申し上げました」涙目の秀頼「この出城、仕上げよ。私が許す!」

京を出た家康は城の南、住吉へ布陣。「難攻不落と言われる大坂城ではあるが、そこに篭もるは大半が有象無象の牢人共。我らの勝利は間違い無し!」。信繁「我らは関ヶ原の苦渋を舐めた。真の戦を身体で知っている。敵は殆ど戦場を知らぬ者たちだ。この差は大きい!」

家康は内通者から大坂勢の布陣を入手。南の出城を見て「要らぬところに作りおって。誰が守る?」「真田…さえもんのすけでございます」「真田! ま た、さ な だ か !」

出城が遂に完成。物見台に登る信繁、大助、内記。「ようやくこれで城持ちになった。」「城の名前は何とします?」「決まっておるだろう… 真 田 丸 よ!」ちゃっちゃっちゃかちゃっ…ここでいつものオープニングムービー開始。そのままエンディングへ。

<今週の名台詞>
・信繁「これが父 安房守より受け継いだ、真田の軍略。」
・信繁「赤は武田の武勇の証。真田の兵は赤備えと世に知らしめる!」
・家康「大坂城に立てこもり、世の安寧を脅かす不埒者たちを、これより成敗いたす!」

<真田丸紀行>
・真田丸顕彰碑 – 真田丸比定地に今年建てられた真田丸の石碑。


第43回「軍議」- 2016.10.30放送

後日掲載

<今週の名台詞>

<真田丸紀行>
・後藤又兵衛顕彰碑 (姫路市) 多聞寺 (加西市) – 南山田城は又兵衛ゆかりの城。多聞寺は又兵衛の三男が建立。


第42回「味方」- 2016.10.23放送

後日掲載

<今週の名台詞>

<真田丸紀行>
・長久保宿本陣跡 (長野県) – 信繁の娘すえが嫁いだ家。


第41回「入城」- 2016.10.16放送

後日掲載

<今週の名台詞>

<真田丸紀行>
・大阪城公園 – 豊臣vs徳川 最終決戦の地。訪問記


第40回「幸村」- 2016.10.9放送

後日掲載

<今週の名台詞>

<真田丸紀行>
・方広寺(京都市)- 慶長二十年 大坂の役の原因となった場所。鐘は今も吊るされている。


第39回「歳月」- 2016.10.2放送

後日掲載

<今週の名台詞>

<真田丸紀行>
・遍照寺, 丹生都比売神社 – 九度山時代の信繁らゆかりの場所。遍照寺は屋敷跡と伝わる場所の一つ。


第38回「昌幸」- 2016.9.25放送

後日掲載

<今週の名台詞>

<真田丸紀行>
・蓮華定院 – 真田親子ゆかりの九度山の寺院。六文銭の提灯が掲げられる。


第37回「信之」- 2016.9.18放送

後日掲載

<今週の名台詞>

<真田丸紀行>
・善名称院 (真田庵) – 真田昌幸の九度山での屋敷跡に建つと伝わる寺。


第36回「勝負」- 2016.9.11放送

7月24日、下野小山。大坂挙兵の報せが家康へ。源三郎(信幸)は家康へ昌幸らの離反を伝える。家康は信幸は許すも「安房守、断じて許さぬ!」。25日。家康は諸将を集め軍議を開催。忠勝「内府様と心を一つに出来ぬ御仁はここを立ち去られるが良い!」福島「そのような者が居るはずがござらん!」「右に同ーじ!」「おなじー!」上杉征伐に同行していた全武将が徳川方に付いた。

7月22日。昌幸は上田城へ。徳川は必ず引き返してここを通る、これを迎え撃つ! 一方 家康は源三郎に上田攻めを命令。源次郎は真田同士が戦わなくても良いよう、砥石城を舞台にまたも「戦芝居」を画策。示し合わせた通り源三郎は難なく砥石城へ。その後源三郎は動かず、真田同士がぶつかることは無かった。そして秀忠軍は、関ヶ原へ参陣するため上田攻めを諦め、西へ去っていった。

勝利に酔いしれる上田城内。そこへ佐助が到着。関ヶ原で徳川勢と石田勢がぶつかったこと、戦は朝方に始まり昼過ぎには勝敗が決したこと、そして、徳川方の大勝利に終わったことを告げた。なんだと・・・! 大谷刑部様お討死、石田治部様行き方知れず! 信繁「石田様が、負けた・・・」

<今週の名台詞>
・稲「我が殿、真田伊豆守は徳川方。ならば徳川に歯向かうものは全て敵でございます。お引き取りを!」
・昌幸「さすがは徳川一の名将 本多平八郎の娘じゃ。源三郎は良い嫁をもろうたのう」
・昌幸「秀忠は初陣。思いっきり怖がらせてやる。初陣で戦の怖さを思い知らされたものは生涯戦下手となる」

<真田丸紀行>
・砥石城跡 – 第二次上田合戦で西軍に属した真田昌幸方から東軍の信之が開城させた城。


第35回「犬伏」- 2016.9.4放送

美濃垂井。上杉討伐に向かう途中の大谷刑部を三成が電撃訪問し、挙兵に誘う。形部「ワシはあの男が来るのを待っていたのかも知れんな…」形部の覚悟の決意に涙ぐむ三成。兵を挙げるからには必ず勝つ!必勝の秘策を告げる形部。

三成らは宇喜多・小早川を先頭に伏見城を攻撃、江戸へ侵攻する計画を立てる。伏見攻めに乗り気でない小早川秀秋を板部岡江雪斎(徳川の間者)が徳川方へ誘う。一方 江戸では三成の動向を気にしつつ家康は会津へ出陣した。その頃 三成と形部は徹夜で諸大名に送る弾劾状を書き上げた。

7月21日 昌幸らは下野犬伏に陣を張った。そこへ三成の書状が届く。昌幸は誰にも付かず上田に籠城と言い出すも、源次郎は豊臣徳川の勝った方が天下を取る、どちらかに付かねばどちらも敵となると反対。悩む三人。懐かしのコヨリを出す昌幸。「こういうことはもうやめましょう」強くなった源三郎は動揺しなかった。そして意を決し、源次郎と昌幸が豊臣方、源三郎が徳川方へ付くことを提案する。敵味方に別れて戦うのではなく、勝った方が負けた方に付いた真田一族を助ける「真田が生き残るための策」。その覚悟と勢いに昌幸も源次郎も圧倒され、同意した。その夜、3人は共に思い出話で語り明かした。

これより2ヶ月の後、真田と徳川は上田で再び激突する。

<今週の名台詞>
・大谷刑部「泣いている暇はござらぬ!ワシがお主を勝たせてみせる!」
・源次郎「夢物語はもう終わりにしてくだされ父上ー!」
・源三郎「たとえ徳川と豊臣に分かれても、常に真田は一つでございます!」

<真田丸紀行>
・新町薬師堂 (栃木県佐野市) – 真田親子が犬伏の会談を行ったと伝わるお堂。


第34回「挙兵」- 2016.8.28放送

三成は謹慎処分となるも、前田利家が家康に掛け合い政務に復帰。しかし3月3日、その前田利家がこの世を去る。歯止めが無くなった清正・正則ら反三成勢は石田屋敷を襲撃。三成は間一髪で脱出する。北政所も茶々も仲裁拒否の中、最後の手段と源次郎は家康に事態収集を依頼。家康は三成が政権から去ることを条件に騒動を収めた。処分言い渡しの際、三成は清正を呼び何かを耳元で囁く。そして「今生の別れだ!」と源次郎へ告げると、堂々と退去した。三成が伏見を去った三日後、家康は伏見城へ居を移す。事実上の勝利宣言だった。

慶長五年(1600) 5月。家康は大坂城に移りほぼ天下を手中に収めていた。家康は上杉と決裂、会津征伐を決意する。真田家は打倒徳川で上杉方へ付くことを決意する。

6月16日。家康はしたたかに入手した豊臣軍旗を掲げ会津へ進軍開始。一方 大坂城では宇喜多を筆頭に反徳川の決起集会が行われていた。そこには石田治部の姿。「もう後には引けぬぞ?」「万事この治部にお任せあれ!」日本の歴史上未曾有の大戦が、始まる。

<今週の名台詞>
・家康「石田治部は、頭の切れる男ではあるが、勿体なかったのう」
・三成「殿下に全てを捧げ、殿下亡き後は豊臣家のために全てを投げ打ってここまでやってきた。何ゆえ私は伏見を追われなくてはならぬ!」
・信繁「石田治部様は己が身を省みること無く誰よりも豊臣家のことを思い尽くして来られました、その石田様でも内府様の元では務めることが出来ませんでした。どうして私などに務まりましょう!」

<真田丸紀行>
・福島正則公生誕地碑 – 愛知県あま市。


第33回「動乱」- 2016.8.21放送

信繁は伏見城内で元 北条家の板部岡江雪斎と遭遇する。再会に驚く信繁。今は金吾中納言(小早川秀秋)に仕えているという江雪斎だったが、実は徳川方のスパイだった。襲撃計画を知った家康は、諸大名に屋敷の警護を通達。続々と徳川屋敷へ集まる大名たち。

一方三成は老衆を味方にしようと交渉するが、毛利・上杉そして前田大納言にも断られてしまう。清正や細川忠興は三成のやり方に激怒し徳川方へ。大谷形部も三成は間違っていると徳川屋敷へ。唯一味方していた老衆・宇喜多も襲撃を諦めるよう三成へ告げる。しかし振り上げた拳を下げられない三成。源次郎は必死に説得、そして上杉景勝「義を知らぬ徳川内府はいずれワシが倒す。今は命を繋ぎ時を待つのだ!」の言葉で、三成は遂に折れた。かくして襲撃は未遂で終わった。

解散する大名部隊を見ながら、家康は自らの天下人への可能性を見出していた。この日より、徳川家康の天下取りへの道が始まる。

<今週の名台詞>
・信繁「命懸けで天下万民に尽くした姿を私は見てきました。これは貴方にしかなしえないこと。己の欲で動く徳川内府には思いもつかぬこと!死んではなりませぬ!」
・景勝「義を蔑ろにするものはワシは断じて許すわけにはいかん!」
・家康「ワシの一声で豊臣恩顧の大名がこれだけ集まった。これは行けるかもしれんな」

<真田丸紀行>
・勝竜寺城公園 – 細川忠興ゆかりの城跡。正室は明智光秀三女 玉(ガラシャ)。訪問記


第32回「応酬」- 2016.8.14放送

秀吉死去の事実は、近親者と五奉行・老衆(おとなしゅう)のみに留めることとなった。遺骸は塩漬けの大壺に入れられ蔵へ。しかし瞬く間に噂は広まる。真田屋敷の面々もすぐに知っていた。一方 秀吉の馬廻衆だった信繁は志願して三成に仕える。

伏見城で評定。三成は朝鮮撤兵手順など案件一つ一つを五奉行・五老衆 全員の同意を得ながら進めていく。疲れるが、私にしか無い出来無いことだと三成。

そして年が明け、太閤秀吉の死が発表された。秀頼は後見の前田利家とともに大坂城へ。

家康が動く。北政所に三成が政治を牛耳ろうとしていると讒言。豊臣恩顧大名を集め大宴会を開く。三成が対抗して宴を開くも閑古鳥。そして徳川家と伊達家が縁組。加藤清正も家康の娘を娶る。これには三成激怒、家康を老衆から外そうと上杉景勝と画策して評定に望むも、景勝ら老衆や奉行らは家康に言いくるめられ、三成一人が悪者にされてしまう。

秀吉の遺骸の前で涙ぐむ三成。そして覚悟を決めた三成は、源次郎へ家康邸襲撃を伝えた。慶長四年正月二十一日。伏見の最も長い一日が始まろうとしていた。

<今週の名台詞>
・三成「私は殆ど間違える事がないが極たまに間違った決断をすることがある。そんな時は遠慮無く教えてくれ」
・家康「治部少!この徳川内府を締め出そうとする魂胆浅ましい限り、そこまでして政を独り占めしたいか!」
・三成「腹は決まった。徳川屋敷に夜討ちを掛け、家康の首を取る!」

<真田丸紀行>
・伏見北堀公園 – 木幡山伏見城の堀は埋め立てて公園に。伏見城訪問記現地説明会レポート


第31回「終焉」- 2016.8.7放送

太閤秀吉の死がすぐそこまで迫っていた。三成は、秀吉死後の体制として五奉行と五老衆 (おとなしゅう) の合議制とする遺言書を準備。家康はそれを反故にすべく意識もうろうの秀吉に無理やり新たな遺言書を書かせる。三成激怒、眠る秀吉を無理やり起こして更に修正させる。一方 茶々は幼い秀頼とともに秀吉の元へ。茶々は死が目前の秀吉を見て怯えるが、幼い秀頼は堂々と秀吉に話しかけた。

秀吉は悪夢を見た。血まみれの秀頼(?)の亡霊。驚いて目を覚ました秀吉は三成へ家康を殺せと命令。三成は昌幸へ、昌幸は出浦へ。出浦は佐助に後を託し、単身 徳川屋敷へ潜入。しかしすんでのところで見つかり、本多平八郎と互角の死闘を繰り広げるも、たまたま徳川屋敷を訪れていた信幸と遭遇、驚いた隙に平八郎に斬られてしまう。敵に囲まれる出浦。刀をしまい、爆発とともに姿を消した。佐助は瀕死の出浦を昌幸の元へ連れ帰る。「まさすけー!」「わしとしたことが・・・」

そして、いよいよ秀吉に最後の時が訪れる。栄華を極めた男の人生の締めくくりとしてはそれはいかにも寂しいものであった。太閤豊臣秀吉、享年62。

<今週の名台詞>
・三成「家康め、断じて許さぬ!」
・秀吉「ねむい・・・」三成「ねむくない!」
・家康「どれほど華やかな暮らしをしていても死ぬときは一人。諸行無常じゃのう」

<真田丸紀行>
・新日吉神社 (京都) – いまひえ神社。境内の樹下社に秀吉を慕う庶民が参拝したと伝わる。


第30回「黄昏」- 2016.7.31放送

文禄五年。秀吉の隠居所だった伏見城は大地震で倒壊。隣の木幡山に再建開始。そんな折、外国船が土佐に漂流する。再建費用が欲しかった秀吉は、外国船の積荷を接収すべくキリシタンに罪をかぶせ処刑してしまう。更には朝鮮への再出兵まで決めてしまう秀吉。数々の秀吉の所業に、大谷形部や家康らは疑念を隠し切れない。

信繁は、豊臣家と真田家への想いで板挟みとなり大いに悩んでいた。義父 大谷形部は、己の信じたこと、正しいと思う道を進め!と信繁へ強く助言する。そして信繁は兄 源三郎の元を訪れ、信念を持って秀吉の本当の病状を伝えた。

徘徊したり物忘れがひどくなる秀吉。そんな中、拾は五歳という若さで元服となり、秀頼と名乗る。家康は豊臣家が元服を急ぐのは殿下の先が短いからではと読む。

慶長三年正月、秀吉は江戸徳川の見張りとして上杉を会津へ移封。三月、伏見醍醐寺で花見を開催、しかしその後 秀吉の病状は一段と悪化。伏せがちとなり、物忘れも更に悪化、ついには源次郎のことまで忘れてしまう。やりきれない気持ちを隠しながら秀吉のそばに控える源次郎。そこへ秀吉がやってくる。「真田安房守の息子か―――」。かつて秀吉と源次郎が初めて大坂城で会ったときの様子を”再現”する秀吉。いよいよ、秀吉に最期の時が近づいていた。

<今週の名台詞>
・真田信繁「(兄と三成に挟まれ) 義を貫くとはこれほど厳しいものなのか・・・」
・石田治部「そろそろ覚悟しておいたほうが良いかも知れんな」
・大谷形部「己が正しいと思う道を進めば良い、それが真田左衛門佐の進むべき道じゃ!」

<真田丸紀行>
・醍醐寺 (京都伏見) – 秀吉が慶長3年に盛大な花見の会を催した場所。


第29回「異変」- 2016.7.24放送

後日更新予定

<今週の名台詞>

<真田丸紀行>
・西福寺 (福井県) – 大谷吉継が治めた敦賀の町。吉継ゆかりの寺。


第28回「受難」- 2016.7.17放送

後日更新予定

<今週の名台詞>

<真田丸紀行>
・妙慶寺 (秋田県) – 信繁の娘と伝わる「お田の方」ゆかりの地。亀田藩主正室。


第27回「不信」- 2016.7.10放送

後日更新予定

<今週の名台詞>

<真田丸紀行>
・櫻本坊 (さくらもとぼう) – 秀吉が吉野で大花見を開いた際に秀次が宿とした場所。


第26回「瓜売」- 2016.7.3放送

後日更新予定

<今週の名台詞>

<真田丸紀行>
・名護屋城跡 – 朝鮮出兵に向け秀吉が佐賀唐津の海沿いに築いた巨大城郭。後に破壊され巨大な石垣が残る。訪問記


第25回「別離」- 2016.6.26放送

後日更新予定

<今週の名台詞>

<真田丸紀行>
・南宗寺 (なんしゅうじ) – 若き利休が修行をした堺の禅寺。


第24回「滅亡」- 2016.6.19放送

後日更新予定

<今週の名台詞>
・北条氏政「お主らの働きぶり、あの世でしかと見物させて頂こう」
・兼続「親方様がまた勝手な約束をせぬか心配で御座る」景勝「何も約束しておらぬ!」

<真田丸紀行>
・北条氏政 氏照の墓所 – 北条降伏で切腹となった氏政と氏照の墓が小田原商店街に残る。


第23回「攻略」- 2016.6.12放送

後日更新予定

<今週の名台詞>

<真田丸紀行>
・小田原城址公園 – 関東の雄 北条氏の居城。堀と大土塁に囲まれた惣構を持つ巨大城郭だった。訪問記


第22回「裁定」- 2016.6.5放送

沼田は真田領か北条領か。秀吉の前で両者が議論を戦わせる”戦国裁判”「沼田裁定」が始まった。真田方は源次郎、北条方は板部岡江雪斎。一進一退の激論となるも本多正信(徳川方)の「北条には奪えと言っただけで譲るとは言っていない」発言で真田方有利となり結審した。「こうして我らがやりあうことで真の戦をせずに済む」江雪斎の呟きに源次郎は感心する。

勝利に喜ぶ昌幸と源次郎の元へ三成が来る。沼田を渡さねば氏政が上洛せず大戦(おおいくさ)になる、沼田は諦めてくれと昌幸に土下座。折れる昌幸、しかし咄嗟の機転で沼田の西に位置する名胡桃城の確保に成功する。沼田領のうち沼田城を含む三分の二は北条へ、名胡桃城を含む残り三分の一は真田のものとする秀吉の裁定が下る。真田方も北条方も納得できないものの、とりあえず沼田を巡る両者の争いはこれで決着した…かに見えた。

天正17年11月。北条家臣が独断で名胡桃城を攻め落とす事件が発生。怒る昌幸、焦る三成。反対する三成を一喝し、秀吉は北条征伐を決意。日本中の大名に文を出し空前の大軍勢をまとめあげた。「これより北条を成敗する!」

<今週の名台詞>
・本多正信「必死で戦うておる若者を見たら手を差し伸べてやるのが年寄りというもの」
・豊臣秀吉「大名どもに文を出せ、見たことも無い大軍で北条の度肝を抜いてやる!」
・徳川家康「終いじゃな・・・北条は」

<真田丸紀行>
・名胡桃城址 (なぐるみじょうし) – 群馬県みなかみ町。北条攻めのきっかけとなった場所。


第21回「戦端」- 2016.5.29放送

後日更新予定

<今週の名台詞>

<真田丸紀行>
・榛名神社 (群馬県沼田市) – 沼田城下にあった鎮守の社、真田信幸が改築したと伝わる。


第20回「前兆」- 2016.5.22放送

家康の意向で、こうと離縁し本多忠勝の娘 稲(いな)を正室に迎えた信幸。稲は後の小松姫である。しかし薫の計らいで前妻こうは源三郎の侍女になるという衝撃の展開に。

天正16年4月、後陽成天皇が聚楽第へ行幸。「刀狩り」が始まり、集めた刀は溶かして釘に再生して方広寺の新大仏建造に用いることに。

翌17年、茶々懐妊。大喜びの秀吉54歳。しかし何者かが聚楽第の壁に秀吉をバカにする落書きをしたことで事態は一転。門番全員処刑など怒りで暴走する秀吉。源次郎や大谷らが奔走する中、男気を出した三成が秀吉へ決死の諫言。秀吉は三成を睨みつけ切腹を命令する直前に「あんたいい加減にしときゃぁよ!」と北政所登場、茶々の援護もあって何とか収まる。

そして3ヶ月後、茶々は無事 男児を出産。一度棄てられた子はよく育つという言い伝えから「棄(すて)」と名づけられた。

<今週の名台詞>
・松「生きてさえいれば、きっと良いことが有ります」
・三成「佐吉は正気で御座います。ご乱心されているのは殿下のほうで御座います!」
・北政所「誰が何と言おうと生まれてくる子は貴方様の子、でんと構えておけば良いのです」

<真田丸紀行>
・聚楽第東壕跡 – かつて秀吉が京に築いた豪華絢爛な城郭。後陽成天皇が行幸。


第19回「恋路」- 2016.5.15放送

前回 源次郎の頼みを聞いた茶々は、見返りとして禁断の蔵へ源次郎を連れ出す。それが元で二人の噂話が広がる。怒る加藤清正。妬む片桐且元。源次郎は秀吉に根も葉もない偽り言だと断言、秀吉は源次郎を信じた。清正は九州平定のため大坂を発った。

駿府城。真田の内情を知りたい家康は本多平八郎の娘「稲」を信幸に嫁がせる(間者)ことを思いつく。突然の話に混乱する平八郎と稲、しかし殿のためと了承。昌幸と信幸も反対するが押し切られ、婚約させられてしまう。

秀吉の新しい拠点、聚楽第(じゅらくてい)が完成。そのお披露目の場で、茶々は口を滑らせ源次郎との蔵の件がバレてしまう。源次郎は即座に謝罪、弁明。秀吉は源次郎よりも、その場で茶々を本気で口説き始める。その必死さが伝わったのか、茶々はずっと拒んできた側室になることを受け入れ、源次郎は秀吉の元へ戻ることになった。

茶々を側室に迎えることは信長公を飲み込んで超えると言うこと。この先、殿下はどこへ向かわれるのか…と呟く石田三成。このときが秀吉政権が崩壊へ向かう最初の一歩であった。

<今週の名台詞>
・秀吉「茶々には、この世を去る時に日ノ本一の幸せなオナゴでしたと言って欲しいのだ。このワシが言わせてみせる!」
・茶々「あなた(源次郎)はいつかまた戻ってくる。そして私たちは同じ日に死ぬの…」
・源次郎「…遠い先であることを祈っております」

<真田丸紀行>
・岡崎公園(岡崎城跡) – 徳川の城。本多平八郎忠勝の銅像がある。


第18回「上洛」- 2016.5.8放送

遂に昌幸は上洛を決意。「しかし頭は下げても心は渡さん」

天正15年2月、昌幸一行は大坂に到着。しかし待遇は悪く、甥の秀次が名代で会う始末。昌幸らは怒り心頭。源次郎は茶々を通じて秀吉に会い決死の説得。「源次郎、わしを恫喝するのか?」「恫喝しております!」秀吉ニヤリ。

翌日。秀吉は昌幸らと会うことに。献上した猪の毛皮を羽織って登場。誰よりもそなたを家臣にしたいと思うておったぞ等々、昌幸を褒めちぎる秀吉。しかし最後に真田は徳川の与力とすると通達。昌幸衝撃。「秀吉の家来となった徳川のそのまた家来。わしはどこで間違ったのか」と嘆く昌幸に「父上は大名となり領地を守ったのです!」と励ます息子たち。

一方 全てを忘れて旅の踊り子になっていた松は、昌幸らと会い、あっさり記憶を取り戻す。

そして昌幸は駿府城を訪れ、家康に与力となることを誓った。宿敵真田が与力となり、笑いが止まらない家康だった。

<今週の名台詞>
・源次郎「(関白殿下は) お調子者にも見えますがその奥に深さと恐ろしさを見ました」
・出浦「何ならワシが明智光秀になっても構わんぞ」
・昌幸「辛いことがあればその分良いこともある。世の中よう出来とるわい」

<真田丸紀行>
・駿府城跡 – 家康居城。秀吉に徳川与力を命じられた昌幸は駿府城にて家康と面会。訪問記


第17回「再会」- 2016.5.1放送

(後日更新予定)

<今週の名台詞>
・秀吉「安心せい。真田はワシが守ってやる。」
・家康「(秀吉の) 底意地の悪さを見たわ!!」
・昌幸「秀吉という男、家康よりも二枚も三枚も上と見た。」

<真田丸紀行>
・豊國神社(愛知県名古屋市) – 秀吉の母なか の出身地に近い場所にある、秀吉を祀る神社。


第16回「表裏」- 2016.4.24放送

(後日更新予定)

<今週の名台詞>

<真田丸紀行>
・妙延寺 (愛知県津島市) – 加藤清正が幼いころ過ごしたと伝わる場所。


第15回「秀吉」- 2016.4.17放送

上田城。秀吉からの上洛要請に「うざいやつじゃ」と様子見の昌幸。昌幸は秀吉の器を計りかねており、源次郎の報告を待つという。皆が源次郎に期待していて意気消沈の源三郎。しかし昌幸は、乱世が落ち着き国を立て直す時こそが源三郎の出番だと感じていた。

大坂城。とっさの機転力や聡明さで秀吉に気に入られる源次郎。以前は冷たかった三成も徐々に心を開いていく。三成の計らいで大谷吉継と知り合う。

6月14日。上杉景勝が関白秀吉に拝謁。領土安堵と官位の見返りとして、真田に味方するなと警告される。上洛しない昌幸に秀吉は怒っていた。秀吉は景勝の真意を読むべく茶室へ誘う。利休が茶を点てる。景勝は複雑な表情をしながら茶を飲む。上杉殿は心乱れていたがやがて踏ん切りがついたようだ、間違いなく殿下に従うとの利休の読みに、秀吉ニヤリ。

源次郎は自由奔放な太閤秀吉を「あんな人は見たことがない」と驚くばかりだったが、時折秀吉が見せる鋭く厳しい眼光に薄々と気付いていた。

<今週の名台詞>
・昌幸「荒れ果てた土地を再び耕し、国を立て直す。その時こそ源三郎の出番じゃ」
・千利休「知らぬ同士の膝を突き合わせたらまた新しいものが見えてくることも御座います」
・上杉景勝「ワシにとってはこれまでの生涯で一番苦い茶であった」

<真田丸紀行>
・小谷城跡 – 茶々の父 浅井長政の居城。織田家臣時の秀吉が攻め滅ぼした。訪問記


第14回「大坂」- 2016.4.10放送

(後日更新予定)

<今週の名台詞>
・景勝殿→源次郎
・源次郎→石川数正
・源三郎→昌幸

<真田丸紀行>
・大阪城公園 – 秀吉が築いた巨大城跡。現在の城跡は豊臣家滅亡後に家康が築いた。訪問記


第13回「決戦」- 2016.4.3放送

天正13年8月。徳川勢7000は神川を挟んで陣を敷いた。総大将は鳥居元忠。

上田城。昌幸は徳川の大軍を巨大な餅に例え、細く長く伸ばせば僅かな兵でも大軍を切り崩せる、と実際に餅を千切りながら家臣に説明。しかしどうしても布陣に駒が一つ足りない。そこへ越後から源次郎が帰着、昌幸「勝った!」。源次郎、源三郎、出浦、作兵衛をも巻き込んだ綿密な策が完成した。

お梅は家紋に倣って六枚の銭を紐で結んだ「六文銭お守り」を源次郎のために手作り。源次郎「悔いの無いよう心置きなく戦えということ」。

夜が明けた。昌幸「はじめるか…」佐助が源次郎へ伝令、作戦が始まる。狙い通り、徳川勢は源次郎の煽りで大手門まで誘いこまれ、昌幸本体の一斉攻撃で総崩れ、撤退中にも源三郎らの追撃を受け壊滅。徳川勢の死者は1300、一方 真田勢の死者は50人に満たなかったという。

大勝利に喜ぶ源次郎たち。しかし作兵衛らの隠れ場所だった山寺が襲われていた事を知り、源次郎は寺へ急行する。寺は壊滅。作兵衛は何とか生き残っていたが、裏庭でお梅が倒れていた。泣き崩れる源次郎と作兵衛。きりはすえを抱きかかえ「お梅ちゃん…私が育てます…この子は私が…」と涙ながらお梅に約束するのだった。

<今週の名台詞>
・ばば様「負け戦の時は戦う前から負け戦の匂いがする。今は香の匂いしかしない」
・昌幸「(徳川とは) 長い戦いになるかもしれんな」

<真田丸紀行>
・月窓寺 (長野県上田市) – 第一次上田合戦で焼失、信繁が後に再建した寺。


第12回「人質」- 2016.3.27放送

室賀を討ち果たした昌幸は信州小県を平定。徳川との長い戦いの始まりでもあった。

昌幸は徳川に対抗するには上杉の力が必要だと、上杉へしつこく文を出す。景勝は条件として人質に源次郎を要求。昌幸はしぶしぶ了承、源次郎は人質として春日山城へ向かった。

春日山城。景勝は源次郎の自信に溢れた姿を見てもう一度会いたかったと名指しの理由を説明、源次郎は人質ながら客人として迎え入れられた。そして領内で頻発する民の争いを「親譲りの策士ぶり」で見事解決。景勝「お主には大事なことを教わった」。冷静沈着だった直江兼続とも徐々に心が通じ、遂に上杉は真田との同盟を決定、沼田と小県を真田領として認められた。昌幸「これをもって真田は徳川と縁を切る!」

上田城。お梅が遂に出産、源次郎の長女「すえ」が生まれた。

天正13年8月。真田から縁を切られ激おこプンプン丸の家康は、上田城へ向け進軍開始。徳川7000、真田2000。昌幸「策は考えたが駒が足りん!」上杉では援軍として急遽100名の兵を用意。真田の行く末がかかるこの戦に加わりたい、と急ぎ信州へ戻る源次郎。徳川との決戦は目の前に迫っていた。

<今週の名台詞>
・上杉景勝「民の心をつかまなくて、何が国造りじゃ」
・上杉景勝「死に様は行き方を映す鏡。己に恥じぬよう生きるのみ」
・上杉景勝「源次郎、お主のような子が欲しかった。安房守は果報者じゃ」

<真田丸紀行>
・春日山城 – 越後上杉家 本城。信繁は人質として春日山城へ。


第11回「祝言」- 2016.3.20放送

家康は浜松城に室賀を呼び、昌幸暗殺をそそのかす。すっかりその気になる室賀。

源次郎はお梅との結婚を家族へ伝える。父、兄、ばば様は大喜び、母はお梅の家柄を気にして反対。しかし昌幸に説得されしぶしぶ了承した。

上田城が完成した。室賀が落成祝いと称してやってきた。怪しむ昌幸らは探りを入れる。信幸「室賀殿は近頃浜松へ行かれたようだが〜」、室賀「浜松などこの十年行ったことがないわ!」(「黙れこわっぱ!」は無し)。疑惑が確信に変わる。狙いは昌幸の暗殺か。出浦は源次郎の祝言の場で室賀を暗殺する策を立案。祝言を血で汚すおつもりかと信幸は反対したが、昌幸は実行を決意。信幸は「せめて源次郎には何も知らせずに」としか言えなかった。

祝言が始まる。昌幸は室賀を別室へ誘い出す。昌幸「わしを殺しに来たのだろう。お前の負けじゃ。わしの家来になれば許す」。室賀は懐の小刀を昌幸へ差し出し「お主の家来にはならん!」と足に隠した寸鉄を昌幸に振りかざす。出浦が牽制し、怯んだところを信幸が「御免!」と斬り捨てた。騒ぎで駆けつけた源次郎・お梅は呆然。怒り泣き叫ぶきり。

失意の中の源次郎。兄 信幸は「それでも前に進むしか無いのだ、今の我らは。」と諭すしか無かった。

<真田丸紀行>
・上田城跡公園 – 遂に完成した真田の本城。徳川に造らせ徳川を迎え撃つ。訪問記


第10回「妙手」- 2016.3.13放送

家康は昌幸を浜松へ呼び出す。昌幸「強気で行く」名代 信幸は海士淵(あまがふち)の上田平に真田の新城を要求。家康は代わりに沼田割譲を迫る。人質(とり)返還もあり昌幸は沼田を諦めるも、沼田城代 矢沢頼綱は断固反対。北条は沼田城を攻撃する。

昌幸は収束には上杉の力が必要と、信繁を春日山城へ。先の裏切りで上杉方は激怒。信繁はひるまず、真田の領地を勝手に分けた徳川は許せないと、上杉が真田を倒して北条を攻めると思わせる「戦芝居」作戦を提案。景勝は存外に面白い若造だと信繁を評価しており、反対を押し切って策に乗る。作戦は成功、北条は沼田城から兵を引いた。

信繁はお梅に作戦の成功を伝える。何とお梅は信繁の子を身籠っていた(!)。信繁「そなたは無くてはならぬ人だ」と求婚。お梅 涙で応諾。作兵衛も「めでたい!」と男泣き。

その頃、家康は密かに室賀を呼び出した。真田家に忍び寄る危機を信繁らはまだ知らない。

<今週の名台詞>
・真田信幸「じゃがではござらん!!!」
・真田昌幸「知恵を働かせよ源次郎、お前に任せた!」
・上杉景勝「試してみようではないか、あの男に誠があるかどうか」

<真田丸紀行>
・浜松城公園 – 当時の徳川家康の居城、出世城。超カッコいい若き家康銅像。


第9回「駆引」- 2016.3.6放送

昌幸は信濃を国衆寄合で統治しようと画策する。室賀はフザケた案と一蹴するも「だが実に面白い!お主の考えに初めて乗るわ!」と笑顔で賛同、積極的に動き始める。しかし昌幸は、出浦の男気ある説得により国衆寄合は諦め自ら大名となることを決意する。出浦は昌幸の一大決心に応え、その場で真田家臣となった。

その頃 源次郎は春日信達の一件で昌幸や策に不信を抱いていたが、お梅の一言で気付きを得る。どれだけ兵を死なせずに勝つか、策とはそのために使うものだ。お梅との仲も急接近。きり のイライラも急上昇。

窮地の徳川は真田に接近、昌幸は沼田領などを要求、家康は全て認めてしまう。このときの沼田領安堵が後に昌幸と家康の間で亀裂を生むことになる。徳川に付いた昌幸は北条と縁を切り、早速北条攻めの軍議を開催。策とは何かに気付いた源次郎は補給路を断つ作戦を提案、採用され大成功を収める。勝利に祝杯を上げる昌幸ら親子の元へ、北条が徳川と突如和睦した報せが届く。昌幸呆然。「真田の立場はどうなるのじゃ〜」

<今週の名台詞>
・お梅「大事なのは人の命を出来るだけ損なわないこと」
・出浦昌相「真田昌幸、腹をくくれ!」
・室賀正武「黙れ!こわっぱ!」(四度目)

<真田丸紀行>
・前松寺 (長野県上田市上室賀) – 室賀氏ゆかりの寺社。室賀氏の墓がある。


第8回「調略」- 2016.2.28放送

北条軍2万は信濃へ進軍。続々と北条へ付く国衆。昌幸は春日信達の調略を待つも、待ちきれず小諸城で北条氏直(超尊大な若殿)に謁見、北条へ付く。

海津城。信繁は叔父信尹と共に春日の調略を試みるも中々応じない。7月14日 北条軍3万と上杉軍7千が遂に対峙する。ここで信繁らは武田の無念をテーマに熱弁し春日調略に成功。喜ぶ信繁、しかし信尹は何と春日を暗殺し裏切者に見立て景勝に報告してしまう。信繁呆然。その後上杉は撤退、北条は徳川攻めに転向し甲斐へ。信濃から全ての大名が撤退した。全ては昌幸と信尹の策略だった。信尹を慕い叔父のようになりたいと常日頃口にしていた信繁に、信尹「わしのようにはなるな」。その意味を悟った信繁、二人に大きな恐怖を感じる。

真田の郷。「北条も去り上杉も引いた、徳川も織田も居らん。この時を待っていた。信濃は国衆が治める。我らだけの国を作るのだ!」昌幸は国衆による独立国家を思い描いていた。一方 甲斐で北条と戦う羽目になった家康は、すべて真田の策かと疑っていた。

<今週の名台詞>
・真田信尹「人は理屈で固められると心を閉ざす。焦りは禁物」
・上杉景勝「つくづく人の心は分からぬものだな」
・北条氏政「食べる分だけ汁を掛ける わしの食べ方じゃ」

<真田丸紀行>
・松代城跡 (旧海津城) – 旧武田家臣 春日信達が城代だった。訪問記


第7回「奪回」- 2016.2.21放送

天正10年6月18日。滝川一益は上野で北条軍と戦い敗走、人質を連れ自国(伊勢)へ戻ることに。昌幸はこの隙に沼田・岩櫃を攻め奪い返す。更に人質奪還のため信繁を小諸城へ送る。しかし信繁は失敗、捕えられる。落ち込む信繁に”とり”(ばばさま)は「大事なのは思うように行かぬ時に如何に振る舞うか、望みを捨てねば道は開ける」と諭す。そしてその通り、一益から人質を移管した木曽義昌と”とり”が旧知だった奇跡により信繁は解放された。

真田の郷に戻った信繁に昌幸は叱るも「お前は面白い、面白く無くては人は動かん。間違いは少ないが糞真面目で面白くない源三郎(信幸)と、過ちを犯すが面白い源次郎(信繁)、二つで一つじゃ」と諭す。そして、海津城の上杉家臣 春日信達の調略を命じた。昌幸は上杉景勝と会い臣従を誓ったばかりだったが「上杉に力は無い」と見切り、北条につくことを決意、春日を北条への手土産にするという。新たな任務を与えられ、やる気を取り戻す信繁。

上杉・北条を股にかけた真田の大勝負が始まった。

<今週の名台詞>
・とり「思うように行かぬのがこの世。大事なのは思うように行かぬ時に如何に振る舞うか」
・昌幸「面白くなくては人は動かん」

<真田丸紀行>
・小諸城址 懐古園 – 滝川一益が清州会議への道中に立ち寄った城。訪問記


第6回「迷走」- 2016.2.14放送

本能寺の変から2日。信繁らは安土脱出を図るも明智兵に見つかり松が海へ転落。茂誠号泣。信繁らは何とか真田の郷へ帰還する。松は記憶を失って生き延びていた。

昌幸は滝川に付くことを決め、滝川に明智討伐をそそのかす。その気になる滝川。とり(ばばさま)が人質として沼田城へ。国衆は室賀の主導で北条方となる。北条は滝川に上野は攻めないと約束するも「敵を油断させるのも立派な兵法」と裏切る気マンマン。そこに羽柴秀吉が明智討伐に成功した報が届く。滝川の(天下人の)目は消えたと嘆く昌幸。そして北条が上野へ進軍開始。孤立無援で焦る滝川。

迷う昌幸。信繁は父に「領主が変わっても信濃の山々はいつも静かにそこにある。信濃に生まれたこと、父上の子に生まれたことを誇りに思う」。昌幸「よき息子じゃ…」と感極まる。そして「これより真田は誰の下にも付かん。どんな手を使ってもワシは真田とこの地を守りぬく」と大決心。大博打の始まりじゃ!

<今週の名台詞>
・信尹「起こるはずの無いことが起きてしまうのが戦国の世」
・出浦「我ら透破(すっぱ)は戦では死なぬ、死ぬのは信用を失ったとき」
・室賀「黙れ!こわっぱ!」(三度目)

<真田丸紀行>
・沼田城址 – 真田氏と後北条氏が争った因縁の城。


第5回「窮地」- 2016.2.7放送

天正10年6月2日。日本全国に覇権を轟かせた織田親子が、突然消えた。

家康は堺に居た。危険だが最短で意表を突いた伊賀越えで畿内脱出を図る。伊賀出身の服部半蔵が先導、ほうほうの体で脱出に成功「死ぬかとおもたー」。一方「お主と心中など出来るか」と手の平返しで離脱した穴山梅雪はあえなく落命。

昌幸は上田に居た。事変の報。ちきしょー!せっかく頭まで下げてようやっと落ち着けると思ったのに、なんで死んでしまうかのー信長!と激怒。今後の方針も「まったくわからん!」と大混乱。しかしすぐいつもの昌幸節に。国衆会議。楯突きまくる室賀、信幸が喋ると「黙れ!こわっぱ!」(二度目) と恫喝。昌幸は織田を見限り上杉に付くと表明するも、上杉に断られる。厩橋城の滝川一益と会う。比類なき力で戦の無い世にするという信長の理想を知る。だがその比類なき力はもう無い。

信繁は安土に居た。何かが起きた。情報収集で京へ。焼け落ちた本能寺。謀反。しまった!安土が危ない!急ぎ引き返す。屋敷はボロボロ、松は城に連行。混乱に乗じて城へ忍び込む。あっさり潜入、あっさり松と再会、あっさり抜け穴発見、あっさり脱出成功。

本能寺の変から2日。歴史はゆっくりと、しかし着実に動き出している。

<今週の名台詞>
・上杉景勝「弱きを助け、強きをくじくのが、当家の家風。」
・室賀「黙れ!こわっぱ!」(二度目)

<真田丸紀行>
・厩橋城址(前橋公園) – 織田軍 関東方面軍 滝川一益の所領。


第4回「挑戦」- 2016.1.31放送

天正10年3月20日 法華寺。信長への謁見を前に「これも一つの戦。父の戦いぶりをしかと目に焼き付けておけ」。待ち時間に家康と対面。かつて”三方ヶ原”で武田の武将 武藤喜兵衛 (むとうきへい) に手を焼いたと話す家康。昌幸しれっと「存じませんなあ」実はかつての昌幸の名だった(伏線)。

織田信忠と対面。上杉宛の書状を詰問されるも「乱世を生き抜くための方便」と平然と説明。ぐうの音も出ない信忠。家康が横槍「己を高く売るための偽の書状では?上杉に確かめましょう」昌幸動じず「確かめるがよろしい」「嘘と分かれば許されませんぞ」「偽りなら腹を切りましょう」睨み合う家康と昌幸。「…拙者の読み違えのようで」家康引く。信忠退席。「流石は勇名を馳せた”武藤喜兵衛”殿、肝が座っておられる」と家康ニヤリ。ふたりの策士の凄まじいやり取りに終始圧倒される信繁だった。そして革靴の足音。背後より信長が現れる。昌幸を見て「真田安房守か… 良き面構えじゃ」。臣従が認められた。信繁「信長様は静かだが眼光はまるで龍」。

真田家は沼田城と岩櫃城を滝川一益へ譲り、松を人質として安土へ。「城を差し出し 人質を取られ、力が無いということはこれほど惨めなことか」

6月1日 信繁率いる人質一行 (松と小者に変装した夫の茂誠) は安土へ到着。巨大な安土城。セミナリヨ。信繁「新しい世が始まる、織田信長という男やはり面白い!」

その夜。桔梗紋がたなびく。敵は本能寺にあり! 天下統一を目前に織田信長は、死んだ。

<今週の名台詞>
・織田信長「真田安房守か、良き面構えじゃ。」
・真田信繁「織田信長という男、やはり、面白い!」

<真田丸紀行>
・法華寺 – 甲州攻めの際の信長本陣、劇中で昌幸が信長に臣従を誓った場所。


第3回「策略」- 2016.1.24放送

信州上田「真田の郷」に戻る昌幸たち。のるかそるかは当家の家風と、昌幸弟 真田信尹(のぶただ)、叔父 矢沢頼綱も織田転向に賛同。しかし問題は国衆(くにしゅう)にあった。真田の居る小県郡(ちいさがたぐん)は多くの国衆が割拠していた。国衆会議では室賀(むろが)氏が真田に楯突き話がまとまらない。そこで昌幸は、室賀氏を利用してニセ密書(上杉が真田を買っている内容)を信長へわざとリークさせ、結果的に信長が真田に興味を持たせる作戦を実行。作戦は成功し、信長から参上せよと書状が届く。一方 信幸は作戦を知らされずただ利用される形となり、夜一人涙を流して悔しがる。

その間、真田の郷では信繁・きり(高梨内記の娘)・お梅(堀田作兵衛の妹)の恋模様や、松の夫の「気付かない男」小山田茂誠(しげまさ)が松の元へ逃げ戻り匿われるなどしていた。家康は高遠城で武田旧家臣の心を掴む作戦に。

昌幸と信繁は、信長の待つ諏訪へ出発。のるかそるかの大勝負が始まる。

<今週の名台詞>
・真田信繁「残りの生涯を懸けて罪を償うのが誠のケジメではありませぬか!」
・室賀正武「黙れ!こわっぱ!」

<真田丸紀行>
・真田氏本城跡 – 真田信繁の祖父が築城した真田家の旧本城


第2回「決断」- 2016.1.17放送

真田の居城 岩櫃城を目指す信繁一行。野盗に襲われたり百姓に化けたりの珍道中。更に小山田信茂の罠に掛かりピンチになるも、父昌幸に助けられ、無事 岩櫃城へ帰着した。

甲州 田野村。勝頼は織田軍に追い詰められていた。味方は僅か40人。父上申し訳ございませぬ、と勝頼自刃。享年37、父信玄を越えることだけを夢見てきた人生だった。

家康は、武田より寝返った穴山梅雪と面会。信玄の娘婿でありながら武田を裏切った薄汚い男、我が家臣からはあのような者を出さぬようにしたいと呟く家康に、重臣 石川数正は「徳川家は一心同体、心配御無用」と応える(伏線)。

甲斐善光寺。敵将 織田信忠に謁見する小山田信茂。身命を賭して信長公にお仕え〜と平伏する信茂に対して信忠は「不忠者」と打首処分に。

岩櫃城。昌幸は息子らを前に真田家の進む方向を語る。「乱世ここに極まれり。策を誤ると真田は滅びる。道は二つ、北の上杉に付くか、東の北条か」耳を傾ける息子たち。昌幸はコヨリを2つ取り出す。「赤が上杉。黒が北条。信幸どちらか選べ」動揺しまくる信幸「このようなことをクジで決めて良いのですか?」「ワシはもう八百万の神に託したのだ。ほれ!」覚悟を決めた信幸がいざ引こうとすると、強く握って引かせない昌幸。訝しむ信幸に、昌幸ボソッと「このような大事なことをクジで決めて良いものか…」「えーっ!」。信繁が意見を話しだす「上杉、北条、どの道を選ぼうと織田の脅威からは逃れられません」。ハタと目を見開く昌幸「ワシは決めたぞ!」クジをバーンと投げ捨て「上杉北条どちらにも付かん。織田も迎え撃たん。真田は… 織田に付くことにする!信長に会うてくるぞー!」余りの展開にポカーンとする信繁らだった。

<今週の名台詞>
・本多正信「勝頼は愚鈍な男では無かった。何が一体 人を滅ぼすのか」

<真田丸紀行>
・岩櫃城跡 – 真田昌幸公の居城。


第1回「船出」- 2016.1.10放送

物見に出掛けて足を滑らせ敵に見つかり、馬を奪って逃亡する若き武者。彼が33年後の大坂夏の陣にて日ノ本一の兵 (ひのもといちのつわもの) と謳われる真田源次郎信繁 (さなだ げんじろう のぶしげ) である。

天正十年二月。真田家が仕える武田家は、家臣の裏切りが続出していた。木曽義昌、穴山梅雪ら重臣の裏切りで窮地に立たされた武田家。真田安房守昌幸 (さなだ あわのかみ まさゆき) は未完成の本拠地 新府城 (しんぷじょう) を捨て、北信濃の堅固な真田の居城 岩櫃城 (いわびつじょう) への撤退を主君勝頼へ進言。勝頼は昌幸を信用し一旦了承するも、小山田信茂の諫言により行き先を甲斐国内の岩殿城 (いわどのじょう) へ変更してしまう。驚き嘆く信繁に、兄の真田源三郎信幸 (さなだ げんざぶろう のぶゆき) は「御屋形様は信玄公の御威光と武田家の名誉を守ることを選んだのだ」と諭す。

三月三日。新府城を焼き払い、勝頼らは岩殿城へ出立。道中では離反者が続出、岩殿へ導いた小山田自身までも裏切ってしまう。門を閉じられ、追い返される勝頼。甲斐の名門 武田家の命運が尽きようとしていた。

一方、真田一家は岩櫃城へ。真田家 波乱万丈の船出であった。

<真田丸紀行>
・上田城跡公園 – 後の真田氏居城。訪問記
・新府城跡 – 武田氏 最後の居城(未完成)。訪問記
・大阪城公園 – 豊臣氏 最後の居城。訪問記


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