関ヶ原古戦場 [5/5] 平地に陣を構えた東軍諸将たちの陣地跡めぐり。

関ヶ原古戦場 訪問記 其の五。

[前回までの訪問記 概要]
JR関ヶ原駅から反時計回りに関ヶ原古戦場の古蹟めぐり。徳川家康陣地跡・岡山烽火場を経て、三成陣地、島津、宇喜多、大谷、小早川と西軍(一部裏切者含む)陣地を巡り、いよいよ東軍主力部隊の陣地跡へ。

訪問時期:2013年10月・2014年10月
関ヶ原古戦場 訪問記 − 其の一

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関ヶ原古戦場 [4/5] 豊臣一族ながら家康に味方した小早川秀秋の陣跡・松尾山へ。

関ヶ原古戦場 訪問記 其の四。

[前回までの訪問記 概要]
関ヶ原古戦場跡に散在する東西陣営の陣跡めぐり。資料館でレンタサイクルを借り、徳川家康最後陣地から反時計回りに一帯を散策。黒田長政・竹中重門の岡山烽火場から、三成陣所、島津陣所、宇喜多陣所、そして大谷吉継陣所と墓へ。其の四では、15000もの大軍で合戦中に西軍を裏切り襲いかかった小早川秀秋の陣所が残る松尾山に登ります。

訪問時期:2013年10月・2014年10月
関ヶ原古戦場 訪問記 − 其の一

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関ヶ原古戦場 [3/5] 敵方の藤堂家により建立された大谷吉継の墓所へ。

関ヶ原古戦場 訪問記 其の三。

[前回までの訪問記 概要]
JR関ヶ原駅から反時計回りに史跡散策。徳川家康最後陣地から岡山烽火場、決戦地、三成陣跡、そして敵中突破の島津義弘陣跡へ。其の三では宇喜多秀家、大谷刑部らが陣を構えた山間部へ。

訪問時期:2013年10月、2014年10月
関ヶ原古戦場 訪問記 − 其の一

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関ヶ原古戦場 [2/5] 東軍を防ぐ堅固な竹矢来が再現された三成陣跡へ。

関ヶ原古戦場 訪問記 其の二。

[前回までの訪問記 概要]
JR関ヶ原駅より散策開始。まずは北上、資料館でレンタサイクルを借りて、徳川家康最後陣地跡 (床机場) を経て、岡山烽火場、三成本陣前に建つ決戦地へ。其の二では三成本陣から島津、小西といった西軍諸将の陣跡を見て回る。

訪問時期:2013年10月、2014年10月
関ヶ原古戦場 訪問記 − 其の一

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関ヶ原古戦場 [1/5] “天下分け目の大戦” 東西諸将の陣跡めぐり。

関ヶ原古戦場は、秀吉亡き後の豊臣政権内衝突に端を発し国内を二分する全国規模の大戦(おおいくさ)の主戦場となった場所。日本全国各地でそれぞれに属する大名同士の戦いが同時勃発した中、最終決戦として総大将が率いる大軍同士の戦いとなったのが関ヶ原古戦場。関ヶ原一帯に東西両軍として全国より集結した有力大名らの陣跡が残るほか、戦死した大名の墓や碑、決戦地や開戦地、首塚など多数の史跡があり、国指定史跡となっている。

[関ヶ原合戦 概要]
豊臣政権の後期、政権は有力大名らで構成する「五大老」と有力重臣らで構成する「五奉行」らの合議制が取られていた。しかし政権内部は五大老筆頭の家康とその他の大老・奉行らの対立へと発展、秀吉死後には家康は三成から奉行の職を奪い居城(近江佐和山城)へと追いやる。更に大老の一人・上杉家が上洛を先延ばししたことに端を発して徳川を筆頭とした諸大名らによる上杉征伐を決定。慶長五年(1600年)6月16日、大坂城に居た家康が会津に向け出陣。その隙に石田三成や宇喜多秀家ら文治派は毛利輝元を大将に打倒徳川で挙兵(7月1日)。全国の大名らは徳川方・石田方(毛利方)のどちらに付くか決断を迫られた。それぞれの地で徳川方と石田方の大名らが互いの城攻めを開始。7月25日、家康は上杉征伐を中止し三成迎撃のため軍を西へ向かわせ自らは江戸城へ戻る。9月1日、家康は江戸を発ち大坂を目指す。9月14日 三成は大垣城、家康は大垣城を包囲する位置にある本陣へ。やがて両軍は西の関が原へ移動し、野戦決戦に向け陣地を築き始める。翌9月15日午前8時頃、東軍(井伊隊・福島隊)による西軍(宇喜多隊)への発砲を機に開戦。東軍の攻撃に西軍は持ちこたえるも、正午頃に発生したとされる松尾山の小早川隊の裏切り(西軍→東軍)を皮切りに脇坂隊ら他の諸将も東軍へ寝返り、西軍は壊滅。午後2時頃には勝敗が決し三成始め西軍諸将らは西へ逃亡、大谷刑部や島津豊久らは討死した。総大将の三成は後日捕縛され、大坂引回しの上 京都で斬首された。この後大坂城へ入った徳川家康は論功行賞を行い、味方した東軍大名らの多くを加増、敵対した西軍大名らの多くを切腹や改易に追い込み、更に自らの領土を大拡大。自ら徳川政権の基盤を確立した。

<基本データ>
●名称: 関ヶ原古戦場 (Wikipedia)
●所在: 岐阜県不破郡関ケ原町 (地図)
●対戦: 徳川軍(東軍) vs 石田軍(西軍)
●発生: 慶長五年(1600)
●遺構: 陣跡、墓碑、首塚 等

訪問時期:2013年10月、2014年10月
関ヶ原古戦場 訪問記 − 其の一

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