松ヶ嶽城 [1/2] 奈良時代建立の古刹 竹林寺の支峰に築かれた中世山城。

松ヶ嶽城は東広島の山中深くに築かれた中世の山城で、現在 竹林寺が建つ標高450mの篁山の支峰山頂にある。地誌によると南北朝期から室町期にかけて地頭 入野氏の居城とされ、険しい山中に堀切や急峻な切岸に守られた階段状の削平地が造られている。曲輪の周囲法面にはわずかに石積跡が残り、山頂には石積井戸も残る。

<基本データ>
●名称:松ヶ嶽城 (まつがたけじょう)
●所在:広島県東広島市河内町 (地図)
●城主:入野民部少輔貞景
●築城:南北朝〜室町初期
●遺構:堀切、土塁、切岸、土橋、石積、井戸跡

訪問時期:2018年4月

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御薗宇城:高い土塁に囲まれた安芸国人領主の城館跡。

御薗宇城(みそのうじょう)は、安芸国の有力国人領主・平賀氏の居城(居館)跡で、小山の上の平場を高い土塁で囲んだ、甲賀地域でよく見られるような居住性と防御性を兼ね備えた館城であったようだ。室町時代に一時期 安芸国の守護となった山名氏から1403年に攻撃されているが、3年もの間耐え、撃退したという。1300年頃から1500年頃まで平賀氏の本拠地として維持されていたが、その後 より山城化した白山城へ本拠を移したと言われる。

<基本データ>
●名称:御薗宇城 (Wikipedia)
●所在:広島県東広島市高屋町 (地図)
●城主:平賀氏
●築城:弘安年間 (1278-1287)
●遺構:曲輪、土塁、竪堀、石垣?

訪問時期:2018年4月

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鏡山城 [2/2] 巨石に守られた御殿場(1郭)へ。

鏡山城 訪問記 其の二。

[前回までの訪問記 概要]
広島大学 東広島キャンパスの横にある鏡山公園へ。湖の奥にある山頂が鏡山城跡だ。城内はハイキングコースとして整備されており、登りやすい山道をあがって山上を目指す。土橋や堀切が見どころ。井戸のある急峻な切岸の上に造られた5郭、大手門跡とされる4郭へ。其の二では主郭および北の畝状竪堀群を見に行きます。

訪問時期:2018年4月
鏡山城 訪問記 − 其の一

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鏡山城 [1/2] 西国の守護大名 大内氏の拠点だった巨大山城。

鏡山城は室町時代に瀬戸内西部の守護大名だった大内氏の拠点で、一時は六カ国もの守護を務めた。鏡山城は安芸国支配の拠点として築かれ、細川氏や尼子氏との争いの場となった。1523年の鏡山城の戦いでは尼子氏に従っていた毛利元就が鏡山城を攻め落としている。2年後に大内氏は鏡山城を奪還するも、拠点はより急峻な杣城に移され、鏡山城は廃城になったとされる。現在、一帯は鏡山公園として整備され、西には広島大学キャンパスがある。城内には巨大な切岸や堀切、土橋などに加え、多数の井戸や畝状竪堀群も明瞭に残る。

<基本データ>
●名称:鏡山城 (Wikipedia)
●所在:広島県東広島市鏡山 (地図)
●城主:大内氏、尼子氏
●築城:南北朝後半〜室町前期
●遺構:畝状竪堀群、堀切、土塁、切岸、土橋、井戸

訪問時期:2018年4月
鏡山城 訪問記 − 其の一

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山手銀山城:明瞭な畝状竪堀群や石垣が残る杉原氏の山城。

山手銀山城は戦国期の備後国人領主・杉原氏が築いた中世山城で、畝状竪堀群や石積みなどが良好に残っていることが特徴である。杉原氏は神辺城を中心に南備後でかなりの力を持つに至ったが、天正期に毛利氏により滅ぼされてしまう。銀山城はその頃に廃止になったようだ。現地に説明板や登山口などの案内は一切なく、林道から直接 斜面を上がる形の登城となる。

<基本データ>
●名称:山手銀山城 (やまてぎんざんじょう)
●所在:福山市山手町杢原 (地図)
●城主:杉原氏
●築城:14〜15世紀?
●遺構:畝状竪堀群、石積み、虎口、土塁

訪問時期:2018年4月

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相方城 [2/2] 主郭の東西および南面に美しく積み上げられた高石垣をじっくり見る。

相方城 訪問記 其の二。

[前回までの訪問記 概要]
山頂の両郭群の間にある駐車場から散策スタート。石垣で囲われた単純な構造の西曲輪を見た後、大竪堀を越えて主郭へ。主郭の手前には竪堀からそびえるように築かれた石垣造りの小曲輪があり、そこを経由して主郭の高石垣上へあがる構造だったようだ。其の二では主郭の東側を散策する。

訪問時期:2018年4月
相方城 訪問記 − 其の一

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相方城 [1/2] 細長い山頂に所狭しと高石垣が築かれた国人領主の山城。

相方城(さがたじょう)は備後国(広島県福山市)の国人領主・宮氏やその一族の有地氏らによって築かれた山城で、急峻な山頂にも関わらず総石垣の曲輪を持つ堅固な近世山城である。有地氏は領地替えにより天正末期頃(1591年頃)に当地を去り、後は関ヶ原後に毛利氏が備後から撤退するまで毛利氏の統治下だったとされる。毛利氏の撤退により相方城も廃城となった。標高200mほどの山頂に巨大な堀切で分断した東西の曲輪群が築かれ、東側郭群には最大5mほどの高石垣が多数残る。周辺の山城には同様の石垣造りは無く、これが毛利氏の改修によるものか、有地氏時代のものかは不明。主郭跡にはテレビ塔が建ち、東西郭群の分岐点あたりまで車で上がることが出来る。

<基本データ>
●名称:相方城 (Wikipedia)
●所在:広島県福山市新市町大字相方 (地図)
●城主:宮氏・有地氏・毛利氏
●築城:16世紀初頭か
●遺構:石垣、曲輪、堀切、切岸、虎口

訪問時期:2018年4月
相方城 訪問記 − 其の一

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