姫路城 訪問記 其の二。
[前回までの訪問記 概要]
大手門から三の丸・菱の門を越えて、いの門・ろの門・将軍坂までやってきた。その2では「はの門」からスタート。
訪問時期:2019年/2020年
姫路城 訪問記 − 其の一、二、三、四、五、六、七、八、九、十、十一。
姫路城 訪問記 もくじ。
<訪問記>
”将軍坂”を越えて、「はノ門」へ向かう。細い坂道を曲がったところに門があるため、門扉を破りづらい位置にある。 はノ門。堅牢な櫓門になっている。 はノ門の主柱の礎石は、石灯篭の転用石となっている。築城の際、姫山や近隣の寺院から墓跡や石仏などが集められ、そのうちの一つがここに使われている。その説明板。 はノ門礎石の転用石。 はノ門を正面から。入るとすぐに石段になっている。小山の上を均して築かれたのがよく分かる。 はノ門を越えると、目の前には大きな石垣と二層櫓、そして右奥にまた大天守が見える。 ここは乾曲輪(いぬいくるわ)と呼ばれる場所。 乾曲輪の頭上にある二層櫓(にノ門)には十字紋の瓦がある。西側の唐破風の上に乗っている鬼瓦がそうだ。肉眼でぎりぎり見える距離感なので、ズームレンズで見てみよう。 にノ門 二層櫓 唐破風上の十字紋の瓦。キリシタンの黒田官兵衛が〜と言われることもあったが、時代が違う。 はノ門を過ぎて右へ進む。右側の土塀(「はの門東方土塀」)はカーブを描いている。この土塀に沿って右奥へ進むルートもあるようだが、実は行き止まり(現在は封鎖されていて進行不可)。ここまで攻めてきた敵を右か左か迷わせるために作られた構造か。 ここのカーブを描く土塀は、奥に行くと途中で不自然に途切れている。本当は奥の櫓台の石垣まで接続して現存していたが、明治15年に左上の備前丸で火災があり、多聞櫓がここに落ちてきて崩壊したのだとか。ちなみに備前丸は台所や多聞櫓がほぼ現存していたが、この明治の火災でほぼ焼失してしまったという。 左の坂道を進む。行き止まりのようにも見えるが左に折れる。 180度折れ曲がるように道が続く。すごい構造。攻め手は天守から反対方向に道が進んでいくので合っているのか心配になるだろう。 石垣と土塀に囲まれた細い通路を進む。正面をさえぎる小さな櫓門は「にノ門」。 にノ門。小さな門だが一階部分は全面鉄板に覆われた堅固な櫓門だ。 「にノ門」の鬼瓦は、南面と東面が「波紋」になっているという見どころポイントあり。火除けのお守り。肉眼ではちょっと遠いので、ズームレンズでこんな感じの瓦になっている。 にノ門の内部は低い天井の石垣穴蔵になっている。道は右に曲がっていて見通せない。厳重な造りになっている。 にノ門を穴蔵から見返したところ。門扉や柱は鉄板で覆われている。 にノ門の穴蔵を越えていく。坂道になっていて、出口あたりは非常に天井が低い。頭上注意。 にノ門の櫓は複雑な形をしている。裏側の小さな勝手口から中に入るようだ。 にノ門の先は、もう天守まですぐそこの位置になる。それだけ「にノ門」が最終防衛ラインで、厳重な造りとなっていたようだ。ちなみにこの角度からだと小天守しか見えない。 にノ門横から、小天守を見上げる。 にノ門横から、小天守を見上げる。その2。 とても小さな「ほノ門」。これを越えると大天守群の直下に至る。姫路城では、大天守に近づけば近づくほど、門が小さくなっていく。 ほノ門から中を見る。目の前に天守台の石垣が見える。 振り返って、ほノ門と、イの渡櫓。 天守台の周りはぐるっと回れるようになっているのだが、現在の見学コースでは出来ない。昔は天守台の周りをぐるっと回って正面に出てから大天守へ入るルートだった。 天守台石垣の北側にある、歴代家紋の丸瓦をたくさん貼り付けたもの。排水か何かの設備が中に入っていると聞いたことがあるが忘れた。あの脇を通って奥に昔は行くことができたが、今は立ち入り禁止エリア。 天守台下北側にあるロの渡櫓(小天守群を繋ぐ櫓も同名の「ロの渡櫓」でややこしい)内にある井戸。 ほノ門と、巨大な油壁、その奥にある「水一門」。天守内に向かうには、油壁に沿って180度回って水一門へ向かうのが正しい。 では「水一門」を通って、天守へ向かおう。
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訪問時期:2019年/2020年
撮影機器:FUJIFILM X-T20 + XF10-24mm