姫路城は国宝・特別史跡・世界文化遺産とトリプル指定/登録されている、日本が誇る名城。多数の建造物が現存し、8棟が国宝、74棟が重要文化財の指定を受けている。関ヶ原後に城主となった池田輝政、その後の本多忠政により現在の姿に近い形へ改修された。
このページでは一般的な見学ルート(菱の門→いろはにほ門→大小天守→備前丸→りぬる門→西の丸→下山里丸→搦手口)を辿る形で見所を紹介します。姫路城訪問記もくじページでは毎年の特別公開や遠景スポットなどの紹介しています。
<基本データ>
●名称:姫路城
●所在:兵庫県姫路市本町 (地図)
●城主:羽柴秀吉 / 池田輝政 / 本多忠政
●築城:1580年 / 1600年 / 1617年
●遺構:大小天守、櫓、門、土塀など多数
●時間:4時間(12:00-16:00)
●参考:姫路城公式サイト、姫路城公式ガイド(PDF)、知るほどはまる姫路城トリビアン(PDF)
●情報:日本100名城 No.59
訪問時期:2019年 / 2020年
・姫路城 訪問記 − 其の一、二、三、四、五、六、七、八、九、十、十一。
姫路城 訪問記もくじ へ。
<訪問記>
姫路城へ。まずJR姫路駅に降り立ち、姫路城の大天守まで一直線に伸びる幅50mの「大手前通り」へ。お城は近そうで、1km以上あるので注意。お城へは向かって左側の歩道をまっすぐ進むと便利。 約1kmの大手前通りをまっすぐ進み、姫路城の内堀の前までやってきた。 内堀に掛かる桜門橋。木造風に建てられている。 大手門。昭和初期に復元されたもので、現存ではない。当時はここは二重枡形になっていて、大手門が建つ場所には桐二の門と呼ばれる1つ目の枡形と2つ目の枡形を連結する門があった。明治に陸軍が入り枡形や建物は撤去されたという。とはいえ今の大手門も昭和初期に建てられたもので十分貫禄がある。 大手門の向かって左の石垣の隅石には、斧の形をした珍しい刻印が刻まれている。姫路城には多数の刻印が発見されており、その中でもこの「大手門の斧」と「西の丸の五芒星」が見どころポイントと思う。 大手門を入ると、広い三の丸広場へ。広場の芝生エリアは普段立ち入り禁止のため、ここから誰もいない広大な姫路城の写真を撮ることができる。 三の丸越しの姫路城。広大! 三の丸の芝生エリアをぐるっと迂回しながら進んでいく。角度を変えながら大小天守群が見られる。 ズームレンズがあれば、このとおり、細微で美しい構造の大小天守をばっちり見ることができる。 三の丸をぐるっと迂回してくると、姫路城の入城ゲートへ。ここから先は有料。1000円。 姫路城の歴史 説明板。姫路の地は山陽道が通り播磨国府(国分寺)が置かれ、古くから拠点として発展してきた。15世紀頃の赤松氏の時代から砦が築かれるなど戦略的に重要な地となり、小寺氏の家臣・黒田氏による御着城の支城として姫路城が築かれたのが始まりとされる。今の姫路城の姿になったのは17世紀前半、関ヶ原後に城主となった池田輝政、その後の本多忠政の頃。 入城料を支払って、いざ城内へ。大きな坂道の先に立派な櫓門が見えてくる。 姫路城の正門とも言える、菱の門。城漆喰で固められた真壁造(柱や長押を外から立体的に見せる造り)、門の上部には5つの飾り窓を持つ、威風堂々とした姿。 菱の門の正面まで来ると、右奥に大天守群が壁の上からちらっと見える。絶対これ見えるように作っている。 菱の門から二の丸へ。それぞれの主柱の上には巨大な菱紋がある。なお当時はこの大きな門扉は通常開いておらず、左側の小さな脇門から入城していた。脇門を入るとすぐ左横に門番所があり、チェックされる仕組み。 菱の門を入ると、二の丸へ。まず見えてくるのは巨大な「三国堀」と、それ越しにそびえたつ大小天守群!絶好の写真スポットなので、快晴の写真で。 菱の門の正面は、まっすぐ道が伸び奥に「いノ門」がある。ここから「いろは順」に名付けられた各門を通って大天守を目指すことになる。 振り返ると、巨大な菱の門がそびえ立つ。門を無理やり突破しても、菱の門の二階から攻撃されまくりだ。 まずはまっすぐ道を進み「いノ門」へ。 石垣の間をがっちり固めた高麗門。 「いノ門」を越えると二の丸の北部へ。ここも大天守を石垣越しに見ることができる。 「いノ門」「ろノ門」の間から石垣越しに見る大天守群。このあたりの石垣は野面積みで古く、秀吉築城時のものとも。 「ろノ門」。左右を鉄砲狭間のある土塀で固め、門の向こうにも土塀と狭間がずらりと並んでいる。 「ろノ門」を越えると道が大きく左へ迂回する。奥の門はないが、枡形虎口のような形になっている。 さらに道は大きくヘアピンを描く。左側の坂道にある土塀の狭間から、「ろノ門」を入ってきた敵が狙い放題なのがよく分かる構図。 天守に向かって伸びていくような坂道と、「はノ門 南方土塀」。時代劇「暴れん坊将軍」でこの坂がよく登場し「将軍坂」と呼ばれていたとか。 緩やかな坂道の左側は高い石垣がそびえ、右側は四角や三角の鉄砲狭間が整然と並んだ土塀に挟まれ、正面奥には大小天守。姫路城の代表的な上に見えている枝は桜なので春にはさぞ美しい姿になるでしょう!
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訪問時期:2019年、2020年
撮影機器:FUJIFILM X-T20 + XF10-24mm