轟城(とどろきじょう)は但馬 豊岡の西部を流れる竹野川沿いの丘陵に築かれた中世山城。戦国期は山名四天王に数えられた重臣 垣屋豊続が、ここを拠点として但馬に侵攻してきた織田方と戦っている。その後 垣屋氏は織田方の羽柴秀長に降伏した。城はよく削平された主郭に秋葉神社が鎮座し、三方に伸びる尾根に曲輪や堀切などを築いている。登山ルート含め、尾根はかなりの急斜面で、殆ど幅のないつづら折れの斜面を上り下りする必要がある。
<基本データ>
●名称:轟城 (とどろきじょう)
●所在:兵庫県豊岡市竹野町 (地図)
●城主:垣屋豊続
●築城:16世紀頃か
●遺構:堀切、竪堀、土塁、切岸
●時間:1時間 (15:30-16:30)
●参考:戎光祥出版「近畿の城郭V」
訪問時期:2021年12月
<訪問記>
川沿いの県道1号線から見えるこの山が轟城跡。白い巨大な建物が目印。この建物がある「竹野生コンクリート株式会社」の裏手にある神社の参道から登城する。 現地に特に案内などないが、ここから山裾に入る。入ってすぐ左側に、谷筋に入る道がある。 谷筋を上がるのではなく、その左側斜面に作られた細い道を上がっていく。 主郭は神社になっているので、参詣道として整備された登山道がある。結構急斜面の道を延々と登る。 宝暦八年(1758年)に建立された石鳥居。 鳥居の先はさらに斜面が急になる。 更に進むと斜面が急すぎて、道もつづら折れへと変わる。 ところどころ、岩盤を削って道を作ったような跡も見られる。 轟城の見どころの一つとして資料に載っていた、斜面途中の畝状竪堀群へ。場所的にここなんだが、肉眼でも殆ど分からず。写真だと全く判別できない。倒れている木が竪堀に落ちている。 ここの畝状竪堀は斜面に逆V字型に堀を作り、その間に竪堀を4本築くという変わった作りになっている。その逆V字の頂点部分を下から見る。 斜面へ戻る。ますます角度と道幅が厳しくなってきた。 20分ほど登山して、こちらの尾根筋の最初の曲輪Vへ到達。 この曲輪Vの奥には、斜面下に堀切を持つ小曲輪があるのだが、かなりの急斜面で降りたら登れなくなりそうで降りるのは断念。かなり下の方に木々の隙間から小曲輪が見えるが。。。 もう1段上の曲輪IVへ。削平もしっかりされ、切岸もしっかり構築された居住性の高そうな曲輪。 曲輪IVから更に一段上の曲輪IIへ。平虎口ぽい作り。 平虎口には石段らしき石材も。 主郭下の曲輪IIへ。正面の切岸上が主郭だ。お城って感じ! まずは主郭へ上がってみよう。こちらにも石段がかつてあったのだろうか、所々に石材が見える。 轟城 主郭へ。秋葉神社の本殿がある。土塁などは無く、不整形な広場だが、かなりキレイに削平されている。 秋葉神社本殿。 切岸もしっかり作られていて、道以外のところから下の曲輪に降りるのも難しそうな角度。先程居た曲輪IIを見下ろす。 主郭から南の尾根へ向かうルートが資料にあったが、削られてしまって道は無かった。この奥に南曲輪群とその尾根を守る3つの堀切があるようだが、断念。 曲輪IIから北に伸びる尾根筋にも曲輪や堀切が作られているようなので、見に行ってみる。左上が主郭。手前が曲輪IIで、奥が曲輪III。その間を細い通路が繋ぐ。 主郭の北側にある曲輪III。 曲輪IIIの北側の堀切。上から見下ろすと、これまたかなりの急斜面。この先にも尾根上に連続して3つの堀切があるということだが、こちらも道はなし。結局、主郭南北の尾根沿いルートは訪問できず、登ってきた東ルートを再度通って下山した。 当日のGPSログマップ。山頂部の右下が南尾根、左上が北尾根で、それぞれ3本ずつの堀切が守っている。南尾根はそのまま建物のある山麓まで降りられるルートが描かれていたが、果たして。
訪問時期:2021年12月
撮影機器:FUJIFILM X-T20 + XF10-24mm