手取城 訪問記 其の二。
[前回までの訪問記 概要]
整備された登山道を通って城内へ。まっすぐ進めば主郭直下の東の丸まで到達できるが、手前で曲がって西の丸から散策開始。大きな堀切で分断された西の丸、石積や土塁、のろし台などが確認できた。城内は木々がキレイに伐採されていて全景がつかみやすい。其の二では主郭方面を目指す。
訪問時期:2017年2月
手取城 訪問記 − 其の一、二、三。
<訪問記>
西の丸から主郭方面へと向かう。まさに巨大迷路の様相、図面を手に行かないと迷ってしまう。 上の段が二の丸。側面をよーく見てみると石積で補強されているのが分かる。奥に見える階段の上が主郭。 二の丸は広く、登ってきた人たちが弁当などを食べる場所なども設置されていた。眺望も良い。資料によると発掘で多くの瓦が出土、柱を立てたと思われる礎石も見つかっているとのことで、平時の居住空間または戦時の駐屯施設などが建ち並んでいたと考えられている。 二の丸には城址碑が建っているので忘れずに見ていこう。立派な城跡碑が立っていると嬉しい。 手取城 城址碑。下に立て掛けてある板は手作りの説明板。 町の史跡顕彰会による手作りの説明板。こういうのは嬉しい。古くは鎌倉期から玉置氏の拠点となり築城、天正期に秀吉による紀州征伐で秀吉方に付き、隣の湯川氏に攻められ落城、時の城主・玉置直和は高野山へ逃れた。なお自治体による説明板は東の丸に設置されている。後ほど見に行ってみよう。 二の丸から見た眺望。季節柄、先程まで居た西の丸ののろし台の土塁がよく見える。桜が植樹されているが当時は真ん中の谷を挟んだ馬蹄形の城の様相がよくここから見えたと思う。今は春には一面桜色に染まる。 では二の丸から主郭へ上がってみよう。 主郭への入口。わずかに盛り上がって入るが虎口的な感じではなさそう。 主郭入口からの眺望。西の丸が結構遠くに見える。巨大な城跡だと感じられる。 主郭 全景。通称「天守台]と呼ばれるが発掘調査がされていないそうで、どういう建物があったか等は不明とか。 石がゴロゴロしている。キレイに並んでいるわけではないので礎石感はあまり無し。 主郭の北側から東側にかけて、一段低い付曲輪が築かれている。城の正面は西側(平野側)とすると、東の高台にある主郭は一番奥であり、その背面にあたる北側・東側の尾根からは侵入されないよう堀切などで防衛されている。主郭の外周はここも石積で固められていたようだ。 主郭北側の付曲輪と、主郭へ通じるスロープ。其の周囲には石積があったのか、痕跡が見て取れる。 では主郭北側の尾根筋を守る堀切群を見に行ってみよう。特に道はなかったので、斜面を横移動。石積が崩落したのか、石がゴロゴロしている。 このあたりは石積が比較的残っている。人頭大の石が細かく積み上げられている。北の堀切群へ向かう斜面上のルートが石積で補強されていた? 北の堀切群へ向かうルート上の石積。よく残っている。 ぐるっと回り込んで、北の堀切群の手前の曲輪へ。この先に4本ほどの堀切が尾根を分断するように築かれているという。北側の最終防衛ライン。 この周辺にも削平に伴い崩落防止のような形で石積が残されているので、堀切群を見に行く前に少し見てみよう。 斜面に崩れずに残っている石積跡。ただ整備はされていなさそうで、このままだと崩れていずれは失われそうだ。 斜面に残る石積跡。
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訪問時期:2017年2月
撮影機器:FUJIFILM X-T10 + XF14mm