明石城 [1/5] 西国の抑えとして江戸初期に築かれた10万石の名城

明石城は江戸初期、西国外様大名の抑えの要所として将軍秀忠の命で譜代大名・小笠原忠真(家康の孫)に築かせた総石垣の平山城。南北に伸びる舌状台地の南端を高石垣で固め主要部とし、西の本丸と東の二の丸とを細い土橋で繋いで並列に配置している。史料によると廃城で不要となった高砂城・三木城・船上城などの旧資材を利活用したとある。本丸の四方に建てられていた四櫓のうち南側の2つが現存し、JR明石駅ホームから左右に見える櫓がそれぞれ90度向きが異なっていることが特徴的。西の坤櫓は伏見城から、東の巽櫓は船上城の遺構と伝わる。天守台は築かれたが天守はあげられず、坤櫓が天守代用とされた。築城時、宮本武蔵が客分として小笠原家に滞在しており、町割りや作庭の指導を行ったと記録されている。

<基本データ>
●名称:明石城 (Wikipedia)
●所在:兵庫県明石市 (地図)
●城主:小笠原忠真
●築城:元和四年(1618)
●遺構:巽櫓・坤櫓、石垣、天守台
●時間:2時間30分 (1100−1330)
●情報:日本百名城 No.58 (一覧)

訪問時期:2019年12月 / 2020年6月
明石城 訪問記 − 其の一

2013年7月の訪問記はコチラ。伐採前なのでボウボウです。


<訪問記>

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訪問時期:2019年12月 / 2020年6月
撮影機器:FUJIFILM X-T20 + XF10-24mm

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