出島跡 訪問記 其の二。
[前回までの訪問記 概要]
明治以降、埋立や河川工事で大きく損なわれた出島は、近年 復元工事が進んでいる。かつて九州本島と繋がっていた北側の橋から”上陸”。鎖国時代を再現したエリアを散策。一つ一つの建物や展示が良く出来ていて、しっかり見ていくとかなり時間が必要だったのは嬉しい誤算。其の二ではオランダ側の責任者が住んでいた「カピタン部屋」やミニ出島を見に行きます。
<訪問記>
こちらの特徴的な建物が「カピタン部屋」と言われる、出島在住オランダ人の責任者の家だ。 特徴的な三角形の外階段。一階は倉庫で、階段の下から入る。二階は住居・応接エリアで、一階と二階は直接行き来できず、この外階段から上らないといけない仕組みになっていた。 カピタン部屋 説明板。商館長のことをカピタンと呼んでいたそうで、特に説明はないが、英語で言うcaptain(オランダ語ではkapitein)のことだろう。 まずは一階へ。食料と物品の倉庫として使われ、土間もあった。今は雰囲気がある ゆかりの品々の展示スペース。 エレキテル!平賀源内!ハンドル回したら上の針金の間にバリバリっとプラズマが発生します。令和の時代になっても、こういう機械は面白い! 解体新書!杉田玄白!漢文で書かれている。元となったのはオランダ語の解剖図表ターヘル・アナトミア。 日本の時刻の呼び方。十二支(ね・うし・とら・・・)を使って時刻を表現していたのは、現代でも「丑三つ時」「午前・午後」などで名残が残ることからもお馴染み。ただ日の出入りをベースにしていたため、昼と夜とで時間(時刻と時刻の間)の幅が異なり、また季節によっても異なるという、今からではちょっと考えられない「十二時辰」というルールを使っていた。上の図は一番日が長くて昼と夜との時間差が大きくなる極端な「夏至の日」の事例。十二支だけでなく数字でも表す手法も使われ、日の出・日の入りをそれぞれ「六つ」とし、その間を6等分。更にそれを4等分し(約30分)、「一つ・二つ・三つ」と呼んでいた(ので上記には四つ以降になる)。其の場合、14時と15時の間ぐらいが「八つ」で、この時に食べる間食のことを「おやつ」と呼び、これも今に伝わる(時間は関係なくスイーツそのものの呼び名にはなったが)。いやー時間って面白い! 出島を描いた古絵図。17世紀(江戸前期)と19世紀(幕末)では、かなり様相が異なる。 土間に置かれている青銅製の大砲。戦後に川底から発掘されたもので、オランダ領インド会社の社章VOCが刻まれており、AMSTERDAM ANNO1640ともあることから江戸初期に鋳造されオランダ軍艦船に搭載されていたものだとか言う。沈んでいたということは沈没した? カピタン部屋の裏側。天井裏に登るハシゴも復元されているが 立ち入りはNG。でもあの手前の部屋までは行けるので後ほど行ってみよう。こちらは南側であの上から湾上の艦船群を見晴らす事ができた。 では三角外階段から二階に上がってカピタン部屋へ。玄関正面の広い部屋。 食事部屋っぽい復元がされているが、玄関の隣なので説明板では事務所か、と書いている。洋風家具に壁紙なのだが畳敷きという和洋折衷。 大広間。洋風家具にシャンデリア、中世貴族っぽい食事セットが並べられているが、やっぱり畳敷き。カピタンだけでなく、出島の商館員は朝夕2回ここに集まって食事を共にする習慣だったという。広さなんと35畳! 先程見た、屋上へ上がる階段を備えたベランダに面した角部屋。ベランダには出られないようだ。 窓から外を見てみる。国道で出島の南東端が削られているのだが、それでも当時は一面の有明湾がここから一望だったことだろう!今はビルの合間からちょっとだけ海が見えるだけ。 カピタン部屋の三角外階段上から、出島内のカーブした通路を見下ろす。こちらも一望。 では最後に出島東部にあるミニ出島模型を観に行ってみよう。このコンクリート塀の奥にある。シーボルトが作った薬草園跡とのこと。 こちらがミニ出島。ミニと言いつつ、かなり大きい!細かく再現されている。カピタン部屋は真ん中の建物ラインにある。 西側にはボコッと船着き場が出来ている。船が着くところは低くなっている、ということは他の場所にもし無理やり着岸しても石垣と土塀が高すぎて侵入出来ない。なお北側(写真の左側)は18mほど河川工事で削られている。模型で言うと一番左側の建物ラインあたりまでが、無くなっている。 表門とアーチ石橋。九州本島との間は本当に狭い水路のようになっている。 北東端。一番端っこにあるL字型の大きな建物は、花園玉突場、とある。ビリヤード館? 端っこの櫓の位置にあるのは番所。 東端から。海側に松林もあったようだ。 では出島中央道(勝手に命名)を通って、西側の船着場跡へ行ってみよう。カーブを描いている道をまっすぐ西へ。 カピタン部屋の前に当時の侍姿の人が。 西側の「水門」跡へ。この向こうは当時 船をつける「荷揚場」だった。今は国道。ちなみにここからでも入場できる。築造時はきれいな扇形だったが積み荷の上げ下ろしに不便だったため後で増設されたとか。 水門の外側へ。目立つキャラクタは長崎さるくのマスコット。「さるく」とは長崎弁の街歩きという意味だとか。ちなみにこのあたりに西側の護岸石垣が発掘展示されているらしいのだが、すっかり見るのを失念していた。残念。 水門を出て壁沿いに南へ。出島南西端の説明板があった。カーブを描いているのは国道で削られたからで、本来は四角い形だった。というようなことが案内板に書かれていた。 出島 遠景。今は海が埋め立てられ国道が通り、まったく人工島感は無いが、当時は小屋敷群は海に浮かぶ島だった。右側のビル群あたりが九州本島。 南西端があるなら南東端もあるかな、と、当時の石垣に沿って移動すると南東端説明板があった。こちらも埋め立てられ完全に陸地になっているが、近年の発掘調査で当時の南面石垣が発見され、それが地中で保存展示されているという。この土塀の向こうへ。 こちらが発掘された出島の南側護岸石垣。四段ほどの野面布積みの石垣が出土。海だった部分も細く溝として再現し、よくぞ発掘保存展示してくれました! おまけ:出島を出て、現在の海岸へ行ってみよう。出島から国道を渡って西へ。カフェと帆船やボートが並ぶオシャレゾーン。天気さえ良ければなあ! おまけ:このハーバーの名物カフェ Attic にて、龍馬カプチーノ。奥は弥太郎カプチーノ。大河ドラマ「龍馬伝」のとき限定でやっていたらしいのだが、終わっても来る客来る客みんな龍馬カプチーノを頼むので、メニューには書いてないけど、言われたらやるそうです。
訪問時期:2019年6月
撮影機器:FUJIFILM X-T20 + XF10-24mm
出島跡もすごく歴史深いところですね。
この場所も初めて拝見させて頂きましたが、さすが建物も西洋なのですね。
日本は全国に比べると小さい島国ですが、歴史を探ってみると地域毎に
様々な歴史が存在するのだなぁと改めて考えさせられるものがあります。