金海竹島城 [3/3] 陸路からの攻撃を防ぐ西枡形虎口と大堀切へ。

金海竹島城 訪問記 其の三。

<前回までのあらすじ>
お寺の裏山にある金海竹島城へ。東の主郭は外周を高石垣で囲まれ堅固な様相。西側の巨大な副郭は開墾と藪により遺構は殆ど見えず。北側の帯曲輪へ降りて、城の西側を散策します。

訪問時期:2018年11月
金海竹島城 訪問記 − 其の一

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<訪問記>

副郭の更に西側に広がる、三の丸? 全体的に緩斜面かつ凸凹で、一面藪だらけ。この奥にも一部遺構らしき場所があるので、この凸凹エリアはどう使われていたのだろうか。周りには巨木も無く、180度のパノラマ。
緩斜面を歩いていると、明らかに人工的な石列が根石だけ残っているような場所も発見。副郭はもう少し先なので、何段かの低い小さな曲輪などが併設されていたのかも。
あちこちにある石列。開墾や土饅頭により大幅に削られ改変されてしまったのかも。
全体的に藪に覆われていることから、なんとなく緩斜面に見えるが、もしかしたら低い段曲輪が続いているのかも知れない。左側の藪の土台も、1段盛り上がった曲輪に見えないこともない。
端っこまで来た。ここも他の曲輪同様、ゴリッと削られた急角度の切岸。
図面に載っていた、副郭の北西端に隅石垣が残る場所を探す。藪の隅っこが副郭の北西端だが。。。
藪の塊の端っこへ行ってみると、確かに藪の中から少しだけ石垣の断片が顔を出している。
石垣に絡みつく藪を少しだけ払うと、四段ほどの隅石垣が姿を現した。副郭にもかなりの巨石がしっかりと積み上げられていたことが分かる。膨大な藪をすべて払うと、壮大な石垣で囲まれた巨大な副郭が今も残っていそうな感じがする。
この北西端以外は、全体的に藪だ。藪の形を見ると、この北西端部は張り出した櫓台の形をしているのかも知れない。この石垣の前あたりだけ激藪が無く地面が露出しているのは、ここに来る人が多いから?
副郭から緩斜面の三の丸を下る。しっかりと整形された副郭に比べ、西側の三の丸は緩斜面、そして一面の激藪。
緩斜面の三の丸だが、一番西の端っこまで来ると平らになる。画面左端のエリアなど一部畑っぽい場所もあるので開墾によるものかもしれない。山はここで終わりで、正面の竹やぶに入るとすぐに断崖になった。資料には巨大堀切と書いてある。西側からここに上がってくるには、この右手側にある巨大な桝形虎口を経由しなければならないルートだったようだ。では枡形虎口を目指そう。
先ほどの西側先端部から少し斜面を降りると、畑の奥に巨石が積まれている場所が見える。
ここが西側からの登城口、西桝形虎口。東にあったものと比べて石垣がしっかり残っているようだ。
桝形虎口の中は完全に畑化していた。畑を避けながら石垣に張り付いてみる。主郭北面で見られた高石垣とはまた異なる、表面をかなり平らに加工した巨石が積み上げられている。
西桝形虎口の大石垣。かなり四角く加工された、権威ある石垣といった様相。陸路から敵兵が攻めてくるときの入口にあたる場所なので、この気合の入った石垣を組んだのだろう。
桝形虎口のうち、1段上の帯曲輪の外周部に築かれた2面分しか石垣は残っていなかった。そして中々の広さ。巨大な金海竹島城にふさわしい規模。
西桝形虎口 全景。どうしても畑感が出てしまう。枡形虎口を畑にするのはやめよう!
枡形の入口あたりから見た図。正面と左側は前述のとおり帯曲輪の外周を兼ねているので現存しているが、右側は削られてしまったのかかなり低い段々畑のようになっており、石材も数えるほどしか残っていなかった。ちなみにもう1面は断崖。坂道をのぼった上に三面を石垣で囲われた巨大な枡形付き城門があった。
桝形の先の斜面を降りる。ここは山の下、城外だ。先ほど上から見た、山の西側を見に行ってみよう。資料には巨大堀切とあったが。
奥に見える小山の上が先ほど居た西側の竹林の外側。このあたりは古い住宅が並ぶ。畑や庭先では現地人が作業をしていた。観光客にはかなり場違いな感じがしたのでさっさと散策を済ませて立ち去ることとしよう。
ここが城の西の端。3mほど低くなっている畑の場所が、かつて城の西側を守っていた大堀切の跡だろう。かなり幅も広く、確かにこれだけ掘られていればコチラ側から攻め込むのは大変そうだ。
再び城内へ戻る。「倭城を歩く」に書いてあった石切場跡を探してみよう。資料によると城の南西側、南帯曲輪の先端部あたりに「矢穴が残る石材」が複数見られる、とある。かなり探し回るも、藪に埋もれた場所もあることから、なかなか見つからない。諦めかけたとき、この竹やぶの奥の巨石を覗き込んでみたら。。。
ありました、矢穴跡。切ろうとしてうまく切れず放置されたのだろうか。金海竹島城の石材が現地調達されていた(石が豊富に取れる山だった)ことを物語る跡。ちなみに矢穴石は複数見られるとあったが、見つけられたのはこれ1つ。
さて、副郭の南面、南帯曲輪から副郭外周の石垣が見られる場所を見つけたのでご紹介。この帯曲輪と副郭の間の深い藪に覆われた切岸が続く場所で、一部 藪が途切れている場所があった。
藪の隙間から、ちょっとだけ石垣が顔を出している。軍手をはめて作業開始。
藪を手で払ってみたの図。7−8段ぐらいの表面が平らに加工された石材がきれいに積み上げられている。副郭の外周もこのようにぐるっと石垣で囲まれた「石の要塞」だったのだろう。手作業ではこれ以上は無理。
副郭南面の外周石垣。同じ角度でずっと藪が続いているので、恐らく石垣もずっとこの調子で藪の中に眠っているのだろう。同じく洛東江の東側を守る亀浦城のように、ここもきちんと整備すればかなり見違える城跡になりそうだが、全体的に畑化されていて私有地っぽいので難しいか。そういえば亀浦城も奥の曲輪は完全に畑だった。
東端まで戻ってきた。文禄・慶長の役を通じて洛東江の西側を守り続けた鍋島直茂の金海竹島城。全体的に畑と藪だが、時折垣間見える貴重な遺構から往時の巨大な城郭が想像できる印象的な場所だった。整備されたらぜひまた見に行ってみたい場所。

訪問時期:2018年11月
撮影機器:FUJIFILM X-A3 + XF10-24mm

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