順天城 [3/3] 本丸と外郭ラインに僅かながら残る築城当時の石垣。

順天城 訪問記 其の三。

<前回までのあらすじ>
駐車場から巨大な堀跡を越えて、復元された内城へ。石垣は大半がキレイに積み直され、上部はセメントで固められている。天守台の石垣隅石には倭城では数少ない矢穴が刻まれた石が見られる。積み直しがされていない、当時のままの遺構を求めて散策を続ける。

訪問時期:2018年11月
順天城 訪問記 − 其の一

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<訪問記>

wajo_junten_64_3973天守台を降りてきた。本丸外周の石垣の上から、本丸虎口とその下の本丸下虎口を見る。この巨大迷路感。

wajo_junten_65_3980本丸の張り出し部の石垣をよく見てみると、周りの積み直し部とは異なる雰囲気を放っていた。あのあたりは現存石垣のまま?下に降りて少し見てみよう。

wajo_junten_66_3982降りるルートは、上がってきた本丸虎口ではなく、本丸の南端にあるもう一つの虎口から。こちらは左に折れ更に右に折れる、堅固な虎口となっている。

wajo_junten_67_3984本丸南虎口から見返す本丸と天守台。

wajo_junten_68_3985本丸南虎口を外側から。立方体みたいな積み方で変な感じ。

wajo_junten_69_3988南虎口の外側は土ベースの曲輪。車道のような跡が残っている先が、場所的に絵図に描かれていた本丸奥の城門があったところだろうか。

wajo_junten_69a_3991.jpg車道の先はこのような細い道が続いていた。車を通すために広げた道とも思えるが、左右を見ると土の中に埋もれた石が垣間見える。ここに城門があった?のかも。

wajo_junten_04_3848石碑の絵図再掲。天守の右側、本丸櫓門の上にももう一つの小ぶりな城門が描かれている。これが、上の写真の場所か、あるいはもう一つ前に見た本丸南虎口かのいずれかだろう。その先の堀には木橋が掛けられている。

wajo_junten_70_3989先の車道は通らず、その前の本丸南虎口まで戻ってきた。これに沿って左奥へ帯曲輪を進み、本丸下虎口へ戻ろう。本丸南虎口の石垣はよく見ると二段になっている。元の遺構もこうなっていたのだろう。

wajo_junten_71_3994本丸外周の石垣に沿って、本丸下虎口方面へ戻っていく。手前側は石垣が二段に積まれているが、奥は下の段は土塁のままだ。また手前の石垣は乱雑に積み上げられているが、奥の石垣の隅部は算木になっており傾斜が付けられているなど、様相が異なる。どこまでが遺構どおりかは、分からない。

wajo_junten_72_3995先程通ってきた本丸下虎口が見えてきた。虎口を越えた曲輪の外周は土塁が取り囲んでいる。

wajo_junten_73_3998本丸下虎口を通って、正面突き当りの藪へ向かってみる。藪に見えるが、あそこは帯曲輪の張り出し部になる。

wajo_junten_74_3999藪の奥に、明らかに積み直しではない、古い石垣を発見!近づいて隅部を見てみよう。

wajo_junten_75_4001本丸帯曲輪の張り出し部の隅石垣。やや角が丸くなった石が、そのまま積み上げられている。算木積みにはなっていない。

wajo_junten_76_4002隅部をしっかりと見てみる。奥は斜面になっていて、そこに乗り上げるように張り出し部が築かれている事がわかる。奥に行ってみようとしたがかなりの藪だったので断念。こういう感じで、本丸外周をしっかり散策すれば、いくつか当時のままの石垣がまだ見つかりそうだと感じた。

では続いて、最初に越えてきた大横堀の向こうにある、外郭防衛ラインを見に行ってみよう。

wajo_junten_77_4003内城の二重の防衛ライン。手前の石垣の外側にはなんと石階段が付けられていた。これは無い。

wajo_junten_78_4005最初の城門跡の上に再び上がり、内城と外城(外郭防衛ライン)を隔てる巨大横堀を見下ろしてみる。奥の面は大きく凹んでいて、それは絵図に描かれている姿と同じだ。

wajo_junten_79_4018一気に写真がワープする。堀の反対側の小山に登って、堀越しの内城を見てみる。城門と天守台がはるか彼方に見える。

wajo_junten_80_4019ズームで内城の見どころを見てみる。かつてはあの石垣が左右に伸びて巨大な城壁を構成していた。そう思うとすごい規模の要塞だ。

wajo_junten_80a_4023外郭ラインは絵図によると高い石垣が南北に築かれ陸地を遮っている。今は開墾され畑や果樹園などになっている場所が、絵図のように盛り上がっていたので、付近を散策してみる。

wajo_junten_80b_3847石碑の絵図より、右側の外郭ライン付近をアップで。中央に大きな凹みがあり、そこに櫓門をが築かれている。その上部には張り出し部のような場所が描かれ、敵の攻撃を引き受ける「真田丸」のような場所だったのかも知れない。実際、敵の攻城兵器がここを目掛けて集中的に攻めている様が描かれている。対する日本側も、高い位置から攻撃するための簡易櫓がいくつも築かれている。今いる場所は恐らくこの外郭ラインの張り出している場所あたり。

wajo_junten_82_4026外郭ラインの張り出し部あたりは、削平地が何段も続くような様になっている。絵図とは雰囲気が異なるが、これは開墾により段々畑のような姿にされてしまったからだろうか。土塁に沿って奥へ進んでいく。奥の土塁際に石垣らしいものが見える。

wajo_junten_83_4028外郭ラインの石垣と思われる遺構を発見。この石垣の上に順天城の最前線である外郭張り出し部が築かれ、ここに明朝鮮軍の攻城兵器が進んできた・・・のかも知れない。

wajo_junten_84_4032張り出し部あたりから、北側を見てみる。左側に大きな凹みがあり(緑色の部分)、これは外郭ラインの外側に築かれた横堀だろうか。その右側には土塁のようなラインも見える。あの辺りへ行ってみよう。

wajo_junten_85_4040行ってみると、土塁の面には古い石垣がずーっと続いていた。ここが外郭ラインの南側だろうか。

wajo_junten_86_4043一直線に石垣は奥まで続く。

wajo_junten_87_4045枯れた草が覆ってしまっているが、ずっと石垣の城壁が続いている。上にあがってみよう。

wajo_junten_88_4060石垣の上へ。左側が大きな凹みになっており、恐らくこれは空堀だろう。石垣の内側は削平地になっており、ここがかつての城内最前線。

wajo_junten_89_4051石垣の上から東側を見ると、遥か彼方に天守台が見える。当時はあの上に三層の天守が建っていた。こうしてみるとかなり距離があり、広大な城域だったことが分かる。

wajo_junten_90_4067南側にもう一箇所高台になっている場所があったので、そちらにも行ってみた。「倭城を歩く」によると、このあたりは外郭南部土塁と書かれていた。

wajo_junten_91_4070山の上へあがると、確かに一直線に土塁が残っていた。かつては石垣だったようで、僅かながらに石が見られたが、殆どは崩れ去っていた。

wajo_junten_92_4074外郭南部土塁から、巨大な堀越しに内城方面を見る。城門の石垣や、山上の天守台も見える。

海水を引き込んだ巨大な人工堀により東西に分断された二重構造の順天城。強力な外郭ラインと三方を海に囲まれた孤城だった内城は、その立地と小西行長軍のよく統率された戦術により、数に勝る明朝鮮軍を撃退した。復元工事により過度にキレイに積み直されてはいるが、現地を歩いて当時の堅固な巨大要塞の様を味わう事ができる、おすすめ城跡と言える。

訪問時期:2018年11月
撮影機器:FUJIFILM X-T10 + XF10-24mm
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