熊川城 [2/3] 石垣の城壁と堅固な虎口で何重にも守られた主郭部へ。

熊川城 訪問記 其の二。

<前回までのあらすじ>
文禄の役で西の防衛を担った小西行長の熊川城へ。北の屋敷跡を見てから竹林を直登し、主要部東端の高石垣へ張り付く。其の二では主要部を散策します。

訪問時期:2018年11月
熊川城 訪問記 − 其の一

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<訪問記>

wajo_kumakawa_32_5072s藪をくぐり抜け、たどり着いた熊川城 主要部の東の高石垣。当時の登り口は向かって右奥だが、今は左側からも土が積もったりして登れるようになっている。

wajo_kumakawa_33_5077高石垣の上へ。眼下の埋立地が一望だ。当時は眼下は湾だった。半島と巨済島との間の湾を守る拠点。石垣の上部は崩れており、天端が不揃いでガタガタになっている。

wajo_kumakawa_34_5084高石垣の端っこまで行ってみる。結構怖い!

wajo_kumakawa_35_5081東の高石垣が湾から一望であることがよく分かる構図。時間があれば向こう側からコチラの高石垣も遠景で見てみたかったが、遠すぎてあまりよく見えないかも知れないなあ。

wajo_kumakawa_36_5086東の曲輪の中へ。整備はされておらず草ぼうぼうだが、外周部には土塁の内外を石垣で固めた城壁が残っていた。

wajo_kumakawa_37_5087石垣で内側も固められているため、400年経った今でもしっかりと残る土塁。

wajo_kumakawa_38_5091東の曲輪の奥には折れ曲がりの石垣。この右側は、東の曲輪の唯一の虎口となっている。

wajo_kumakawa_39_5094こちらが虎口。斜面側から上がってきた人はここから城内に入ることになる。石も土も崩れ、写真では少し分かりづらい。

wajo_kumakawa_40_5097東の曲輪からもう一つ内側の、城内で最も広い曲輪へ。こちらも外周は石垣造りの城壁でぐるっと囲われている。

wajo_kumakawa_41_5101隅から見ると、山の形に沿って造られた削平地の外周をしっかりと石垣造りの城壁が取り囲んでいることがよく分かる。湾をまたいで東隣に築かれていた安骨浦城も全く同じ構造だ。

wajo_kumakawa_42_5104では曲輪の奥へ向かおう。

wajo_kumakawa_43_5106石垣造りの城壁。先ほどの見せる石垣と比べてかなり小ぶりな石材が使われている。

wajo_kumakawa_44_5107曲輪の奥へ進む。かなりきれいに削平されている!

wajo_kumakawa_45_5108奥までやってきた。このあたりには櫓が建っていたのだろうか、この奥は虎口にあたる。石垣の崩れが激しい。

wajo_kumakawa_46_5110奥にある虎口。この奥はまだ三度ぐらい折れ曲がる複雑かつ堅固な食い違い虎口を形成しており、大手虎口であったと考えられている。こちらは後ほど訪れて、まずは本丸を目指す。

wajo_kumakawa_47_5112s巨大な食い違い虎口の手前から、本丸方面を見る。右奥の石垣の上が本丸。本丸へ向かう道は今はまっすぐだが、当時は複雑な城壁が築かれ、簡単には進めないような構造になっていただろう。よく見ると右奥にも石垣の跡らしき場所も見られる。

wajo_kumakawa_48_5114石垣の城壁の上から、先程通ってきた東の曲輪を見返す。曲輪よりも石垣の上部が、日本の城郭のように土ではなく石がむき出しになっていることに目が行く。倭城はこのように石垣の城壁の上部がゴロゴロと石が敷き詰められたような状態になっている事が多い。石垣が内側に崩れてこうなったのか、石材が多く取れたという土地柄から、土塁の外側に石を張るのではなく、最初から石を積み上げて城壁を作ったのか、どうなのだろうか。築城には日本軍だけでなく現地の朝鮮人も多く動員したと考えられ、その技術により場所によっては総石材の石垣も含まれているといったことかも知れない。

wajo_kumakawa_49_5123sでは本丸へ向かおう。眼の前の虎口の奥が本丸。右側の石垣は大きく隅部が崩れ、破城の跡が垣間見える。

wajo_kumakawa_50_5125巨大な食い違い虎口を越えて本丸内へ。

wajo_kumakawa_51_5126外周部の石垣の上に上がる石段が残されていた。こういうのを見ると登りたくなる。

wajo_kumakawa_52_5127石垣の上へ。ここも上部は石だらけ。やはり内部はほとんどが石で出来ているのだろう。加藤清正の西生浦城も石垣の上はこんな状態だった。

wajo_kumakawa_53_5128では石垣の城壁に沿って、本丸の再奥部にある天守台を目指そう。右奥の先端に見えるのが天守台だ。左側には張り出し部も見える。

wajo_kumakawa_54_5129s石垣の折れ曲がり部。後で連結されたような感じがしなくもない感じ。奥は更に巨石が内部にもゴロゴロしている。

wajo_kumakawa_55_5130s石垣の城壁の上を通って天守台へ。段々天守台が間近に見えてきた。

wajo_kumakawa_57_5132先程見えていた張り出し部。鈍角に曲がる石垣の角にこのような張り出しがある構造は初めて見た。

wajo_kumakawa_56_5131sそして目の前にはいよいよ天守台。早く行きたいが、石垣の上部が石がゴロゴロで非常に歩きにくい。そして天守台の左側斜面には、熊川城の最大の特徴である登り石垣が伸びているはずなのだが、ここからはあまり見えない。

wajo_kumakawa_58_5133s天守台へ。手前に造られた石段が残る。

wajo_kumakawa_59_5134天守台に上がる前に、少し外周を見てみよう。結構な巨石が積まれている。釜山付近の石は節理で割れやすいという特徴があるそうで、殆ど矢穴跡が見られないにもかかわらず石材を割って積み上げている。

wajo_kumakawa_60_5135天守台の隅部。かなり巨石が隅部を支えていた。ここは真上にある松の葉っぱが枯れて積もりまくっているので、石垣が2段しかない低いものに見えてしまっているが、奥を見ると土の中に数段は埋もれてそうだ。

>> 熊川城 [3/3] へ続く。<<

訪問時期:2018年11月
撮影機器:FUJIFILM X-T10 + XF10-24mm
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