熊川城 [1/3] 文禄の役 最西端の防衛を担った小西行長の城。

倭城 熊川城
熊川城は、文禄の役で築かれた朝鮮半島南岸部の倭城群のうち、西の最前線となった城。東西に明洞城・安骨浦城を端城として持ち、熊川城はその中央に巨大な本城として築かれていた。湾に突き出た岬の山頂に位置し、宣教師による伝導や明軍との休戦交渉も行われた記録が残る、当時の日本軍に取って重要拠点として扱われていた。山頂の天守台から伸びる長大な登り石垣は今も明瞭に残り、湾側には見せる高石垣も残る。山麓からはハイキングコースとして整備されていて、山頂の天守台まで容易に上がることが出来る(が今回は逆側から藪の中を直登した)。

<基本データ>
●名称:熊川城 (こもかい・ウンチョン)
●所在:慶尚南道 昌原市 (地図)
●城主:小西行長
●築城:文禄二年 (1593)
●遺構:天守台、登り石垣、虎口、竪堀
●情報:倭城

訪問時期:2018年11月
熊川城 訪問記 − 其の一

続・倭城めぐりの旅 [2018] – 熊川/泗川/順天/長門浦/東莱/加徳/金海竹島
倭城めぐりの旅 [2017] – 安骨浦/釜山母/機張/西生浦/蔚山/永登浦/松真浦/長門浦/梁山/亀浦


<訪問記>

wajo_kumakawa_01_4973小西行長が築いた西の巨大城郭、熊川城へ。その北側の山麓には、小西行長や将兵たちの屋敷があったという。そちらをまずは目指してみよう。北の川沿いから山に向かって住宅街を進む。正面の太陽にあたりにある山が熊川城跡になる。

wajo_kumakawa_02_4974住宅街と段々畑になっているが、区画はなんと巨石を持つ石垣で出来ている。このあたり一体が屋敷跡だろうか。

wajo_kumakawa_03_4975s奥へ進むとますます石垣で区画された一帯へ。崩壊もあり、また段々畑や住宅化により大幅な改変もなされているだろうが、かつてはこのあたりが小西行長らの居館跡だったのだろう。熊川城へ伝導へ訪れた宣教師は、その報告書で石垣に囲まれた広い屋敷に住んでいる小西行長や宗義智のことに触れている。

wajo_kumakawa_04_4984更に奥へ、上へ。かなり巨大な石垣が現れた。上へは登れそうにないので、石垣に沿って奥へ向かってみる。

wajo_kumakawa_05_4985藪に覆われているが、石垣ぎりぎりのところが道になっているぞ!奥に進む。

wajo_kumakawa_06_4986かなりの巨石が3mほどの高さに積み上げられている。ここにはかなり偉い人の屋敷があったのだろうか。

wajo_kumakawa_07_4991先の巨石の石垣を越えると車道に出た。車道の山側にも草に埋もれて石垣跡が垣間見える。

wajo_kumakawa_08_4993結構登ってきた。ここは城の真東あたりにあたる。GoogleMapで見るとココからちょうど真東を見ているあたり。右側のまっすぐの陸地は完全に埋立地。かつては熊川城は海に突き出た岬だった。

wajo_kumakawa_09_4995ではここから山へ入る。半ば直登しながら斜面をあがっていくと、石垣の残骸かも知れない石材が見えてきた。

wajo_kumakawa_10_4997奥には明らかに石垣が。このあたりが城の最も東の端にあたる場所のようだ。

wajo_kumakawa_11_5005斜面を遮るように築かれた石垣の城壁。

wajo_kumakawa_12_5009その石垣の城壁から斜面下に向かって築かれた竪堀。

wajo_kumakawa_13_5012竪堀の周囲には僅かながらに石積み跡も見られた。そしてこの石は結構大きい!

wajo_kumakawa_14_5014竪堀を少し降りていくと、ところどころに石垣跡と思われる石材が積まれたような場所が散見された。かつては両側を石垣で固めた竪堀だったのだろうか?

wajo_kumakawa_15_5017竪堀を登っていくと、かつての熊川城のある岬の突端へ。この真下はかつては海で、今は完全に埋立地で倉庫群のようになっている。先の石垣の城壁の少し先にあるので、このあたりから海を監視するにはもってこいの場所だったことが(海が無くなった今でも)よく分かる立地。

wajo_kumakawa_16_5020先程の城壁の石垣に沿って奥へ。石垣から下へ伸びる竪堀の内側は土塁チックになっていた。先程見た竪堀の周囲の石垣は、この土塁の外側に貼られていたようだ。

wajo_kumakawa_17_5024石垣の城壁の端っこまで行ってみる。端は少し張り出したような構造になっている。

wajo_kumakawa_18_5027張り出し部の隅石垣はまさに斜面ギリギリに築かれている。海側から見るとその威容がよく見えたことだろう。

wajo_kumakawa_19_5030では石垣の城壁に沿って内側へ入っていく。

wajo_kumakawa_20_5033土塁が接続しているあたりから、石垣の上の曲輪部へあがる。

wajo_kumakawa_21_5035先程の隅の張り出し部の反対側の隅石垣。こちらは藪でちょっとよく見えない。物見櫓のようなものが建っていてもおかしくない立地。

wajo_kumakawa_22_5040先の東の曲輪から山頂に向かって登り石垣が築かれているのだが、斜面はこのとおりかなり激しい竹やぶ化していた。何となく土塁っぽい盛り上がりを頼りに、なんとか竹やぶを上がっていく。

wajo_kumakawa_23_5042時折竹やぶの隙間から、かつての登り石垣の残骸が垣間見える。うーん。ゆっくり見ている余裕が無いぐらいの竹やぶ。

wajo_kumakawa_24_5045しばし竹やぶ地獄を突っ切ると、竪堀へと到達した。このすぐ上は主郭部の先端のはずだ。頑張って登る。

wajo_kumakawa_25_5052すると一気に視界が開け、奥には巨大な石垣が! 一気にテンションが上がる。がその手前にはかなり深そうな藪が塞いでいる。左側が少し凹んでいてまだ登れそう、かも知れないと思って、突っ込む。

wajo_kumakawa_26_5055藪をかき分け、石垣の方へ。この石垣手前の藪を払えば、下からかなり石垣の威容が見えそうな気もする。

wajo_kumakawa_27_5056それにしても、山の上にこれだけの高さの石垣が、文字通り「そびえ立っている」。これはすごい。

wajo_kumakawa_28_5058藪を越えて高石垣の麓までやってきたぞ!

wajo_kumakawa_29_5064湾に向けてそびえ立つ、まさに「見せる石垣」。石垣の上部は(後ほど上にあがると分かるが)かなり崩れており、天端がどこだったのか分からない状態。当時はまだ数m高かったのかも知れない。更にその上には建物も建っており、まさに要塞。

wajo_kumakawa_30_5067高石垣の隅部へ。斜面にかなり足が長く伸びて、踏ん張っているような石垣。430年以上耐えてきた石垣だ。

wajo_kumakawa_31_5070熊川城 主要部 東端の隅石垣。15段から20段ほど積み上げられている。まさに圧巻。ここから少し左側へ回り込むと、石垣の上にあがることが出来る。当時の虎口は反対側、右奥にあった。

>> 熊川城 [2/3] へ続く。<<

訪問時期:2018年11月
撮影機器:FUJIFILM X-T10 + XF10-24mm
– – – – – – – –
ブログ人気投票参加中. いつも投票アリガトウ(^-^)

投票するのも、順位を見るのも、上↑のアイコンを押してね!
ページの一番上に戻る