鳥羽山城 [1/2] 二俣城の川向かいに建つ「別城一郭」の城館跡。

遠江 鳥羽山城
鳥羽山城は、二俣城の川向かいに位置する独立丘陵上に建てられた山城。天正三年(1575)に徳川方が武田方の二俣城を攻めるための砦として築いた記録が残るが、それ以前に永禄三年(1560)の桶狭間の戦い後に今川方が築いていた説もある。二俣城からわずか500mの位置にある鳥羽山城はその立地から徳川氏と武田氏による度重なる合戦の舞台となった。徳川氏の関東転封で豊臣方の堀尾氏が城主となると、鳥羽山城は居住・政治の場として再整備され、戦時施設として整備が続く二俣城とお互い機能を補完しあう「別城一郭」と呼ばれる。巨大な土塁と石垣に守られた本丸と、枡形虎口を持つ大手門や広い大手道など特徴的な遺構が残る。

<基本データ>
●名称:鳥羽山城 (Wikipedia)
●所在:静岡県浜松市天竜区 (地図)
●城主:徳川家康 / 堀尾氏
●築城:天正三年(1575)
●遺構:石垣、大手道、升形虎口、土塁、門跡 等

訪問時期:2018年8月
鳥羽山城 訪問記 − 其の一


<訪問記>

tobayama_01_8087鳥羽山城跡は公園として整備されており、山頂付近まで車道が通っている。本丸の真南に駐車場が設けられているのでそこから散策を開始しよう。駐車場には多くの説明板が建つ。

tobayama_02_7986鳥羽山城跡 説明板。桶狭間の戦いを契機に今川方によって築城されるも、今川氏の滅亡により城は徳川方の領有となり、その後は徳川・武田が攻防戦を繰り返した。武田氏の滅亡、徳川氏の関東転封により、新たに豊臣方の堀尾氏が城主となり、鳥羽山城は石垣を持ち迎賓機能を備えた領主の生活の場へと変遷していった。

tobayama_03_7988鳥羽山城跡の図面。茶色が土塁、灰色が石垣、緑色は堀切。いくつかの腰曲輪などがあるものの、メインは頂部の分厚い土塁と石垣に囲まれた主郭部だ。

tobayama_04_7989昔ながらの説明板も併設されている。

tobayama_05_7990もう一つの鳥羽山公園(鳥羽山城)説明板。二俣城とは「別郭一城」の関係、とある。近隣するも独立した形で造られた複数の城が一体的に機能している状態を「別城一郭」や「一城別郭」と呼ぶことがあるが、両者の違いは分からない。城全体の視点で見るか、個々の郭視点で見るか、の違いだろうか?

tobayama_06_7991さて城へ入っていこう。駐車場から少し戻ると、山へあがっていく階段が現れる。大手道入口、と書いてある。車道が出来る前はこのあたりは大手道へ通じる尾根筋で帯曲輪が連なる形状だったとされる。

tobayama_07_7994階段をあがると、すぐに広い幅の石段へと到達する。ここが鳥羽山城の大手道にあたる。左右は石垣で固められている。

tobayama_08_7996鳥羽山城 大手道。草が覆っているが、左右の石垣の幅は6mあり、かつまっすぐに山頂へのびていく様から、鳥羽山城は戦いの城ではなく、居館あるいは迎賓のための城館として使われていたのではないかと推測されている。

tobayama_09_7997ということで、よく草の中を見てみると、このように石垣が積まれていることがわかる。

tobayama_10_7998道の左側にも石積みが見える。浜松市教育委員会が発行している鳥羽山城跡 総合調査報告書によると、大手道の石垣は埋没部分が1m以上あるという。よって今見られるこの立派な石段は公園化の際に整備されたものだろう。

tobayama_11_7999よく見ると結構高い位置にも石積みが見られる。

tobayama_12_8001広い大手道を越えると、本丸土塁にあたる。道は左へ折れ、また右へ折れて、大手門へと通じる。またここから右へ本丸土塁沿いに進むと、東門へと通じる。

tobayama_13_8003正面の本丸土塁をよく見ると、ここもかつては石垣でぐるっと囲まれていたようだ。手前に転がっている巨石は石垣のものよりもかなり大きめ。

tobayama_14_8002大手道の左右石垣の上部は、それぞれ削平地となっており、東の丸I、東の丸II、と今は名付けられている。こちらは北側の東の丸II。草ぼうぼうで特に整備はされていない。

tobayama_15_8005では本丸に沿って奥へ進み、大手門を目指そう。本丸隅部には石垣の隅が顔を出している。

tobayama_16_8008立派な石垣と門跡が見えてきた。

tobayama_17_8013鳥羽山城 大手門跡。今居る場所は升形虎口になっている。木と草が生えていて分かりづらいが、正面に緩やかな石段があり、其の先は左右に石垣の城門跡が見える。

tobayama_18_8017足元に草に埋もれるように設置されていた大手門跡 説明板。ちょっと草を刈って露出させて撮影。城の顔とも言える大手門の石垣は他よりも大きめの石材を使って高く築かれ、間詰めも丁寧に行われているとか。

tobayama_19_8016升形の内部は、城門部分だけでなく、全体がぐるっと石垣で囲まれている。

tobayama_20_8021高さ2mほどの大手門石垣。先程の大手道が1mほど石垣が埋もれていることを考えると、この石垣も地中にまだかなり埋まっているのかも知れない。

tobayama_21_8022説明板にもあった、本丸内の水を排出するための暗渠(地中の排水路)。

tobayama_22_8020大手門前の緩やかで幅広の石段。平らな部分がコンクリートで固められているので、この石段も遺構ではなく公園化の際に造られたもの(本来の大手門升形地表は地中)だろうか。

tobayama_23_8025草ぼうぼうで分かりづらいが、大手門跡を横から。ここは冬に来たほうが良い。

tobayama_24_8026では石段をあがって本丸内へ。この正面のスペースには、かつて大手門が建っていたとされるものの、瓦が出土していないことから、茅葺き屋根の門だったと推定されている。

tobayama_25_8027大手門跡。サイドの石垣は(門が建っていて普段は見えない場所だからか、あるいは後世に積み直したからか)異様に小さな石が変な感じで積まれている。門の礎石かもしれない平らな石が一つだけ、右下に見える。

tobayama_26_8028大手門を越えて、本丸内へ。広い!

tobayama_27_8033本丸標柱と説明板。

tobayama_28_8034本丸に建つ鳥羽山城跡 説明板。

tobayama_29_8029本丸外周を取り巻いている巨大な土塁。入ってすぐ右側に、大きな石段が設けられていて、上にあがることができる。ちょっと上がってみよう。

tobayama_30_8030土塁の上。遊具などが置かれている。土塁の中央部は削平され奥まで進んでいけるが、左右に高い木々があり、本丸内外は全然見えない。

tobayama_31_8031本丸土塁の上から、先程の大手道方面をなんとか見てみる。大手道を上がってきた人は、本丸土塁の上に設置された見張台などから丸見えだっただろう。これも冬に来るとよく分かるかも知れない。

>> 鳥羽山城 [2/2] へ続く。<<

訪問時期:2018年8月
撮影機器:FUJIFILM X-T10 + XF10-24mm
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