二俣城 [3/3] 復元された井戸櫓と信康公廟のある清瀧寺へ。

二俣城 訪問記 其の三。

[前回までの訪問記 概要]
二俣城跡を散策。かつて本丸の外周を囲んでいたと思われる石垣は多くが崩れ去っていたが、それでも天守台や大手虎口櫓台の石垣などは良好に其の姿を留めていた。続いて、かつて天竜川から二俣城へ水を汲み上げるために用いられていたという井戸櫓(復元)と、二俣城で自刃した家康の嫡男 松平信康公の墓所がある清瀧寺へ向かいます。

訪問時期:2018年8月
二俣城 訪問記 − 其の一


<訪問記>

futamata_60_7960二俣城から500mほど北東に、信康山清瀧寺および諏訪神社がある。本田宗一郎ものづくり伝承館のすぐ横。

futamata_61_7962信康山清瀧寺の標柱の脇に、信康公の木像が収められている。岡崎三郎信康公の街、とノボリがあがっている。

futamata_62_7963岡崎三郎信康 石碑。家康の正室 築山御前(瀬名)は今川義元の姪にあたり、まだ今川家の人質だった永禄二年(1559)に信康は産まれている。その後信康は、徳川家と同盟にあった信長の娘 徳姫と9歳で結婚。しかし徳姫は天正七年(1579) 築山御前が武田に内通と信長へ伝えたことで、築山御前は殺害され、信康は二俣城に幽閉の後 自刃に追い込まれた。享年21歳。しかし真の原因は明確でなく、諸説あるという。

futamata_63_7964祠の中にある二体の信康公像。近年造られたもののようだ。

futamata_64_7965諏訪神社の境内には庭園があり、そこに井戸が設けられ櫓が設置されている。

futamata_7966こちらが清瀧寺の井戸櫓。岩盤の上に立地している二俣城が、眼下の天竜川から水を汲み上げるため、このような井戸櫓を設け上から釣瓶を通じて水を得ていたという。武田軍による攻城の際に水の手であるこの井戸櫓を発見し、天竜川上流から大量の筏を流して井戸櫓を破壊、水が尽きた城は開城した、という逸話も伝わる。

futamata_65_7967井戸櫓の脇の坂道をあがると、清瀧寺の山門へ。

futamata_7968.jpg清瀧寺 説明板。京都知恩院の末寺。

futamata_66_7970清瀧寺 本堂。鬼板をよく見てみると、、、

futamata_67_7985葵の御紋!

futamata_7973柱の下には、あちこち欠けた鯱瓦が無造作に置かれていた。

futamata_68_7974墓地の奥に、信康廟へ通じる石段がある。

futamata_69_7976石段を登りきった先に、土塀に囲まれた厳重なエリアが。信康廟。お参りしていこう。

futamata_70_7977信康廟前の説明板。もともとこの地にはお寺はなく庵室があった場所で、そこに廟所を作り、後に寺や山門などを建立している。

futamata_71_7978廟所への門は閉ざされている。外から廟所の門だけを拝見。真っ直ぐ伸びる石畳の奥に赤い扉が見える。

futamata_72_7983信康廟の赤扉。葵の御紋が刻まれていた。

訪問時期:2018年8月
撮影機器:FUJIFILM X-T10 + XF10-24mm
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