浜松城 [1/3] 荒々しい野面積みの石垣が見所な、かつての家康の居城。

遠江 浜松城
浜松城は、浜名湖の東に広がる天竜川の扇状地「三方ヶ原」の南東端に築かれた城で、戦国期における徳川家康の居城として利用された。元は曳馬城という今川氏方の城だったが家康が遠江を領した際に強固に改修したという。三方ヶ原の戦い、長篠の戦い、小牧長久手の戦いは、ここ浜松城時代に勃発している。家康の時代は土の城で、その後 豊臣方の堀尾忠晴が入り総石垣・大天守などを持つ近代城郭へと改修したとも。江戸時代になると譜代大名が歴代城主を務め老中など出世したことから「出世城」とも呼ばれる。現在は公園化され主要部の野面積み石垣が残るものの大きく改変されているように見受けられる。天守は鉄筋模擬だが、本丸への入口にあたる天守門は絵図等を元に外観復元されている。

<基本データ>
●名称:浜松城 (Wikipedia)
●所在:静岡県浜松市中区 (地図)
●城主:徳川家康 / 堀尾吉晴
●築城:元亀元年(1570)
●遺構:天守台、石垣、櫓台
●情報:続日本百名城 No.148 (一覧)

訪問時期:2018年8月
浜松城 訪問記 − 其の一


<訪問記>

hamamatsu_01_8088市役所の駐車場から浜松城公園を見る。手前の天守門が再建される前(2014年完成)は駐車場から模擬天守がよく見えたが、今はここからだと両者が重なってしまってこの通り。

hamamatsu_02_8089では城址公園へ向かおう。入口にある案内板。

hamamatsu_03_8090安政年間古図。右側の現在マップと方向は合わせてあるので見比べられる。残っているのは本丸周辺のごく一部だけのようだ。ちなみに安政元年は1855年、井伊直弼による安政の大獄で有名な元号。

hamamatsu_04_8091では、コンクリートで舗装された坂道をあがって、浜松城公園へ。

hamamatsu_05_8092グルーっと回ってあがっていくと、奥に石垣が見えてきた。

hamamatsu_06_8093向かって左側に大きな野面積みの石垣とスロープが。冬場に来ると木々が枯れてもっとよく石垣が見えるかも。このまま石垣の方へ向かうと奥に天守門があって天守曲輪内へ入れるのだが、まずは今いる場所(本丸)を散策してみよう。

hamamatsu_07_8094本丸内。右の木の下に小さく「浜松城本丸跡」の石碑があった。浜松城は本丸の西側に先程見た野面積みの石垣で囲われたもう一段高いエリアがあって、そこが天守台を含む「天守曲輪」となっていた。

hamamatsu_08_8096s本丸から見上げる、天守曲輪へのスロープと野面積みの石垣、奥に見えるのは復元された天守門。

hamamatsu_09_8097本丸の古い説明板。天守曲輪の東側 下に位置する本丸は、北に富士見櫓、南に菱櫓を備え、菱櫓の脇に枡形虎口を持つ鉄門があったという。先程あがってきたスロープあたりが鉄門?

hamamatsu_10_8098本丸。いまはただ、だだっ広いのみ。この先端部あたりに菱櫓があった?

hamamatsu_11_8099本丸の東端には二ノ丸の説明板があった。本丸の更に東側の一段下にあたる。表御殿と奥御殿があり、今は市役所や小学校となっている。最初に見た駐車場のあたりが二ノ丸か。

hamamatsu_12_8100s本丸の奥には、高い台座に乗った若き家康公の銅像が建つ。

hamamatsu_13_8102手にしているのは説明によると「勝草と呼ばれた めでたい歯朶(しだ)」だとか。関ヶ原の合戦および大坂の役で家康が携行したと伝わる、歯朶を形どった前立を持つ甲冑その名も「歯朶具足」が戦後神社に奉納され現存している。

hamamatsu_14_8105s本丸の北の方までやってきた。天守曲輪の石垣もよく見える。

hamamatsu_15_8103算木積みはされておらず、叩き割ったままのゴツゴツした石がそのまま積み上げられた野面積み。かなり独特な雰囲気だ。主要な石材は浜名湖北部産の堆積岩の模様。

hamamatsu_16_8107本丸北側は石垣の壁が天守曲輪側からせり出している。

hamamatsu_17_8108その石段をあがって天守曲輪へと向かおう。

hamamatsu_18_8109天守曲輪の石垣がよく見える。公園化に際して石垣もかなり積み直しされてしまったようだが、今見えている天守曲輪北部の石垣は当時の姿のままっぽい印象。

hamamatsu_19_8110階段をあがっていると、石垣を壊したような跡があった。古絵図を見るとこの石段も描かれているが、公園化に伴ってより登りやすく改変した可能性もあるか。

hamamatsu_21_8112階段をあがって、石垣の上へやってきた。天守門と、その奥に模擬天守が見える。ちなみに浜松城天守は、家康が駿府から江戸へ移った後に入った秀吉家臣の堀尾忠晴・忠氏が在城時(1590年〜1600年頃・関ヶ原の功績で加増転封し松江城を築く)に築かれていたというが、いつしか失われ、江戸期に描かれた古絵図には天守の姿は無く天守台だけが描かれているとか。

hamamatsu_22_8114本丸北側の石垣の上から見た、天守門と模擬天守。

hamamatsu_22a_8111石垣の先端部を見る。古絵図を見ると、この先端部あたりに本丸北側を守る富士見櫓があったようだ。

hamamatsu_23_8116では天守門の方へ向かおう。

hamamatsu_24_8118天守曲輪の石垣が間近で見ることができる。草も苔も生えておらず整然と積み上げられており、どこまでが現存かが分かりにくい。鈍角に曲がる箇所には巨石が埋め込まれている。様々な色合いの石材が混在して使われている。浜名湖北部産の堆積岩だとか。

hamamatsu_25_8119先程の石垣の壁を見る。石垣の上部が崩れてしまっているようだ。右奥あたりに単層の富士見櫓があった。

hamamatsu_26_8120ではいよいよ天守門をくぐって天守曲輪へ入ってみよう。

>> 浜松城 [2/3] へ続く。<<

訪問時期:2018年8月
撮影機器:FUJIFILM X-T10 + XF10-24mm
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