大垣城 [2/2] 公園化で改変された本丸を歩いて当時の姿を探る。

大垣城 訪問記 其の二。

[前回までの訪問記 概要]
駅から歩いて大垣城へ。当時の巨大な水堀は埋め立てられ、そのまま歩いて本丸へ。米軍の無差別爆撃により焼失した天守が外観復元されている。中はコンクリート丸出しではあるが展示は古絵図にムービーにジオラマにとなかなか見所が多い。其の二は大きく改変されてしまった本丸跡を見て回ります。

訪問時期:2018年5月
大垣城 訪問記 − 其の一


<訪問記>

oogaki-38_0375天守最上階へ。展望台から外を見てみよう。

oogaki-39_0377西方面。眼の前は公園になっている。当時は大きな内堀。ちなみに左奥の山は方角的に南宮山、関ヶ原の戦いで西軍の毛利秀元らが陣取っていた場所にあたる。

oogaki-40_0380東方面。こちらは住宅街。櫓と櫓門が見える。櫓は艮櫓(うしとらやぐら)、本丸の艮方面(北東)にあったからで、復元されたもの。櫓門は公園化に伴い移設された門とのこと。ちなみに天気が良いとこの写真の左上あたりに岐阜城が見えるらしいのだが、当日は生憎の雨模様で全く見えず。

oogaki-41_0386では降りてきて、本丸内外を散策してみよう。まずは本丸西側にある埋門のような櫓門へ。当時は本丸西側は巨大な水堀で、ここに門は無かったようだ。

oogaki-42_0388門の外へ。鉄砲狭間が目立ってなんだか変な感じ。ちなみに鉄砲狭間は内側が広いタイプが多いが、たまに内側も外側も広く中央が細いタイプ(鼓型)もあるので、外側から見て広いからと逆と思ってしまうのは早計かもしれない。でも、やっぱり、違和感。

oogaki-43_0390西門越しに見る天守。石垣は、説明板にあった石灰岩でもないし、天守台の石垣とも様相が大きく異なっている。全面的に積み直した(石材ごと新調?)ものだろうか。

oogaki-44_0391西門出てすぐのところに、騎馬像が建っている。

oogaki-45_0392大垣城天守の西側公園にある、騎馬像。大垣十万石の領主・戸田氏鉄(うじかね)公。

oogaki-46_0393戸田氏鉄公は、家康の近習から始まり、関が原、大坂の役での活躍を経て、膳所城主→尼崎城主→大垣城主と出世してきた。

oogaki-47_0396後ろ姿。馬が普通に歩いているので、騎馬像なのにあまり躍動感は無い。

oogaki-48_0395銅像の台座にある説明板。なんだかすごく読みづらい。寛永12年(1634年) 大垣藩主となった戸田氏鉄は、以降 明治までの230年間続く戸田藩政の基礎を築いた。島原の乱にも出陣したようだ。

oogaki-49_0398では本丸外周石垣に沿って一周回ってみよう。先程 天守の上から見下ろした、北東の艮櫓方面へ。

oogaki-50_0399艮櫓。こちらも狭間がたくさん不自然に並んでいてなんだか変な感じ。資料を見ると、天守と乾櫓は外観復元と書いてあるものの、この艮櫓は外観復元とは書いておらずただの再建となっている。

oogaki-51_0400当時の内堀の跡かもしれない、めっちゃ細い水路と、石垣の中に埋め込まれたコンクリートの排水管。うーん。ちなみにこのあたりの石材は元の石灰岩だ。

oogaki-52_0401さて天守の上からも見下ろした、本丸東側の櫓門までやってきた。これも当時はここに入口はなく、今いる場所も水堀の上だった。大垣城の外堀を守っていた七口之門の一つ、南東の柳口門を移設したもの、と言われる。よって積み直した石垣が変な感じ。

oogaki-53_0402今はここが大垣城公園の入口のようで、立派な石碑が建っている。

oogaki-54_0332門内の石垣には刻印があった。石灰岩ということで化石も多く含まれており、いくつかは表面に出ているとか。東門付近にもあるという。今度行ったときに探してみよう。

oogaki-55_0406東門を内側から。石垣はほとんどが石灰岩ではなくなっていて、大幅に積み替えがなされたようだ。

oogaki-56_0405東門付近にあったトイレの軒丸瓦をふと見てみると、ここにも大垣藩戸田氏の家紋 九曜紋。

oogaki-57_0407本丸は二重構造になっていて、天守の建つ内側の一段高い曲輪と、大きな内堀に囲まれた外周部とに分かれていた。艮櫓や乾櫓があったのは外周部。東門入って眼の前に見える低い石垣は内側の曲輪の石垣。上の方は崩れているが、特に積み直しもされていない現存状態だろうと思われる。

oogaki-58_0408南の方へ行くと盛大に崩れてよくわからない積み直し?がされている。古絵図によるとこのあたりには本丸内側に入るための「埋門」があったようだ。

oogaki-59_0409そのまま外周を回る。上の方はぐちゃぐちゃで怪しいが、高く積み上げられた隅石あたりはキチンと残ったものだろうか。この上は辰巳櫓だろう。

oogaki-60_0410本丸の南側へ行くと、石垣の一部が「糜城の滝」となっていた。当時からあったものではないだろう。

oogaki-61_0412巨大な銅像と、その裏側に残る本丸(内側)南面石垣。

oogaki-62_0413そして本丸の真南あたりには、本丸内部へと繋がる大きなスロープと、「鉄門」跡。奥に当時の本丸の形が描かれた説明板があるので見てみよう。

oogaki-63_0415大垣城本丸城郭図。本丸は二重構造となり、南側にお堀を渡る形で廊下橋が建ち、その入口が鉄門だった。今は鉄門のすぐ内側あたりにいるようだ。ということで、鉄門があった場所方面を見てみよう。

oogaki-64_0417鉄門看板のすぐ裏から、鉄門跡を見てみる。どのへんが鉄門跡だろう?とキョロキョロしてみた。よく見ると、スロープ部分の端っこに礎石があるじゃないか!ここが鉄門、その先がお堀で廊下橋が掛かっていた、ということだろう。

oogaki-65_0414ということでこのスロープ部分は当時は石垣の壁で、上には七間多聞櫓が建っていた。崩してスロープにして、側面の土の部分にどっかから持ってきた石材を突っ込んだので、スロープの内側がこんなにグチャグチャになっているのだろう。七間は約13m(一間=1.8m)。

oogaki-66_0418鉄門跡からそのまま西へ進むと、当時は石垣に囲まれていたのだが、今は道が出来ていてそのまま本丸外側へと出てしまった。

oogaki-67_0419本丸の外へ。当時はなかった西門の隅石は、キレイに加工された角石材が使われている。

oogaki-68_0420本丸は住宅街と商店街に囲まれ、少し外側に出るとまったく城下町ぽさは失われるが、それでも時折ビルの隙間からこうして天守が垣間見える。天守と北半分の石垣以外はほぼ当時の姿を留めては居ないと言っていい大垣城だが、駅チカでアクセスも良く、外観復元の天守も意外と良かった。

# 出張帰りにちらっと寄ったのでカメラが無く、今回利用した写真はすべて iPhone X で撮影したもの。iPhoneでも十分ブログに使えるクォリティの写真が(画角は足りないが)撮れることに驚いた。

訪問時期:2018年5月
撮影機器:iPhone X
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