忍城 訪問記 其の三。
[前回までの訪問記 概要]
レンタサイクルを借りて忍城本丸跡から街中に建てられた石碑めぐり。かつて城を囲んでいた沼地のほとんどは埋め立てられ住宅街に。それでも場所を比定して街中に石碑が建てられている。其の二は西半分の門跡・櫓跡をめぐった。其の三では東半分を回ろう。
訪問時期:2018年9月
忍城 訪問記 − 其の一、二、三。
<訪問記>
忍城 石碑マップ 再掲。其の二では左半分をめぐった。中学校の校門にあった太鼓門跡から、南へ進み、大きな堀の手前にそびえていた三重櫓跡を見に行ってみよう。堀の南東端部分は今も池として残るという。
「水城公園」と呼ばれるかつての水堀の南東端部へ。全体が公園化されている。築山のような場所もあるが、当時の姿をどこまで残しているのかは不明。
かつての堀跡の一部と思われる池泉。
湖の少し北側にある、公園の手前に三重櫓跡の石碑が建っていた。
三重櫓跡 石碑。櫓台があったのかなかったのか、石垣だったのか土塁だったのか、周囲は完全に平らに均されており、わからない。ちなみに三重櫓は本丸から続く曲輪群の南東端に築かれており、これより南東側は大きな沼地を利用した水堀だった。つまり上の写真のグラウンド以降の向こう側はすべて元水堀、ということになろう。
三重櫓 石碑裏。「明治六年 忍城取り壊しの折 上棟札に元禄十三年とあったというから阿部侯三代正能の時代である。白亜の三重櫓であったが老中職にあったので江戸城天守消失のままをはばかり三重櫓と名付けた。松平侯時代は12205冊の書蔵庫であった。」
忍城南東部の水堀(沼)跡の水城公園。
かなり大きな沼地だったようだ。こんな沼地に一帯を囲まれた忍城、普通の攻め方ではどうしようもない、まさに難攻不落。
水城公園を越えて南東端へ。交差点のところにある佐間天満宮は、かつての城の入口の一つだった「佐間口」とされる。
山門の前に建つ佐間口 説明板。忍城攻めの際に正木丹波守利英が守った場所と軍記に書かれている。更にここの向かい側にある高源寺は、その正木丹波が弔いのために建立、墓碑もあるとか。
では佐間天満宮を参拝していこう。
どこかエジプトチックな狛犬。玉と子供のペアで、こちらは阿像の獅子。
天神社外殿新築記念碑に、佐間天満宮の創建は成田親泰が忍城築城の際(1491年)に天神坊を出口としたと古地図にある、と書いてあった。
佐間天満宮の名物(?)、いかつい顔でにらみつけるお稲荷さんのキツネ。
正木丹波守利英ゆかりの地 説明板。
では佐間天満宮の道向かいにある高源寺へも寄ってみよう。山門前に立派な説明板がある。
正木丹波守利英公開基 天真山高源寺 説明板。なんというか、非常にユニークな字体で書かれている。
高源寺山門は控柱に小さな屋根が乗る高麗門。
高源寺 本堂。
山門の脇には、当山開基正木丹波守利英公之碑、と書かれた石碑とともに、古い碑が鎮座していた。
では石碑巡りに戻ろう。こちらは城の東側にある大手御門跡。この道を塞ぐように建っていたわけではなく、このあたりで道が右に折れ曲がり、ちょうど右側の黒い壁の位置に建っていた。ここからまっすぐ進む道は当時は無かった。
大手御門跡 石碑。QRコードはシールが欠けていて読めなくなっている。
大手御門跡 石碑裏の説明書き。「大手門の東は南北二百米 東西五十米の枡形門があり 北谷口御門からこの南まで続く石垣の上の白壁の塀 大手橋を渡り此處に南面して立つ大手御門の壮観は 老中又は譜代十万石の居城にふさわしい忍城の正門であった。」
大手御門跡から西の方面を見る。駐車場の奥あたりにかつての升形御門があったようだ。
駐車場の反対側へ。鍵型に折れ曲がる道。絵図を見る限り、升形御門の北側を守る食い違い虎口だったようだ。
食い違い虎口のところに「忍城大手門外 升形城門跡」の石碑が立っている。
升形城門跡 石碑裏の説明書き。「忍四番地一区は忍城大手門外升形城門地内であり、四ー二九辺に西向の門(虎口)、四ー二二辺に南向きの門があり、大手橋を渡り、北の南面の大手門を入り、西に行き、又西面の門があって内行田通りに出たのである。大手門の守りは固かった。」 GoogleMapで番地を調べてみると、3枚前の写真の右端の白い建物あたりが4-22(南向きの門)のようだ。
最後に駅に向かう道すがら、駅近くの大きな交差点のところに高札場跡の石碑を発見。
高札場跡。当時もここは大きな辻だったようだ。しかしまたも壁際に建てられており、裏側が読めない。
無理やり頑張って読もうとしてみたが、こりゃ無理だ。「上町中町を行田町の中心として大整備を完成したのは阿部正允時代(1748〜1780)である。そしてここに他所に誇る立派な高札場を設け忍藩の全ての里程の基点とした。明治三年 高札場は廃止され取り壊された。」
おまけ:行田名物といえば、ゼリーフライ。フルーツゼリーが揚げられている、のではなく、じゃがいもとおからを混ぜて揚げたもの。素直に美味しい。お金の形に似ていたことから銭フライと呼ばれ、それが訛ってゼリーフライと呼ばれるようになったとか。二重櫓跡石碑の近くにある「かねつき堂」で頂いた。ホームページはこちら。
おまけ2:秩父鉄道の窓口で切符を買ったら硬券でした!ガチャンと穴を開けてもらいました。
時間の都合で、忍城攻めの際に三成らが陣を張ったと言われる「丸墓山古墳」、そして水攻めの際に築いた巨大な堤の一部と言われる「石田堤」には寄ることが出来なかった。石碑もまだまだあるという。また行こう。
訪問時期:2018年9月
撮影機器:FUJIFILM X-T10 + XF10-24mm
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