御薗宇城:高い土塁に囲まれた安芸国人領主の城館跡。

御薗宇城(みそのうじょう)は、安芸国の有力国人領主・平賀氏の居城(居館)跡で、小山の上の平場を高い土塁で囲んだ、甲賀地域でよく見られるような居住性と防御性を兼ね備えた館城であったようだ。室町時代に一時期 安芸国の守護となった山名氏から1403年に攻撃されているが、3年もの間耐え、撃退したという。1300年頃から1500年頃まで平賀氏の本拠地として維持されていたが、その後 より山城化した白山城へ本拠を移したと言われる。

<基本データ>
●名称:御薗宇城 (Wikipedia)
●所在:広島県東広島市高屋町 (地図)
●城主:平賀氏
●築城:弘安年間 (1278-1287)
●遺構:曲輪、土塁、竪堀、石垣?

訪問時期:2018年4月


<訪問記>

misonou-01_2772御薗宇城へ。手作りっぽい感じの案内板を進む。道の奥に見える小山が城跡だ。

misonou-02_2741城跡前には立派な説明板が建っている。県史跡 平賀氏の遺跡 御薗宇城跡。鎌倉末期の築城のようだが、その後 1500年頃まで約200年間ここが本拠であった。

misonou-03_2740説明板に掲載されている図面。現在地から斜面に沿って細い道をあがり、虎口を2つ通り抜けると、周囲が分厚い土塁で囲まれた主郭部へと到達する、甲賀の城館のようなシンプルな構造の城館となっている。奥には更に高い位置に北側を見張る櫓台的な場所があるようだ。

misonou-04_2742では細い斜面を上って城内へ向かおう。右側は削平されて家が建っているので、元々はもう少し斜面が続いていたのかも知れない。

misonou-06_2768斜面から城内へ入る虎口の脇には、草に埋もれて石垣とも見えるような石材がちらりと見えた。草を刈ると立派な石垣が出てくるかも知れない?

misonou-05_2744最初の細長い曲輪へ。左側は草ぼうぼう、右側は竹林になっていた。

misonou-07_2746主郭への入口は細いスロープ状になっている。右側は主郭周囲の土塁、左側は落ち込んでいる。

misonou-08_2766虎口から主郭内部へと入る。ここには当時門があったのだろう。

misonou-09_2748御薗宇城 主郭へ。20cmほどの草がびっしり生えている。周囲は三方を土塁が囲み、その上に木が生えているので、すごい高い城壁に囲まれているような印象を受ける。

misonou-10_2750外周の土塁に近づいてみる。高いところで5mはありそうだ。

misonou-11_2752奥から虎口方面を見返してみる。虎口のあるあたり以外は高い木々に覆われている。

misonou-12_2751土塁が最も低くなっている、突き当り正面あたり。角度もやや緩やか。ただ説明板の図にあったようなスロープ状の明確な土塁上部への道が見当たらない。当時は、あるいはハシゴが掛かっていたのか、あるいは主郭内の建物(の二階など)から直接渡るような仕組みだったのだろうか。

misonou-13_2754土塁の上へあがってみる。上は三段ほどに削平されているが、一面 竹林。竹の根や切り株が随所にあり、慎重に歩こう。

misonou-14_2756土塁の奥には更にまた3mほど高くなっている奥の櫓台風の場所もあった。上は竹林を越えて、竹やぶとなっていた。

misonou-15_2760土塁の上はしっかりと削平されている。ここにも細長い建物が建っていたのだろうか。

misonou-16_2761しっかりと折り曲げられた土塁。土塁の上が広く、またキレイに削平されているので、土塁の上にいるような印象すら与えない。

misonou-17_2762竪堀のような、主郭外部に作られた斜面の凹み。小丘のような場所のため、竪堀ではなくただの崩落かもしれない。

misonou-18_2765土塁の上の竹林は整備されているようで、切られた竹が積み上げられていた。見事な土塁。しっかりと造られた室町期の城館だったようだ。平賀氏がかなりの力を持っていたことが分かる。

misonou-19_2773御薗宇城 遠景。街道沿いにポッカリと存在する小山と言った感じ。周りの山とも繋がっていない独立丘。廃城になって数百年、良く壊されずに今まで残してくれました。

訪問時期:2018年4月
撮影機器:FUJIFILM X-T10 + XF10-24mm
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