岩城亀山城(いわぎ かめやまじょう)は芸予諸島の中央部にある岩城島にある村上海賊関連の海城で、島の南端に突出した通称「城ノ鼻」と呼ばれる小高い丘の上に築かれ、南の赤穂根島との間の海峡を守っていたと思われる。しまなみ海道は岩城島を通っておらず、船で渡る必要がある。現在は岩城八幡神社となり、削平地と海峡一望の眺望が見られる。海際の岩盤には能島城・甘崎城のような岩礁ピット跡も残るという。
<基本データ>
●名称:岩城亀山城 (いわぎ かめやまじょう)
●所在:愛媛県越智郡上島町岩城 (地図)
●城主:村上敬吉
●築城:永徳三年 (1396)
●遺構:曲輪、切岸、岩礁ピット
訪問時期:2014年12月
<訪問記>
芸予諸島と村上海賊関連の史跡群、そして岩城亀山城の位置関係。亀山城のある岩城島は中央部にある。
岩城島はしまなみ海道とは繋がっていないため、船で渡る。岩城島の南にある岩城港へ。
船上から城跡を見る。中央奥の、頂部が平らになった小山が岩城亀山城跡。左端に屋根が見えるのが岩城八幡宮、右側は海に突き出ており「城の鼻」と呼ばれる。右端の山は赤穂根島。
岩城漁港にあった島マップ。漁港のすぐ右側(東)に、岩城八幡宮と「城の鼻」が書かれている。
では島内を歩いて岩城亀山城跡へ向かおう。途中の街道沿いに、古く立派な建物を発見。
岩城郷土館。岩城島の旧家 三浦家の屋敷・島本陣の遺構で、伊予松山藩主が参勤交代の際に立ち寄られたとか。
だが訪問時は残念ながら閉館中。外観だけ楽しむ。
軒丸瓦は、丸に三つ引。
さて郷土館を越えて更に東へ向かうと、小高い丘の上に築かれた岩城八幡神社への参道が現れた。
岩城八幡神社 石鳥居。見切れているが、ちょっと直立風な狛犬がお出迎え。
城跡まではまだまだ登る。
やっと山頂が見えてきた。
主郭に到着。岩城八幡神社の境内で、かなり広い削平地となっている。
岩城八幡神社 拝殿と本殿。
岩城八幡神社 拝殿。伝承では、平安中期に源頼義が伊予拝領の際に建立された七社の一つ、だとか。となると村上氏の城ができる前から神社だったということになる。
かなり消えかけの岩城亀山城跡 説明板。読めないので書き下すと→「岩城八幡神社 社伝に、明徳三年(一三九二)北畠中納言源顕家卿の後裔 村上修理亮敬吉が岩城島に構城 居住す。現時 岩城八幡神社地これなり。その後、河野嫡家変微の折、ともに滅没す。と□し。現存する遺構としては、本丸、二ノ丸、三ノ丸、武者走り、また桟橋あるいは築城用の穴が、岩礁上に約二十個残され、中世城塞の面影をとどめている。」左側の図面に、どこが二ノ丸・三ノ丸・武者走りなのかが描いてあるのだろうが、こちらもまた見えない。
図面アップ。うーん、わからない。左端の方に丸いマーク(岩礁ピット?)と、城の鼻、と書かれている。その前に堀切のようなものが描かれている。いまは中央右側の四角い拝殿らしき建物が描かれた場所か。別資料によると、ここから南(左)へ順に、本丸、二ノ丸、城の鼻。三ノ丸は城の北側(図の右、かすれて見えない)とあった。
では城の南側、二ノ丸・城ノ鼻方面へ向かってみよう。神社境内から少し南へ入ると神社感は消え、とたんに山城っぽくなる。本丸と二ノ丸とを分断する城内通路。
二ノ丸。海に向かって一段低くなった曲輪といった印象。こちらもしっかり削平されている。
二ノ丸奥へ。周囲は木々に覆われているが、伐採すれば海に突き出した立地のため海峡が一望だろう。
先端部まで来た。ここが城の鼻の突端か。残念ながら木々が生い茂っていて、覗き込まないと海や眺望は見えない。ちょっとだけ木々の隙間から海を見てみよう。
城の鼻の先端部から見る海峡。最高の立地、海峡を見張るにはうってつけの場所だ。これより下にはここからは降りられなかった。下に、説明板があった岩礁ピット跡が残るようだ。
続いて本丸の東側をぐるっと回り込んで、城の北側に残るという三ノ丸跡へ行ってみよう。城の東側には城内通路とも思われる細長い道が築かれている。
三ノ丸跡、か。中国の武人のような石像がある祠が建てられていた。
芸予諸島の各島には、島の間の細い海峡を通る船を見張るための村上海賊の城が築かれていた。ここはそんな各島の城の一つ。神社となったことで良好に遺構が残されていた。なお最近新しい説明板が建てられたという。
訪問時期:2014年12月
撮影機器:FUJIFILM X-M1 + XF14mm
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