青陰城:因島の中央に位置する村上氏の戦国山城。

青陰城(あおかげじょう)は、しまなみ海道にまたがる芸予諸島の一つ・因島(いんのしま)の中央部の山頂に位置する村上海賊と呼ばれた水軍一族の城で、島の中央の山頂にあることから通常の海賊城ではなく、村上氏が戦国大名の性格を持った際に其の拠点の一つとして築かれたとされる。遺構は切岸と堀切に守られた複数の曲輪から成り、山城としては技巧的ではない。村上水軍城(資料館)から見える三連の山の中央。

<基本データ>
●名称:青陰城
●所在:広島県尾道市因島田熊町 (地図)
●城主:村上氏(村上義弘?)、救井義親
●築城:不明
●遺構:曲輪、堀切、切岸

訪問時期:2014年12月


<訪問記>

murakami_kaigun_map.pngしまなみ海道にまたがる芸予諸島と、当サイトで訪問記を掲載している各 村上海軍関係の城の位置関係。青陰城は広島寄りの因島の中央部に位置する。他は海城で海峡の孤島や湾岸沿いに建てられているのは大きく異なっている。村上氏が水軍/海賊から、戦国大名化していく過程で、他の大名同様に拠点として・あるいは島の東西南北の繋ぎの城として、島中央部に造られたとも言われるとか。

aokage_01_4095では青陰城へ登っていこう。因島の中央部、3つ並ぶ山々の中央が青陰城跡。頂部が平らになっているのがいかにも山城風。

aokage_02_4098住宅街と畑地を越えて青影山の登り口へ向かう。

aokage_03_4100みかんの木が植わっていて甘い香りが漂う。

aokage_04_4104青影山登山口はこちら、の看板。登山口への曲がり角に建っている石碑を見よう。

aokage_05_4102sこの石碑は青陰城 顕彰碑とのこと。漢文で書いてあるので読みづらいが少し読んでみよう。

aokage_06_4103青陰城 顕彰碑。一文字目(右端)が部首が左右逆転しているという難易度の高い漢字だが、「耀古騰今」と読むようだ。ようことうこん。いにしえを再び光り輝かせ、いまを盛り上げよう、という感じか。元弘三年(1333年)から始まる石碑には、かつての村上氏の祖と言われる村上義弘公を顕彰する内容が刻まれている。村上義弘は南朝方の武将で、鎌倉幕府末期の倒幕合戦での活躍により後醍醐天皇の皇子である大塔宮 護良親王(だいとうのみや もりながしんのう)から感状を賜っている。後半は大正天皇から正五位が贈られた等。

aokage_07_4105では石碑の脇の道を山へ向かおう。このあたりから坂道になってくる。目指す青影山はまだかなり先だ。現在14:09。

aokage_08_4107斜面には後世のものと思われる石垣があちこちに見られる。

aokage_09_4111そして山道へ。青陰城の登城路というより青影山への散策道(登山道)だろう。

aokage_10_4113登山道沿いにあったマップにも、城跡のことは書かれておらず、青影山と表記されている。下が北。

aokage_11_4116岩盤を削って作ったコンクリートの道を登っていく。正面が青影山。

aokage_12_4117なかなかの斜面がずーっと続く。

aokage_13_4118目指す青陰城が右手奥に見える。直接青影山には行かず、いったん隣の山にあがる道のようだ。

aokage_14_4119そこそこの斜面とはいえ、きれいに整備はされているので、登りづらいということはない。

aokage_15_4122このあたりで朽ちた青陰城跡の説明板を発見。もともとは看板になっていたようだが朽ちて折れてパネル部分のみが地面に置かれていた。右側の図面に枯葉が積もっている、払ってから撮れば良かったと今更後悔。左下が北なので、西の本丸と東の二之丸、そして枯れ葉に隠れているが本丸の西側に小さな三之丸がある。標高275m。島のほぼ全域を見渡せる場所に位置している。

aokage_16_4123いよいよ本格的な山道になってきた。斜面も急角度。そして青影山山頂まであと700m。平地の700mは一瞬だが、山道の700mはなかなか時間がかかる。

aokage_17_4125sこれぐらいの斜面がずっと続く。

aokage_18_4127sハイキングコースとして整備されたのか、木で造られた緩やかな階段があるものの、倒木もこうして横たわっていたりする。道以外の場所はシダが生えているが、これは12月。夏場はもっと鬱蒼としていることだろう。

aokage_19_4130sつづら折れになりながら、どんどん斜面をあがっていく。

aokage_20_4132尾根が見えてきた! 左右の土塁が盛り上がっている、先の説明板にあった「二の木戸」跡だろうか?

aokage_21_4133尾根に出た。青影山山頂まで300m、来た道方面を見ると県道まで1400mとある。現在 14:33、石碑の場所から約25分かかっている。

aokage_22_4137まだ城跡ではなく、尾根に出ただけだ。更に青影山方面へと進む。

aokage_23_4139ぐるっと高台へ回り込むように上がっていく。

aokage_24_4141s更にもう1段上へ。

aokage_25_4143s恐らく、先の朽ちた説明板に載っていた「二之丸の西側の小さな曲輪」と思われる場所。正面の高台の上が二之丸だ。

aokage_26_4144二之丸へも切岸が遮っているためぐるっと回り込むように上へ。

aokage_27_4147最後はなかなかの斜面を半ば無理やりと登る。

aokage_28_4187到着! 青陰城 二之丸跡。右側も左側も急角度の断崖で、かなり細長い曲輪になっている。説明板と四阿、石碑などが並んでいる。

aokage_29_4151青陰城 二之丸跡から見下ろす瀬戸内の海と芸予諸島。これは南方面、正面の島は岩城島。ここに城があれば、確かに海峡を行き交う船は一望だ。因島の南部の様子も手に取るようにわかる、絶好のロケーションと言える。

aokage_30_4149上記の写真とほぼ同じ構図の説明板。しまなみ海道は、右側の生口島、大三島、伯方島、大島を抜けて愛媛県今治へと続く。

aokage_31_4181二之丸と本丸(奥)とをつなぐ細い尾根道の前あたりに、石碑が立っている。

aokage_32_4153石碑には 村上義弘公青影城址登山路改修碑 とある。戦国時代の村上氏ではなく、その祖と言われる建武新政期(1330年代)の村上義弘 推しだ。

aokage_33_4155sではそのまま尾根道を通って奥の本丸へ向かおう。中央の凹部は堀切だろうか。

aokage_34_4156本丸はさらにもう1段高い位置にある。

aokage_35_4180本丸側から見返すと、やはり本丸と二之丸の間を堀切が分断していたのだろう。

aokage_36_4175青陰城 本丸跡。かなり広い! そしてスッキリしている。

aokage_37_4160sかなり達筆の、青陰城址 碑。

aokage_38_4163本丸から見下ろした、しまなみの海峡。魚眼レンズで撮影。

aokage_39_4166反対の因島北側の様子。二之丸からは北側は見えなかったが、本丸からは一望。まさに因島を押さえるには絶好の場所だろう。

訪問時期:2014年12月
撮影機器:FUJIFILM X-M1 + XF14mm
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